「統合する」ということ(その9)雲黒斎「フラットランドについて」①
2024/09/14
昨日9/13に投稿した記事の続きで、
「〝統合する〟ということ」をテーマにした記事も
これで8回目になりました。
これまで7回の記事で書いた内容を前提として
話を進めることがあるので、
未読分のある方は、
まずそちらから先にお読み下さい。
ばななさんの小説、鈴木清順さんの映画と
文藝作品が続いたので、
今日は一転して数学や物理、認知科学の話を。
9/5に次の記事を投稿しました。
・「高次」とは認識視座の増加である(雲黒斎さんのYouTube動画より)
この記事の最後で雲黒斎さんの動画3本を
紹介しシェアしたんですが、
ご覧になりましたか?
約1時間の動画を3本という
分量もさることながら、
中味もなかなかハードな内容でしたから、
ライブ配信時にリアルタイムに聞かれていて
コメントを返されていた方々の中には
話の内容について行けていない方も
少なからずいらっしゃったようで。
未知のことを
新たに理解しようとするときに、
自分が既に知っている知識に基づいて
解釈しようとしても理解には届きません。
つまり、既に知っている知識を一旦脇に置いて、
内容に対する
自分のジャッジメントを手放し、
まず、相手が何を伝えようとしているのか
虚心坦懐に耳を傾ける必要があるわけですが。
それで、シェアした雲さんの3本動画のうち
文字起こしして講義録をつくってみました。
ただ、1時間という長時間ということもあり、
文字数にすると1万字を超えてしまうので、
今日と明日の2回に分けて紹介します。
文字起こしは冒頭の前口上やお知らせは除いて、
5分過ぎて本題に入ったところから始め、
32分20秒あたりまでということで、
まずは前半部を。
2021.4.6
(引用ここから・太字化は井上)
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(5分経過したあたりから)・・・で、今日はですね、前回の続きです。前回評判が良かったんで――――僕もおだてられると木に上るタイプでございまして、だったら続きを話そうという―――まあ、あんまりやり過ぎると、お話会等で話すことがなくなるんじゃなかろうかっていう心配もあったんですけども、よくよく考えてみたら、前回放送したとおり、もう10年前に本に書いてた話を改めてしただけですから、そこはまぁいいのかなと思っております。
はい。で、本日のテーマは、こちらでございます。「既知を用いて未知を知ろうとする難しさ。非ずの世界」っていうことでございまして、どこかですね、宗教だとか、精神世界だとか、マスターと言われる方々の説明がですね、とても不親切に感じるところがあるんですよ。
単刀直入に言うと、「どうしてはっきり教えてくれないの?」っていうところで、それは何故なのかっていうことなんですけど、前回のフラットランドの話、あれを観ていただければ、あそこのチャットの書き込みでも、「だから言葉で通じないのか」って書いてくださった方が、何名かいらっしゃいましたけども、概念が無いから通じないっていう、そういうことなんですよ。
大切なポイントなので、前回のおさらいも含めて、もう一度お話ししていきたいと思います。はい。マスターたちもそうですし、僕も「これが答えですよ」っていうふうに、限定した言い方ってしていないんですよ。答えっぽく見える言葉っていうのは多数あるんですけども、実際言えないんですね、はい。
で、この間登場していただいたフラットランドの「丸さん、三角さん、四角さん」です。また今回もご登場いただきましたけれども、フラットランド、二次元の住人の「丸さん、三角さん、四角さん」なんですけども、この間お話ししたとおりです。はい。僕たちは、三次元にいるからこそ、二次元というこの平面の形を捉えることができます。
しかし、二次元の住人である彼らは、(ホワイトボードをヨコにしながら)こういう視点になってしまうので、全員が直線にしか見えません。はい。この構造をお分かりいただけますよね? で、前回はわかるかなと思ってずっとそのまま行っちゃったんですけど、ここでのポイントをもう一つ改めて抜き出すと、存在している我々の存在次元と認識次元には、差が生まれるということなんです。わたしたちの認識は、存在している次元よりも、一段階下がっているんです。
どういうことかをもう一度繰り返しますよ。はい。二次元の住人が見ているのは、認識できるのは、直線の世界だから、一次元は認識できるけども、二次元にいながらにして、二次元を観察することができないということですね。
これがアセンションするとどうなるかというと、存在は三次元なんだけども、認識は二次元になっているということです。必ずここに一次元のズレが発生するんです。だから、僕たちがいるこの三次元というものを、三次元の全体を観察するためには、四次元に行かないと、三次元の観察が成り立たないんです。ここまで付いて来れますでしょうか?
で、もう一度、はい。ここからちょっとした種明かし―――はい、種明かしってわけでもないけどね、僕のブログや本のタイトル『あの世に聞いたこの世の仕組み』という本のなかで、「あの世」っていうフレーズを使っておりますが、死後の世界のものを書いているわけではないんですよ。むしろ、死というものが存在しないっていう話をしつつ、「あの世に聞いたこの世の仕組み」っていうタイトルなんです。これを、前回今回の話になぞらえてタイトルの意味をお伝えすると、「四次元に聞いた三次元の仕組み」なんです。
というのも、三次元にいる我々は、三次元の仕組みがわからないからなんですよ。ついてこれるかな?だから、「雲さん」って言ってるのはね、結局、まあ守護霊って言ったり、ハイアーセルフって言ったりだとか、いろいろ言い方はあるけれども、結局、高次の存在っていうのは、三次元が観察できるんです。でも、ここで雲さんの歯がゆいところと言いますか、まどろっこしいところと言いますか、四次元で使われている言語が、三次元にないんです。
はい。で、いわゆるこのアセンデットマスターって言われる方々ね、色んなところで古今東西出てくるんですけど、このアセンデッドマスターっていう方々は、三次元が認識できる状態、要はアセンデット、次元上昇しちゃって、四次元の存在感というものを獲得しつつ、完全に三次元を観察できる状態になっているということなんです。で、う~ん、これはフラットランド。はい。その前に、ラインランドってありありましたよね? ラインランド、はい。ラインランドには、面というものがないんですよ。なので、面がないと。
もう一度やります。これ線です。えっとまずはポイントランド、点という世界。世界と言いつつ、ポイントっていうのは、完全に世界が閉じられている状態です。で、世界を前後に開いていって、ラインランドが誕生します。まず、世界を前後にトンネルを作るように拡張していった―――ポイントを移動する、存在が移動することによって、世界は開かれていきます。ポイントがポイントという観念の外に出る。それは、前や後という観念になります。でも、ポイントランドには、まだ前後という観念そのものがありません。概念がないので、言葉になっていません。
しかし、世界が広がったとき、その広がった世界に、前後という概念と、もう一つ言葉というものが生まれます。はい。その概念に付随した言葉が生まれます。今度、このラインランドが、前後という感覚の外に移動します。そうすると、そこにフラットランドが現れ、フラットランドに、今度は右左という概念と、その概念に付随した言葉が生まれます。
ラインランドには、右左の概念がないから、フラットランドから右を伝えようとしても、それはまだ未知なんです。で、ラインランドが知っているのは前と後ろという概念しかないから、右を伝えようとしても、「それは前のことですか? 後ろのことですか?」ということになります。
でも、どちらも、前も後ろも、右や左ではありませんから、「違う」と言うしかありません。これがマスターたちが僕たちに、「何々に非ず」「何々に非ず」と、常に真実は否定形で伝えているっていうことなんです。はい。これがフラットランドにアセンションしたときに、「ああ、右ってこういうことだったのか」「左ってこのことね」っていうのが分かるようになります。今度、このフラットランドの住人たちに、高さを伝える、厚みを伝えるということが、とても難しいんです。フラットランドには、概念がないからです。はい。
で、「あのね、僕たちがアセンションすると、そこには、新しい方向があるんだよ」っていう風に話をしても、それを仮に、あのフラットランドは聞いたこともない、「上下という感覚があるんだよ。高さという感覚があるんだよ」って聞いたとしても、「それは、前のことですか?後ろのことですか?それとも右ですか?左ですか?」って、やっぱりフラットランドの住人が知っている感覚を持って、高さを考えようとしてしまうということなんです。
はい。で、このフラットランドには、前後左右と似たような感覚の言葉の広がりが生まれています。例えば、「僕たちのあのフラットランドの上位の次元には、高さってあるんだよ」って伝えたときに、「へぇ~っ、その高さって、北のこと?」とか言い出すんです。前や後ろ右や左じゃないまた別な感覚の、「それって北のことかな?南のことかな?」って。でもそれも違うじゃない。何とかフラットランドにある観念でそれを捉えようとするから、話が既に知っていることに置き換えられてしまうんです。これが冒頭、今日話すよって言った、「既知を用いて未知を知ろうとする難しさ」っていうことなんです。
僕たちは、この三次元にいながらにして、ジャンプアップした四次元以降の世界、そこを知ろう、悟ろうとしているわけなんだけども、その四次元にある新しい縦、横、高さにプラス、何がつくのっていうのが分からない中で、縦、横、高さのスペースランドにある既知を使って、まだ見ぬその「単位」を知ろうとしているんです。だから、マスターたちは、「あれですか?これですか?」って聞いても、「非ず」「非ず」「非ず」ってなるんです。
だから、頭が悪いから伝えられないだとか、コミュニケーションが下手だから伝えられないとか、意地悪をして伝えていないとかっていう理由じゃないんです。気づくしかないとかって話すのは、絶対にここにある言葉では説明できないんですね。近いもので何とか示そうとするんですけど、それは近いものであって、そのものじゃないんですよ。
それを何とか伝えられないかと、この十数年、試行錯誤しているのが私のやってることでございまして。う~ん、難しいでしょう? はい。だから、言葉では伝えられないんだけど、実際に僕だけに限らず、知っちゃう人はいるんですよ。
で、ここからもう一度、フラットランド 、はい。あの物語をちょっと使わせてもらいながら、上位次元をどう理解していく術があるのかということを考えてみましょう。
このあいだ話したやつを組み合わせます。まず、ラインランドがあります。ラインランドに、フラットランドの図形というものを伝える手段に、どういうことがあるだろうかっていうと、このあいだ話しましたけれども、このラインランド上にフラットランドのこの図形を、スライドさせてスキャンしていきます。そうすると、ラインランドに最初表示されるのは、この点の部分から、徐々にこれが拡がって行って、また閉じていってという時間の経過———はい、これが出てくるわけです。
丸も同様に、ゆっくりこうなっていくわけです。そうすると、最初のフラットランドをラインランドに伝えるためには、ラインランドの今を見続けなきゃいけないんですよ。今が変化していってるでしょう?常に。これがこう移動することで。パラパラにすると、ラインランドの認識は、こうなるわけですね。通じるかな?
で、ラインランドの住人が、「前、これ見えてたよなあ」っていうことを引っ張っちゃうと、そのラインランドの住人は、それに引っ張られた図形を見ることになっちゃうんです。で、未来はどんなかな?って勝手な想像すると、せっかく示してくれたものが見えなくなるんです。ついて来れますか?
僕たちは三次元にいるから、図形を、時間というものを通さずに、過去も未来も一発で見ることができます。伝わるよね? [笑] はい。このロジックを、もう一次元上げて、三次元にいる我々が、四次元を知るためには、同様に今の変化をスキャンしていかないと、四次元が捕らえられないんです。
だから、禅っていうのは常に「今に在れ!」って言うんです。で、「今に在れ!」って言われて僕たち、もうすでに今にいるんです。前もやりましたけど、今は今ですよねー。経過しちゃった、もう過ぎた過去———これを延長させてたりしませんか?って話です。そうしたら、これは見れないでしょう? その人の認識している違う形が現れちゃうので、あるがままが見れなくなるんです。
はい。で、先人たち、マスターたちの言葉を聞いて、いまの感覚、いま起きているものを観察するよりも先に、きっとこういう形じゃないかなーと自分勝手に想像したり、こうあってほしいとか願ったりして、自分が思い描いている世界や経験したものを、引きずっている状態になるように、過去や未来を改ざんして、自分勝手な世界を引き寄せて作っちゃっているんです。
で、この形———自由にやっているようなつもりになっているところに、引き寄せの法則っていう、その人その人の、自由なこの形———正確にスキャンできないからこそ生まれた形っていう、現実を迎える事になるんです。伝わるかなぁ~。だから、今に在ることっていうのは、次の次元を知ることの最短の方法なんです。
流れに身を任せなさいっていうのは、事象はラインランドが動かなくっても、このフラットランド側が気づかせるために移動して来てくれているから。だから、起こるがままでいいんです。で、これはいいことが起きた、悪いことが起きたっていう風にして、「この線は受け入れたくない」だとか、「これは受け入れよう」だとかじゃなくて、すべてを認めていかないと、本来の形が伝わらないんです。
たかぎまさやさん、「次の次元を知ると、何がいいのだろう?」世界が広がるんです。うん。
ふうゆめさん、「わたしたちは三次元を認識できているのだから……」いやいや、わたしたちは、三次元が認識できてないんです。まだ僕たちは三次元にいて認識が二次元になっていることに気付けてないんです。
え〜っとゴン太さん、「なぜ、完璧となるのかがわからない。」この四角に良いも悪いもなく、ただ四角であることが完璧だからです。
で、もう一度これを正確に伝えたいので、繰り返しになりますが、はい。今のこのフラットランドをスキャンしていくとき、住人はフラットランドにいるのではなく、ラインランドにいる人の話になっていきます。ラインランドの住人は、現象はわたしが動かしているっていうふうに、現象がこうなっているのは、わたしがやったんだってついつい思ってしまうんですけども、ラインランドにいる人に、このスキャンってのは、ただスキャンすることだけはできるんですけど、このフラットランドの移動はできないんですよ。
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(引用ここまで)
この続きはまた明日に。
※冒頭の画像はイギリスの教育者であり神学者でもあったE・A・アボットが1884年に書いた小説『フラットランド』原書の表紙から
【参考記事】