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「統合する」ということ(その8)鈴木清順『陽炎座』

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「統合する」ということ(その8)鈴木清順『陽炎座』

「統合する」ということ(その8)鈴木清順『陽炎座』

2024/09/13

昨日9/12に投稿した記事の続きで、

「〝統合する〟ということ」をテーマにした記事も

これで8回目になりました。

 

これまで7回の記事で書いた内容を前提として

話を進めることがあるので、

未読分のある方は、

まずそちらから先にお読み下さい。

(その1)栗本慎一郎『パンツをはいたサル』

(その2)栗本慎一郎『パンツをはいたサル』②

(その3)安冨歩『合理的な神秘主義』

(その4)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

(その5)森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』

(その6)学問分野の統合・まとめ

(その7)よしもとばなな『花のベッドでひるねして』

 

 

昨日投稿した記事では、

この1ヶ月ほどの間に投稿してきた記事内容を

全部統合したらどうなるか?

という問いを考えているときに

ふと浮かんできた

よしもとばななさんの小説

『花のベッドでひるねして』のエンディング部分を

引用して紹介しました。

 

ご存知の方も多いとおもいますが、

ばななさんは、吉本隆明さんの娘さんで、

この小説は、2012年に隆明さんが

亡くなられた直後に書かれたものです。

 

その、お父さまの死について触れている

巻末に収められている本書のあとがきを

次にご紹介。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この小説の主人公の幹ちゃんは、私が描いた人物の中でもっともかわいい人だと思う。この小説は、私が書いてきた小説の中で、もしかしたらもっとも悲しいものかもしれないと思う。

 

そしてもっともさりげない作品でもあり、そんなことを意図していなかったのにきらきらしたものが読後に残る気がする。この小説こそが永く暗い闇を照らす光であってほしい。


父が亡くなって、とにかく悲しくて悲しくて、イギリスに取材に行ったけれどなにも目に入らなかった。大好きな優しい友だちたちや家族と楽しく過ごしているときも、死んでいく父の映像ばかりがくりかえし頭の中を流れていた。もう一回会いにいけばよかった、病院に泊まり込めばよかった、そんな後悔だけがぐるぐる頭の中を回っていた。


そんな私にイギリスは懐深く果てしなく優しかった。私が憧れていた七十年代の文化は実はアメリカではなくイギリスにあったんだということもよくわかった。そして帰ってきたら、もっとつらい淋しいことがたくさん待っていたので、私はイギリスが恋しいなと思った。

 

ずっと旅していたかった、逃げていたかった。でも私の世界は東京にある。とにかく書くことで悲しさを忘れようと思って毎日ひたすら書き続けた。ほとんど無意識に書いたから、この小説のことはなんにも覚えていない。もはやチャネリングみたいなもので、自分の意志はなにも使っていない。


立原正秋さんのおじょうさんの幹さんが書いた、お父さんが亡くなってからの日々のことを描いたとても悲しいエッセイについて毎日よく考えたから、小説の主人公の名前は幹ちゃんにした。一生忘れられない、小さいけれど大きな作品になった、そう思う。


根気よくつきあってくれた永上敬さん、いつも決して著者に負担をかけずに大胆な決断を下すかっこいい方です。そして出産を経てずっとこの本を作ることを待っていてくださった健やかな心を持つ柳悠美さん。おふたりの面影がこの小説をいっそう優しくしてくれました。ありがとうございます。いっしょにイギリスに行って、表紙を描いてくれた大野舞ちゃん、ありがとう。あの旅の仲間と事務所のスタッフにも感謝します。

 

そしてこの小説を書かせてくれた父に感謝を捧げます。ここに出てくるおじいちゃんのようにかっこよくはない父ですが、私にとって世界一の父でした。

 

よしもとばなな『花のベッドでひるねして』あとがき全文

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

このあとがきも印象深く残る文章で、

とりわけ

悲しさを忘れようと思って毎日ひたすら書き続けた。

ほとんど無意識に書いたから、

この小説のことはなんにも覚えていない。

もはやチャネリングみたいなもので、

自分の意志はなにも使っていない。

と書かれた箇所が強く胸を打ちますね。

 

昨日の記事で紹介したような文章が、

自分の意志というものを使わずに、

無意識に書けてしまうことに

何よりも驚かされるのですが、

それがまさにアタマを使わず書くということで、

隆明さんの遺伝子を引き継がれた

ばななさんだからなのかもしれません。

 

そして、この記事の統合というテーマに照らすなら、

冒頭に書かれた

主人公の幹ちゃんが、

ばななさんがこれまでに書いた小説のなかで、

もっともかわいい人でありながら、

これまでに書いた小説のなかで

もっとも悲しいものかもしれないというところや、

もっともさりげない作品でありながら、

きらきらしたものが読後に残るという表現は、

何ら矛盾していなくて、

それらが統合されているからこそ、

永く暗い闇を照らす光になり得るんじゃないかと。

 

また、小さいけれど大きな作品になった

と書かれていた箇所についても、

『花のベッドでひるねして』は、

文庫本で187ページの分量ですから、

小説として小さな作品にすぎないけれど、

ばななさん自身にとって

大きな意味を持つ作品になった

というふうに解すのがふつうでしょうが、

「大きいこと」と「小さいこと」が統合され

大小の次元を超えた

形容しがたいものになったという風に

受け取ることもできます。

 

 

さてそれで、前段の話はこれくらいにして、

本日のメインコンテンツを。

 

「生きている人」と「死んでいる人」、

「夢の世界」と「現実の世界」といった

ふつうに考えたときには重ならない2つのことが

ごちゃまぜに統合されている映像を

映し出している映画をご紹介。

 

わたしにとっては、

何度も繰り返し観てきたお気に入り作品なんですが、

昨年は鈴木清順監督の生誕100年にあたり、

大正浪漫三部作と言われる

『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』が

4Kデジタルリマスター版として蘇り、

11〜12月に名古屋の伏見にある

ミリオン座で観てきました。

 

 

 

個人的には二作目にあたる

『陽炎座』がわたしは一番好きなのですが、

夢と現実が交錯しているというか、

時間軸がぐちゃぐちゃで、

登場人物も生きているのか死んでいるのか

よくわからない作品という意味で

三作のなかでも筆頭ではないかと。

 

原作は明治後期から昭和初期にかけて

活躍した泉鏡花の小説で、

青空文庫のこちらのページで読むことができます。

 

ただ、原作の小説は、

現代文に慣れた方にとっては、

読むにはちょっとハードな文体表現なので、

まずは予告編動画を

ご覧になってみて下さい。

 

kagero-za『陽炎座』Trailer 予告編

 

この予告編動画の1分過ぎあたりに、

「彼方(あちら)此方(こちら)」とありましたね。

 

あちらとこちらが統合されてしまえば、

あちらの世界にいるのか

こちらの世界にいるのか二者択一でなく、

あちらでもなく、こちらでもない世界というか、

あちらでもあり、こちらでもある世界に

なってしまうわけで。

 

まあ、わけワカランっておもわれるでしょうが。笑

 

 

鈴木清順の人となりを知りたい方は、

NHKアーカイブ3分動画もどうぞ!

鈴木清順(すずきせいじゅん・1923~ 2017)
映画監督

 

この続きはまた明日に。

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

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