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公私融合の仕事術三原則④(森清『仕事術』より)

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公私融合の仕事術三原則④(森清『仕事術』より)

公私融合の仕事術三原則④(森清『仕事術』より)

2024/10/28

昨日10/27に投稿した記事の続きです。

 

10/25に投稿した記事で、

森清『仕事術』(初版1999年刊・岩波新書)から

「公私融合」という本書の最重要キーワードを

具体的方法論に展開している

公私融合の仕事術三原則に触れた箇所を

本書の第2章から引用して紹介しました。

 

10/26からその内容に対して

わたし自身のコメントを記しているんですが、

今日の記事で4回目になるので、

そろそろキリをつけたいと考えています。

 

昨日までに投稿してきた記事内容を

前提として書くことになるので、

未読の方は次の記事から先にご覧ください。

統合すること(その23)森清・公私融合の仕事術

(その24 最終回)これまでのまとめ

公私融合の仕事術三原則①(森清『仕事術』より)

公私融合の仕事術三原則②

公私融合の仕事術三原則③

 

 

さて、本書を読まれた方のレビュー記事や

読書録の記事をいくつか読んだんですが、

そのなかに、公私融合を実践しやすい人と

実践しにくい人がいるのではないか

という意見がありました。

 

たとえば、わたし自身は

1994年に寺子屋塾を起業して以後、

30年以上にわたって自営業主という立場で

仕事をしている人間ですから、

企業に雇われている立場の人々よりは

時間の使い方の自由度は高いと言えるでしょう。

 

たしかに、業種の違い、職種や立場が異なることで

公私融合の実践しやすさ、実践しにくさといった

違いはあるかもしれません。

 

それでも、どんな人間であっても、

社会生活を営んでいる以上は、

公の立場と私の立場の両面が存在するので、

その両者に対しバランスをとりながら、

融合しようとする実践に関して言えば、

それほど大きく変わりがないのではないかと。

 

医師なら、趣味に寛いでいる時間でも、

急患の呼び出しには駆けつけなければならない。

警察官なら、勤務中に趣味のパチンコを

するわけにはいかないっていう

意見もあったんですが

それはまさに公私混同というべきで、

森清さんの言う公私融合の姿勢とは

真逆であり、対極にあるものでしょうから。

 

すくなくとも、森清さんが、

公私融合の仕事術三原則として示された

①ことの本質を見抜くこと

②全体像を見通す力を持つこと

③対立項で問いを立て、融合させて新しい価値を

 生むように努めること

に関しては、業種や職種、立場の違いで

実践のしやすさやしにくさが大きく変わるようには

わたしにはおもえません。

 

 

10/25に投稿した①の記事で引用したように、

三原則の③対立項で問いを立てる云々については、

2ページ以上にわたって

表と裏、ハイテクとローテク、デジタルとアナログ

最先端技術と仏教、大企業と中小企業、

生産性と生活性、男と女、仕事と趣味というように

具体例を挙げながら詳しく説明されていたんですが、

①と②についてはさらりと端的に

3〜5行のコメントで終わっていました。

 

そこで、本書から引用した部分の

コアとなる箇所を再度紹介しながら

わたしが森清さんの『仕事術』というこの本から

何を学んだかということについて、

公私融合の仕事術三原則に対し

わたし自身が実践してきたことで知り得た

わたしなりの見解を付け加えることで、

4回にわたって書いてきたこの記事の

結びにしようとおもいます。

 

 

①ことの本質を見抜くこと

たとえば、仕事の本質は何か。働きと生活の場で、生かし生かされることを体験し、そのことから社会的人間としての務めが仕事であるということを知るように、絶えず仕事の中でものごとを考え続けたい。

 

→ことの本質を見抜くとはどういうことか、

 どうすれば本質を見抜けるのかというのは、

 本書を読むよりも前から

 わたしの中にずっとあった問いです。

 

 森さんはここに「体験」という言葉を

 書かれていますが、

 ただ知識として知っているだけ、

 アタマで考えているだけで

 本質を掴むなんてことはできません。

 

 もちろん、内容にも因りますが、

 それが実践できるようなことであれば、

 とにかく、自分でまず実践してみることであり、

 そうした実践の中で考え続ける姿勢が

 何よりも重要だと考えるようになりました。

 

 このことは、らくだメソッドをはじめ、

 この寺子屋塾にて提供している

 学習メニューや講座プログラムのほとんどが

 体験と対話ベースになっていることにも

 現れています。

 

 たとえば、森さんは③のところに、

 仏教の話が例として挙げられてましたが、

 仏教について学ぼうとするのであれば、

 開祖であるお釈迦さまの何がわかって

 自分がどういう状態になれたら、

 自分は仏教の本質をつかめたと言ってよいのかと

 考えておくことは大切でしょう。

 

 でも、人間はアタマでわかったら実践できるという

 おもいこみ、勘違いが根強くて、

 すぐ思考優位になってしまう生き物ですから、

 ただアタマで考えアタマで理解するだけでは

 片手落ちではないかとおもうのです。

 

 つまり、仏教を学ぶことで、それが人間にとって

 普遍的に価値あるものであると

 受け止められたとしても、

 その学んだこと、わかったことを

 現実の生活や仕事に活かし

 自身の実践で体現できてはじめて、

 真に本質をつかんだといえるのではないかと。

 

 なぜなら、わかることとできることとは、

 別次元のことであるのはもちろん、

 この2つは車の両輪のようなもので、

 どちらが欠けても車は動きませんから。

 

 わたしの場合は、「学びの場づくり」が仕事なので、

 仏教について学んだとするなら、

 そのことを「学び方」という切り口において

 具体的にどう活かしてきたかについて、

 もう少し書いておくことにします。

 

 「学習」という言葉をイメージするときには、

 ほとんどの人は、学校で学んできた体験があり、

 「学校的学び方」が前提となっているでしょう。

 

 でも、〝学ぶ〟ことの本質について考えていくと

 「学校的学び方」というのは、

 あくまで多くある学び方のひとつにすぎず、

 「学び方」にはそれ以外にもたくさんあって、

 「学校的学び方」だけが

 絶対的に正しいことはないとわかってきます。

 

 寺子屋塾は、家庭でも学校でも学べない学び方、

 家庭や学校では学びにくいようなコト、

 学びにくいモノを学べるような場づくりを

 大切にしてきました。

 

 それで、たまたま藤田一生さんの書かれた本を

 読書会で取り上げたのがきっかけだったんですが、

 「学校的学び方」以外に

 どんな学び方があるのかという問いと、

 自分が仏教について学んだことを

 「学びの場づくり」にどう活かせばよいかという

 2つの問いが重なったとき、

 アタマだけでわかるだけでなく、

 自分自身の変容が伴った学び方として

 「仏教的学び方」という言葉があるということを

 知り得たのです。

 

 この「仏教的学び方」という言葉については、

 一般的に知られた言葉ではないので、

 その内容については、あまりピンとこない方が

 少なくないかとおもいますが、

 ここでは具体的に展開しませんので、

 「仏教的学び方」のタグがついた過去記事

 ご覧ください。

 

 

・・・ということで、①だけで

随分長くなってしまいましたので、

今日はここまでにしておきます。

 

結局4回で終えることはできなかったんですが、

この続きはまた明日ということで。<(_ _)>

 

 

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