寺子屋塾

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その9)

お問い合わせはこちら

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その9)

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その9)

2024/07/19

昨日投稿した記事の続きです。

 

平野啓一郎さんの著書

『私とは何か 「個人」から「分人」へ』

とっかかりに、「私とは何か?」という問いを

考察し続けているんですが、

今日の記事が9回目となりました。

 

これまでに書いてきた内容を前提として

話を進めることがありますので、

未読記事がある方は、まず次から先にどうぞ!

平野啓一郎『私とは何か』(その1)

平野啓一郎『私とは何か』(その2)

平野啓一郎『私とは何か』(その3)

平野啓一郎『私とは何か』(その4)

平野啓一郎『私とは何か』(その5)

平野啓一郎『私とは何か』(その6)

平野啓一郎『私とは何か』(その7)

平野啓一郎『私とは何か』(その8)

 

「分人」をツールと捉えて、

いったい何に活かすかというと、

そのうちの重要なひとつが、

何よりも「対人関係」ということにあるので、

昨日投稿した(その8)の記事では

平野さんの『私とは何か』の

第4章「愛すること・死ぬこと」から

恋愛に触れている冒頭部分を引用しました。

 

つまり、「分人」という捉え方を

取りいれることによって、

具体的に何がどう変化する可能性があるかというと、

「自分という人間は〜だ」といったような

さまざまな決めつけやおもいこみを

手放せるメリットがあるんじゃないかと。

 

自己受容できていない人が

なぜそうなのかというと、

もちろんその要因は一律でなくいろいろなんですが、

そのひとつには、自分という人間を

観察しようとするときの解像度が低かったり、

世間的な常識とか

ステレオタイプなものの見方に囚われすぎていて、

自分の実感を無視し、無理に外側の尺度に

自分を合わせようと

してしまっていることがあるようで、

そういう方には当塾のセルフラーニングが

有効にはたらくようにおもうんです。

 

たとえば昨日、平野さんの『私とは何か』から

引用した箇所に、

 

そもそも「個人」と同様、「恋愛」という日本語も、

明治になってヨーロッパから輸入した

love という新しい概念の翻訳で、

最初はなかなか理解されなかった。

個人と個人とが愛し合うという形での恋愛が、

人生の一大事だという考え方が、

当時の日本人にいかにピンと来なかったかは、

様々な文章から見て取れる。

 

というところがありました。

 

つまり、こんにちわたしたちは

日常生活のなかで、

「個人」とか「社会」とか「恋愛」という言葉を

アタリマエのように使っていますよね。

 

でも、こうした言葉が使われるようになったのは

明治時代の初めという、

たかだか150年前のことですから、

日本人にとって

それくらいの浅い歴史しかありません。

 

昨日引用した箇所の後、第4章の内容について、

中見出しだけ紹介すると、

・三島と谷崎の「恋」と「愛」

・どうすれば、愛は続くのか

・分人主義的恋愛観

・複数の人を同時に愛せるか

・分人と嫉妬

・片思いとストーカー

と続いていきます。

 

この「分人主義的恋愛観」については、

(その2)の記事で紹介した

平野さん自身によるTEDプレゼン動画にて

語られていたので、

まだご覧になっていない方は、

ぜひ観ておいて頂きたいんですが、

 

Love others to love yourself | Keiichiro Hirano
TEDxKyoto 2012

愛とは、

「その人といるときの自分の分人が好き」

という状態のことであり、

他者を経由した自己肯定の状態。

 

つまり、相手の存在が、

あなた自身を愛させてくれることであると同時に

あなたの存在によって

相手が自らを愛せるようになる。

 

ってことなんですね。

 

でも、そうなると、

本書のP.145に書かれているんですが、

恋愛関係というのは、

自分が抱いている「相手向けの分人」と、

相手が抱いている「自分向けの分人」との

サイズが同じぐらいでないと、

なかなかうまくいかない

ってことが分かってきます。

 

 

さて、一昨日投稿した(その7)の記事で、

「分人」という捉え方について、

文化人類学の世界では、

既に1960年代から用いられていたことや、

フランスの哲学者ドゥルーズが、

1980〜90年代に表した著作に、

le dividuel というアイデア、概念を記していて、

平野さんオリジナルのものではないって話を

書いたんですが、

『自分とは何か』第4章を読んでいて、

ふとおもいだしたのは、

二村ヒトシさんの『すべモテ』こと、

『すべてはモテるためである』第4章にある

あなたの中のスーパー戦隊みたいなもの

って言葉でした。

 

ちなみに、この文庫本の初版が出されたのが

『私とは何か』と同じ2012年で、

「第4章」ってところまで同じだったのが、

偶然の一致とおもえなくて

おもしろいですね〜

 

第4章の冒頭から引用します。

 

ちなみに、上の写真の本の帯に

「女性からも大反響」と書かれているように、

『すべモテ』は男性向けに

書かれた本なので、女性が読まれる場合は、

文中の「男性」を「女性」に、

文中の「女性」を「男性」に

そのまま読み替えてみてください。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あなたの中の「スーパー戦隊」みたいなもの。
【あなた】はキモチワルくなくなり【いい人】になった。
あなたは自分が【バカか臆病である】ことを知り、自分の【心のふるさと】を持ち、ひとりでいても淋しくない 【居場所】を得て、キャバクラや風俗で【現実の女性との接触】 を練習し、コミュニティ・サークルで「ちゃんと人の話を聴くこと」と「あなた自身が【変わる】のを恐れないこと」と「自分を押しつけないで、ただ【見せる】こと」ができるようになり、相手と同じ土俵に乗れるようになり、すっかりキモチワルくなくなりました。 女性の知りあいも何人かできた。


それなのに、あなたには、まだ「彼女」ができない。なぜなんでしょう? もう、それほどバカでも臆病でもなくなった【あなた】が「女性を口説くこと」ができないのは、あなたが「いい人」になってしまっているからでしょう。


あなたの中にはもちろん性欲も「もっと、なかよくなりたい」という欲望もあるのに、それを目の前の女性にアピールしない。だから彼女は、あなたに恋や性欲がめばえているとは夢にも思わない。それはあなた自身が、自分のキャラクターを「口説ける男ではない」と決めてしまっているからです。


とつぜんですが、僕が子どものころテレビの中では「ガッチャマン」や「ゴレンジャー」や「コンバトラーⅤ」が地球の平和を守ってくれていました。そういう戦隊は、いまでも地球を守ってくれていますよね。


最近のスーパー戦隊は、なんだか全員イケメン俳優が演じていて「みんなそれぞれカッコいい」みたいですが、40年くらい前はカッコいいのは【リーダーである熱血漢】と【ナンバー2の、ニヒルな空気を漂わせたクール・ガイ】くらいで、あとの男性は【めしを食いすぎてバカにしか見えないデブ】と【臆病そうなチビ】でした。


【いい人】であるあなたは、交友関係や職場や、コミュニティ・サークルでの人間関係の中で、必要以上に自分のキャラを「ワキ役」だと決めてしまってはいないでしょうか。もう【バカ】でも 【臆病】でもなくなったのに。


たとえば「オレはぶさいくなデブ(あるいは、ちびメガネ)キャラで、熱い男もキザも似合わない。だから女の子を口説いても、きっと失敗する」あるいは「口説く資格が、まだない」と無意識に考えていませんか? どこかの誰かがあなたにそのキャラをキャスティングしたわけでもないのに......。


そこが、あなたの「いい人」たるゆえんなのかもしれませんし、あなたがかつて「キモチワルい男」だったころの臆病さのなごりなのかもしれません。しかし、あなたがいつまでもそのままだと、いつまでも彼女のほうでは【あなたの存在】に気づきません。

だからといって、あなた自身だけじゃなく彼女も、周囲のみんなも、あなたを「主役ではない」と認識してるのに、とつぜんイケメンぶり始めても困惑されるだけです。あなた自身も恥ずかしいでしょう。ていうか、そこは「恥ずかしい」と思う人のほうが、まともです。

 

恋をしたからといって【自分は特別である】と思うのは、自意識過剰でカッコワルいしキモチワルいと第2章にも書きました。あなたは、いつもの人間関係の中で、急激に全面的に「主役や二枚目キャラ」になろうとしなくてもいいのです。


あなたの中のいろんなキャラ。
あなたは5人の戦隊ヒーローの中の 「誰か一人」ではないんです。「カッコいい一人」 でも「カッコわるい一人」でもない。あなた一人で、スーパー戦隊なんです。あなたの中に5人の(あるいはそれ以上の人数の)キャラがいることをイメージしてみてください。その全員が、あなたです。


彼らのキャラは、てんでバラバラですが目的はひとつです。「地球を守る」ではなく「彼女を作る」あるいは「モテるようになる」ための戦隊です!どんな5人でもいいし、何人いてもいいのです。あなたの中には5人どころじゃない、 さまざまなキャラクターが、かならず住んでいます。


それが【本来のあなた】なのかどうかは知りませんが【彼女のよく知っている、あなた】はどんな人でしょう? 【照れ屋だけど、おどけた】キャラですか?【おっとりした、ちょっと弱気な男】ですか? どんなキャラにせよ「そのキャラが彼女を口説く」ということはありえなかったわけですが。

 

(中略)

モモレンジャーを意識する。
もう一度「あなたの中の、いろんなキャラ」の話に戻りたいと思います。スーパー戦隊といえば、その中にはモモレンジャーが一人、まじっているものです。最近の戦隊だと5人中2人が女性で、キレンジャーがデブではなく、ボーイッシュな女の子である場合もありますが。あれは、すばらしい「新発明」だと思います。あなたの中にも、女の子は、います。


あなたにホモっ気があるかないかとか、そういう話ではない。それどころか、あなたが男っぽい男であればあるほど、とても女っぽい性質の女性が一人、あなたの中に住んでいると思われます。

 

二村ヒトシ『すべてはモテるためである』第4章どうやって「恋愛」するのか より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

いかがでしょう?

 

平野さんの「分人」と似ている捉え方だと

おもいませんか?

 

たとえば、

 

あなた一人で、スーパー戦隊なんです。

 

ってありましたが、

まさに分人主義的人間観そのものですよね〜

 

ちなみに、この引用した箇所のすぐ後、P.173には、

次のような記述もあります。

 

「恋愛をする」ということは

「彼女と【あなたの中の女】との関係」だけの

問題ではありません。

「あなたと 【彼女の中の男】との関係」の

問題でもあります。

あなたと 【彼女の中の男】が似ていて

【あなたの中の女】と彼女も似ている、

ということでなければ恋愛は成立しません。

 

これって、先ほど平野さんの

『私とは何か』から引用した

 

恋愛関係というのは、

自分が抱いている「相手向けの分人」と、

相手が抱いている「自分向けの分人」との

サイズが同じぐらいでないと、

なかなかうまくいかない

 

って箇所と、ほぼ同じ話ですよね〜

 

この続きはまた明日に!
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内☆

 現時点で日時が決定している企画はありません

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎らくだメソッド無料体験学習(1週間)

 詳細についてはこちらの記事をどうぞ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。