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平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その6)

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平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その6)

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その6)

2024/07/16

昨日投稿した記事の続きです。

 

平野啓一郎さんの著書

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

とっかかりに、

「私とは何か?」という問いについて

考察しはじめていて、

この記事が6回目となりました。

 

2012年に出版された

平野さんのこの著書はとても大きな反響があり、

YouTube動画で「分人主義」を検索すると、

解説している動画が

たくさんヒットします。

 

昨日の記事では、哲学チャンネル

「分人主義」解説の前編動画を紹介したんですが、

今日は、その続編にあたり、

分人主義のメリットについて解説している

後編動画をご紹介。

 

個人と分人【分人主義 後編】

(引用ここから)

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こんにちは!哲学チャンネルです。前回に引き続き小説家の平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」について解説します。後編となる今回は、分人主義のメリットについて、分人主義を採用することで、世の中をどのように再解釈することができるのでしょうか。ぜひ最後までご視聴ください。それでは本編に参ります。

 

分人という概念を採用すると得られるメリットは、多岐にわたります。本動画では、大きく5つのメリットを挙げたいと思います。

 

①個人にまつわる様々な解釈を再検討できる
例えば、「八方美人」という概念があります。一般的にこれは、「誰からも好かれたい」「人からよく見られたい」という思いから、誰にでも愛想よく振る舞う人のように理解されます。しかし、分人主義においては、少し違った解釈をするんですね。曰く「八方美人は、分人化の努力を放棄している人である」。通常私たちは、相手や環境に合わせた「分人」を構成し、それぞれのシーンによって、別々の自分を生きています。しかし、八方美人的な性質を持つ人は、あらゆるシーンにおいて、そこに対応した「分人化」の努力をしないというのです。極端に言えば、「この場所でも、またあの場所でも、同じ分人を利用していればいいでしょ」と、人付き合いに対してタカをくくっているのが八方美人なのです。

 

また、コロナ禍におけるステイホームが、私たちに大きなストレスを与えた要因に関しても、「分人」の概念から解釈することができます。『私とは何か』では、それぞれの人には、それぞれ固有の「ちょうど良い分人の数」が存在すると主張されます。「ちょうど良い分人の数」とは、つまり「ちょうど良い場面の数」なのですが、ステイホームなどによって空間が制限されると、そのような「場面の数」が極端に少なくなってしまいます。すると、日々表象する分人が限定されたものになっていき、「様々な分人を生きることができない」という事実が、私たちに大きなストレスを与えると解釈できるのです。私たちは複数の分人を生きることで、精神のバランスを保っています。ある分人がストレスを抱えていても、またある分人が快調なら、それを総合してなんとかプラマイゼロに持っていけるのです。

 

個人主義の観点から、コロナ禍におけるステイホームの苦しみを考えると、「個としての自分」が、他者と今まで通り関われないことが、その苦しみの原因であると捉えられます。これはすなわち、原因を「他者と関われない」という外的な要因に求めている状態ですね。一方、分人主義の観点からコロナ禍におけるステイホームの苦しみを考えると、先ほどの通り、「分人を発揮する場」が制限されたことで、同一の分人に閉じ込められてしまうことが、苦しみの原因であると捉えられます。微妙な差ではありますが、個人主義に比べて解釈の射程が内的な要因にまで広がっていることがわかります。私は、分人主義を採用する大きなメリットは、この解釈の射程の広がりにあるのではないかと考えています。

 

②人間関係におけるあらゆる悩みが軽減できる

例えば、「Aさんにはいつも強く当たってしまう」「Bさんといると嫌な自分が出てきてしまう」という環境があるとします。こんな時、通常は「なぜ自分はそうなってしまうんだ」「なぜ自分はこんな人間なんだ」と、「個である自分」に対して責任を求めてしまいがちです。しかし、これを分人主義の視点から解釈すると、少し違った見方が可能になります。そもそも分人主義においては、「私とは複数の分人の集合体である」と考えますので、責任を求めるべき絶対的な「個である自分」は存在しません。さらに分人は、他者との相互作用によって生まれます。分人は、自身の中から他の何にも影響を受けずに生まれることはなく、必ず特定の他者や環境の影響を受けて発現するのです。

 

ですから仮に「ネガティブな自分」という分人がいるとするならば、その分人の半分は「他者のおかげ」だと認識できるのです。ある意味、責任転嫁的な考え方ではあるものの、この見方を採用することによって、「嫌な自分」の責任を自分に求めすぎてしまう苦しみから解放される可能性があります。もちろん、「ポジティブな自分」のような、自分にとって好ましい分人に関しても、その分人の半分は「他者のおかげ」として捉えられます。さらに他者の分人も、また別の他者によって形に作られるし、他者の自分向けの分人の半分は、「自分のおかげ」で作られているのです。

 

このようにして分人は連鎖的につながり、社会を構成します。分人主義的な他者に対する解釈は、人間関係における積極的諦めに役立ちます。自分から見た他者は、その主体の「自分向けの分人」です。私たちは基本的に、他者の自分向けの分人にしか介入できません。当然その介入は、時間経過とともに他者の他の分人にも影響を与えるのですが、その影響まで自分がコントロールすることはできないのです。

 

例えば「大好きな友人Aが大嫌いなBと仲良く遊んでいる」という状況において、友人Aに絶対的な個人を想定してしまうと、整合性があるはずの個人において、ある時は自分側へ、またある時はB側へ興味が向いている様を見て、嫉妬のような感情がわき起こる可能性があります。しかし、分人主義的な観点から考えると、Bに対応したAの分人には介入することができないのだし、そもそもAには、複数のそれぞれを「主体」と表現できる分人があるのだから、AとBが仲良くすることに、自分は全く関係がないと解釈することができます。分人主義を採用することで、「個人」という観念に比べて自分も他者も、「あそび」のある存在であると認識できる。これは分人主義の大きなメリットではないでしょうか。

 

③人生に対するアプローチが具体的になる

人生を構成する要素を、「感情としての自分」「関係としての他者」「条件としての物質」であると仮定したとします。今回は自分と他者の関係について考えていますので、一旦「条件としての物質」を無視すると、人生をより良くするためには「どんな自分でいるか」「他者とどんな関係を構築するか」が重要だと言えそうです。これまでの説明でご理解いただいているとおり、分人主義においてこの2つの命題は同値です。要は、自分とは複数の分人の構成比率のことである。分人は他者との相互作用によって生まれる「より良い自分」は「より良い他者との関係」によって作られると還元することができるのですね。こう考えてみると、条件としての物質を除いた、より良い人生プランとして、「分人の構成比率をより良いバランスに変えていくこと」が、非常に重要なのではないかと仮定できます。


『私とは何か』では、「私」が様々な分人の複合である端的な例として、リストカットに代表される自傷行為にまつわる議論を取り上げます。例えば、wikipediaでは自傷行為が行われる理由について、ストレスを言語化して相手に伝えられない場合に、「行動化」や「身体化」という形でストレスを発露するため、または「誰かの気を引くため」に行われるアピール的な行動などと説明されています。しかし、『私とは何か』では自傷行為の動機を、自己そのものを殺したいのではなく、自己像を殺したいと思っていると説明しています。すなわち自傷行為とは死への願望ではなく、自分の中にある特定の分人を消去し、新しい分人比率で生きていきたいという願望の表れであるというのですね。実際の自傷行為の動機には様々なものがあり、一概にこれと決めつけることはできないように思いますが、少なくとも分人主義の思考法を理解する上で、この解釈は非常にわかりやすいものではないでしょうか。私たちは多くの場合、幸せに生きたいと願っています。そして、幸せに生きるためには、自分が納得できるような分人比率のバランスを実現する必要があるわけです。自分を構成する分人比率を調整する———これを人生の一つの目標に設定すると、とるべきアプローチがより具体的になるかもしれません。

 

④「愛」についての解釈
分人主義においては、「恋」と「愛」を明確に区別します。「恋」は特定の他者のことを好んでいる状態、「愛」は特定の誰かに対応した分人を好んでいる状態、基本的に「恋」の対象は性的志向に伴った他者であることがほとんどです。しかし、「愛」の対象は性的志向を伴わないケースもありますし、もっと言えば、対象が人間ではないケースすらあります。前者は兄弟愛、師弟愛、親子愛のようなものに見られますし、後者は郷土愛、組織愛、動物愛のようなものに見られます。すべてに共通して言えるのは、その対象に対して発現している分人が、自分にとって好ましいということではないでしょうか。誰と一緒にいる時の自分が好き、あの場所にいる時の自分が好き、そのような温かい感覚を「愛」と呼んでも間違っていない気がします。だからこそ、「愛」には継続性があります。誰しもが「好ましい分人」をもっと生きたいと考えますからね。

 

『私とは何か』では、愛の性質をこのように表現します。「愛とは、相手の存在があなた自身を愛させてくれること、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになること。」個人的に、とても好きな表現です。また恋愛につきものの「嫉妬」についても、分人主義の立場から解釈をすることが可能です。結論から言うと、「嫉妬」とは、「対象の(自分以外に対する)分人に対する感情」です。「仕事と私、どっちが大事なの?」という究極の二択がありますよね。仮に主体が「私」を愛している場合、その多くは「私が大事だから」「仕事が大事」よって両方大事であると論理展開をし、結果的に、この質問に答えられないというパラドックスが発生してしまいます。時には、その質問自体に不快な感情を抱いてしまうこともあるかもしれません。しかし、分人主義的な視点からこの質問を見ると、「私に対する分人と、仕事に対する分人、どちらを大切に思っているの?」と言い換えることができます。そして、この質問になら簡単に答えられますよね。人は対象が自分に対する分人以外の分人を大事に思っている様を見て、そこに嫉妬の感情を抱きます。このことを前提にしておくと、何かに嫉妬する際に、少し冷静に状況を見ることができるようになるかもしれません。

 

⑤「死」についての解釈
分人主義においての「死」は、個人という一個体の死以上の意味を持ちます。その人に存在している様々な分人、その人の死はそれぞれの分人が同時に死ぬことを意味しているのです。そしてそれぞれの分人は、そのそれぞれに対応した他者を持ちます。ですから、愛する人の死が悲しいのは、対象が消滅するということだけではなく、対象に向けた自分の分人が、もう存在できない悲しみも内包しているのです。皆さんにも大事な人を失った経験がおありかと思いますが、例えば、その方の墓参りに行ったり、思い出の地に行ったりすると、なんとなく不思議な感覚になったりしないでしょうか。分人主義の視点から考えると、それは自分の中から消失していた、「あの人向けの分人」を思い出す感覚であると言えます。こう考えていくと、誰かの命を奪うことは、その人の分人全てを抹殺するだけではなく、その人に対応した他者の分人も抹殺する行為だと言えます。

 

フロイト心理学の用語に「喪の作業」というものがあります。一般には愛着依存の対象を失うことを意味する「対象消失」によって生じる心理的過程と表現されます。分人主義的に言えば、「喪の作業」とは、「自分の一部(分人)が消失してしまったことを整理する期間」なのです。またアメリカ先住民の伝承に、「人が本当に死ぬのは命が絶えた時じゃなく、誰からも忘れられた時だ」というものがあります。仮に私が死んだとします。誰かが私のことを思い出しているとき、その人は私向けの分人を思い出しています。こうして「私向けの分人」が残っているうちは、確かに私は別の形で生きていると表現できるかもしれません。そして、世界に「私向けの分人」が一切なくなると、そこで初めて「私」という存在は、無になるのかもしれないですね。

 

分人主義を採用して世の中を観察してみると、「私」という存在は、他者なしにありえないことがありありと理解できます。そして他者にとっての「私」の存在も同様であり、そのような連鎖の上に社会は成り立っているのです。自分の中にある分人の比率を真剣に考えること、他者の中にある自分向けの分人を育てていくこと、分人主義は人生における一つの方針を示してくれます。もちろん、この解釈が正しいかどうかは全く分かりません。しかし、様々なことを思考するための一つのスキームとして有用であることは間違いないと感じます。

 

分人主義的に言えば、「哲学チャンネル」もまた、私の中にある確固たる主体の一つであります。そして「哲学チャンネル」という分人の半分は、それに相対する視聴者様によって構成されていて、「哲学チャンネル」に触れているあなたは、今「哲学チャンネル」に対応した分人を発現させている。願わくは、その分人が愛せるものであってほしいと思いますし、そういう活動を今後も続けていきたいと考えています。以上です。

 

今回も最後までご視聴頂きましてありがとうございます。チャンネル登録、高評価が更新の原動力です。ぜひご協力よろしくお願いします。それではまた次回、お会いしましょう。

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(引用ここまで)

 

 

この続きはまた明日に!
 

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