本居宣長『排蘆小船』の一節をおもいだして
2024/12/16
坂口安吾『堕落論』を紹介したんですが、
わたしも最近この本を
久しぶりに読み返していて、
おもいだしたことがありました。
それは、江戸時代中期に
古事記を35年かけて読み解いて
『古事記伝』を著した国学者・本居宣長が
20代半ばに歌論として書いた
『排蘆小船(あしわけおぶね)』にある、
しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、
しどけなきものこそが
人間本来の本質であるという言葉です。
現代の日本語で「しどけなき」という言葉は
ほとんど使いませんが、
しまりがない、無造作な、頼りない、
打ち解け繕わない、というような意味。
はかない(儚い)、つたない(拙い)は
わかりますよね?
江戸時代なので、古語で書かれていますが
現代語訳がなくても
意味はほぼ理解できるとおもいます。
(引用ここから)
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歌の道は善悪のぎろんをすてゝ、
ものゝあはれと云ふことをしるべし。【55ページ】
詠歌の第一義は、
心をしずめて妄念をやむるにあり。
然してその心をしづむると云ふことが、
しにくきものなり、
いかに心をしづめんと思ひても、
とかく妄念がおこりて、心が散乱する也。
それをしづめるに大口訣(だいくけつ)あり、
まづ妄念をしりぞけて後に案ぜんとすれば、
いつまでも、その妄念はやむことなき也。
妄念やまざれば歌は出で来ぬ也。
さればその大口訣とは、
心散乱して妄念きそひおこりたる中に、
まづこれをしづむることをばさしおきて、
そのよまむと思ふ歌の題などに心をつけ、
或は趣向のよりどころ、辞(ことば)のはし、
縁語などにても、少しにても、
手がかりいできなば、
それをはしとして、とりはなさぬやうに、
心のうちにうかめ置きて、
とかくして思ひ案ずれば、
をのづからこれへ心がとゞまりて、
次第に妄想妄念はしりぞきゆきて、心しづまり、
よく案じらるゝもの也。【60〜61ページ】
人の情のありていは、
すべてはかなくしどけなく
をろかなるもの也としるべし。
歌は情をのぶるものなれば、
又情にしたがふて、
しどけなくつたなくはかなかるべきことはり也。
これ人情は古今和漢かはることなき也。
しかるにその情を吐き出す咏吟の、
男らしくきつとして正しきは、
本情にあらずとしるべし。【65〜66ページ】
※本居宣長『排蘆小船・石上私淑言 宣長「物のあはれ」歌論』より
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