寺子屋塾

たんたんと、ていねいに、こつこつと。(「きぼう新聞」インタビュー・第4回)

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たんたんと、ていねいに、こつこつと。(「きぼう新聞」インタビュー・第4回)

たんたんと、ていねいに、こつこつと。(「きぼう新聞」インタビュー・第4回)

2021/09/28

9/25からこの寺子屋blogでは、2017年に「きぼう新聞」に6回にわたって連載された、わたし井上へのロングインタビュー記事をご紹介しています。


今日は4回目になるんですが、初めてアクセス下さった方は、前回までの記事をぜひご覧いただいた上で本日分をお読み下さい。インタビュアーは安永太地くんです。

 

第1回「算数プリントで人生をデザインする塾・・・?」

第2回「井上さんのルーツと〝教えない教育〟に出会うまで」
第3回「教えない教育とは?」

 

(記事、ここから)

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前回は「教えない教育」について焦点を当てながら、「仕事」の話にもなりました。今回は、大人の社会人が多く通う寺子屋塾になっていったプロセスを詳しく探ってみようと思います。 
 
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安永:こんな塾は他に聞いたことがないし、井上さんにしかできない仕事のような気がするんですが、何を大事にしていたらこうなったんですか?

 

井上:諦めなかったからかなぁ...わたしもこの状態を目指していたわけではないし、結果的にこうなったというか、こうせざるを得なかったというか。これまでいろんなことに首を突っ込んできたんだけれど、結局は、らくだメソッドインタビューゲーム考現学(日々淡々と文章を書く)、未来デザイン経営ゲームという、自分でやってみる体験スタイルの学習ツールばかりが残って今のスタイルになった。始めたときにこうしたいという明確なビジョンがあったわけじゃないんだけど、続けることを止めなかったし諦めなかったんです(笑)。 
最初は子どもたちが対象だったんですが、子どもたちは邪魔さえしなければちゃんと育っていくので、わたしが関われる部分がほとんどないんですね。他のらくだメソッドの教室では、ほとんど子どもたち中心なんだけど、なぜかわたしのまわりには大人の人たちが「生徒になりたい」って集まってくるんです。いま在籍している塾生たちの平均年齢を計算するなら、たぶん35歳ぐらいになるとおもうんですが、わたし自身もなんでだろう?って不思議に思いながら、自然に大人の塾生が増えていきました。だから、「求めている人がいる限り、その一人ひとりに丁寧に関わること」を大事にしてきたんです。 

 

安永:その関わり方について、とくに大事にしていることは何ですか?

 

井上:自学自習、自問自答の姿勢が基本なので、わたしがお手本になるという意味でなく、学習者のいまをそのまま映し出す〝鏡〟であろうとすることでしょうか。 
また、自分の中でとくに大きなキーワードとしてあるのは〝日常化〟で、学習と生活を切り離さないこと、学習をその場限りのイベントにしないことにはこだわりを持って大事にしてきました。〝ホームスクーリング〟って言うこともあるんですが、学校よりも家庭での学習が基本だとおもうんですね。学習が日常生活の中にごく当たり前にあって、学ぶことは人間にとってごく自然なことって思えればいいわけで。 
合気道の多田宏さんが「道場(教室)は楽屋、生活が舞台」と仰有っているんですが、塾に行かなければ学べない、先生がいないと学べないというふうにならないように、教室を学習目的だけの擬似的な特殊空間にしないよう配慮しています。 生活そのものが「学び」という感覚が日常になってしまったら、建物としての学校はあってもなくてもいいし、先生がいてもいなくても構わないと思うんです。 


安永:生活自体が学びで日常を大事にする...それがセルフデザインしていく土台になるんですかね?

 

井上:そうですね。自分の内側よりも外側ばかり見ている人が少なくないですね。映画にたとえるなら、その映像を映し出している元の存在が自分自身だということに気づいていなくて、結果として映し出されたスクリーンの方ばかり見ている。だからここは、言ってみれば「自分で自分をありのままに見る学習」の場なんです。

自分を見るっていう行為は、たしかに苦しい面もあるんですが、苦しいのは良し悪しのモノサシに囚われているからですね。見たくない自分から目を反らし、本当は1枚の白い布きれにすぎないスクリーンを変えようとしているからで、その苦しみを生んでいるのは他でもない自分自身なわけです。
だから、 自分から目を反らさず、かといってフォーカスしすぎず、眺めるような感じが大事なんですね。 ジャッジメントを一旦脇に置いて、自分を観察し続けられるかなんですよ。結局、自分自身が人生の主役なんだし、外側ばっかり見ていてもねぇ...そうしたカラクリに気づいて、善し悪しなく眺められるようになったら、毎日が楽しいですよね。

 

安永:井上さん、いつも楽しそうですもんね。話を戻すとつまり、今の寺子屋塾は、まわりから求められることを一つひとつ丁寧に応えてきた結果なんですね。

 

井上:そうですね。それとね、教室を始めて10年経ったぐらいからまわりからお声がかかって、何故かファシリテーションの講座や研修を頼まれるようになったんです。 
わたしは過去にファシリテーションを学んだ経験はなく、専門家でも何でもないので不思議だったし、わたし自身も後から気がついたんですが、らくだメソッドのシステム自体にファシリテーションの種がプログラムされていた。だから、そうした講座では、ふだん教室でやっていることを講座の形に置き換えたり、教室をやりながら気づいたことなどをそのまま応用したわけです。
もちろん、相手からいただいた要望をちゃんと聞いて、自分のできるプログラムを少しずつアレンジしながら練り上げていった。それを10年間、繰り返し繰り返しやってきただけで、元になるモデルも目指すべき目標もなかったんですよ。 
だけど、そうしたら、大学を出ていないわたしが、今度は大学でファシリテーターを養成する授業をやって欲しいと頼まれるまでになってしまった。ホントにこれにはびっくり!です。 

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10年間たんたんとていねいにこつこつやることが大事なんですね。次回は30年間積み上げてきたからこその気づきを話してもらいます。乞うご期待!

 

【きぼう新聞特派員による後記】 
らくだメソッド開発者の平井雷太さんのお話を少ししますね。実は、平井さんは,教材開発が目的だったのではなく、自分の息子が不登校になっても困らないように、息子さんのために作ったのです。 そしたら息子さんのお友達が平井さんの自宅に集まって一緒に勉強するようになり、たまたまPTA の会報にその様子を書くと、たまたまそれが朝日新聞の記者の目に止まり、それが全国版に掲載され、約1000件の問い合わせがあった。そこかららくだメソッドを扱える指導者養成の講座をやらざるを得ない状況になったそうです。 
開塾当時は、井上さんは、自分が企画した講座で、すぐ頭の中が真っ白になって進行役が全然うまくできず、平井さんから「ホントにどうしようもない奴!」と叱られてばかりいたそうで、それが今では大学講師になるとは、ちょっと信じられませんよね。どうやってそうなったのか、と聞いてみると、井上さんはこうも言っていました。 
「相手の要望に丁寧に答えること。それと、提案されたことを基本的に断らない、というスタンスでやってきた。だから私の能力以上のことを求められることもあったので、それが自分の潜在的に眠っていたものを引き出してくれたのかもしれない。」 
今回のインタビューを通して感じたことが、今でもそのスタンスは変わっていなくて、きぼう新聞掲載のお願いも2つ返事で承諾を頂き、僕なり に完成したと思っていた原稿を添削してもらった時にもより丁寧で分かりやすい文章に再編集されていました。こうやって一緒に仕事をすると、また一緒に仕事をさせて頂きたい、としみじみと感じました。

<第74号へ続く>

※2017年9月10日発行「きぼう新聞」第73号より一部加筆修正し転載

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