事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨(『論語』里仁第四の18 No.84)
2024/03/16
今日は久しぶりに論語499章1日1章読解から。
今日は、両親を諫めるときの心遣いについて述べた
里仁第四の18番(通し番号084) を。
この章は、広い意味で言うなら、
家族と接するときの心得について述べたものと
捉えてもよいかもしれません。
(引用ここから)
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【里仁・第四】084-4-18
[要旨(大意)]
孔子が両親を諫めるときの心遣いを述べた章。
[白文]
子曰、事父母幾諌、見志不從、又敬不違、勞而不怨。
[訓読文]
子曰ク、父母ニ事ヘテ幾諌ス、志ノ從ハザルヲ見テハ、又敬シテ違ハズ、勞シテ怨ミズ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、父母(ふぼ)ニ事(つか)ヘテ幾諌(きかん)ス、志(こころざし)ノ従(したが)ハザルヲ見(み)テハ、又(また)敬(けい)シテ違(たが)ハズ、労(ろう)シテ怨(うら)ミズ。
[ひらがな素読文]
しいわく、ふぼにつかえてきかんす、こころざしのしたがわざるをみては、またけいしてたがわず、ろうしてうらみず。
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言われた。「父母の世話を務めるには、言い方に気をつけながら意見を言うこと。自分の思い通りにならないのを見ても、それでも親を敬って逆らわず、いたわって怨まないこと。」
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。「父母に仕えて、その悪を默過するのは子の道ではない。言葉を和らげてそれを諌めるがいい。もし父母がきかなかったら、一層敬愛の誠をつくして、根気よく諌めることだ。苦しいこともあるだろうが、決して親を怨んではならない。」(下村湖人『現代訳論語』より)
[口語訳文3(井上訳)]
先生(孔子)が言われた。「父母に対して(間違いを見つけた時には)遠まわしに穏やかに諌め、父母が自分の諫言に従いそうにないと分かれば、更につつしみ深くして逆らわず、心配することがあっても怨みに思わないようにしたほうがいい。」
[井上のコメント]
儒教的な解釈としては、「父母の人格や価値観を大切に」と親孝行の基本について述べた章としているようで、それはそれで間違ってはいません。ただ、そう言われて頭で理解しても、現実に行動実践するのは難しいと、そこから先は思考停止してしまっている人が少なくないのではないでしょうか。したがって、孔子自身の精神波動に近づこうとするなら、そこで止まらず、掘り下げて考えてみる必要があるようにおもいました。
親子、夫婦、兄弟など人間関係は近いほど難しいものです。なぜなら、似たもの同士は、似ているところがアタリマエで、互いにそのことに気づきにくいからでしょう。〝近親憎悪〟という言葉が示すように、磁石のN極同士、S極同士が反発し合うが如く、同質の要素が強いほど、そこには互いに反発し合う原理がはたらくのかもしれません。
ひとつ前の章(通し番号083)で述べられていた「つまらない人を見たときには、自分もこの人のようではないかと内省する」という話は、自分の身近な人に対してでも同様に言えることでしょうから。つまり、過ちを見つけたときに、その過ちに対して寛容な態度をとるよう心がけなさいというのは、けっして見て見ないフリを奨めているわけではなく、その過ちと同質のものが自分自身の中にも存在している(自分もまた同じ穴のむじなにすぎない)と考え、過度に反発したり怒ったり、ましてや怨みにおもったりすべきではないというのは、至極当然なことを言っているようにおもうのです。
易経64卦の38番目に火沢睽があるんですが、この寺子屋塾ブログに毎日投稿を始めた2021年秋に、火沢睽の卦辞に書かれた内容をもとに記事を書いたことがあります。論語の本章の内容に関連するテーマの記事なのでぜひご覧ください。
※通し番号083についての参考ページ(九去堂)
083里仁篇第四(17)賢を見ては
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