桜沢如一『無双原理・易』はしがき より
2021/10/21
「無双原理」とは、あまり聞き慣れない言葉なんですが、統一教会とは関係ありませんww
易経を読み解くのはナカナカ易しくない課題なんですが、マクロビオティックの開祖・桜沢が、易経の世界観を12の定理に整理したものです。
もちろんこの「無双原理」はあくまで桜沢の解釈にすぎず、易そのものではありません。
でも、桜沢の創作かと言えば、そうも言えず、桜沢自身本書で、「これはわたしの発明だとか、発見だとかはおもっていない」と記しています。
現代人のわたしたちにとって古色蒼然とした感じを拭えない「陰と陽」を、西洋人にも理解できる物理科学のコトバに翻訳し、東洋思想の根本をわかりやすく表現したことは、桜沢の大きな功績だと言ってよいでしょう。
桜沢如一『無双原理・易』はしがきとして書かれている文章の冒頭部分を以下にご紹介。
(引用ここから)
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帝王の書、易は広大悉く備わる。
それは「宇宙の秩序」、万物が不断に展開し転換してゆく原理である。
つまり「無常」のメカニズムを教える。
易は古今無双千古不滅の「無常」の根本原理である。だから唯一無双の恒常の原理である。
それは哲学と科学を一貫し綜合する。易は実に「真理」の本体である。
それは現在の東西相剋、東西文明の正面衝突、空前の全人類の不安と恐怖を最高の綜合文明に展開せしめる方法を示す。
易はあらゆる思想と行動と技術に最高の審判を与える。
易は日と月のめぐる如く、めぐりめぐり、狂うコトなく正しく、しかも何よりも「易(やさ)」しい転換の原理である。
易とは倫理道徳のみの原理ではない。
易は広大悉く備わる、と言われている通り、実に万有に共通の根本的無双原理である。
人間の生活、人事百般の原理、政治、経済、倫理、道徳等の指導原理としての易は他に沢山説かれているから、本書において筆者は浅いながら主として科学及び応用科学の指導原理として身を如何に見るべきかを述べんと企てる。
人はダレでも幸福である。
そしてその精神的健全(徳)と、 肉体的幸福(健康)は、根本世界原理―――生命、人生、大自然の根本原理に関する発明、自得、理解の深さと体験の方向に正比例する。
だから幸せでなかったらその人の罪、無知、無理解である。
易は、この根本世界原理を最も簡素平易な言葉『陰陽』の二字(或いは符号)で 我々に教える。
易は相対抗する二元が大極の分極現象に過ぎないことを教え、その両極対立交渉消長の数を教える。(この分極現象こそ『我』人間の発生である。)
東洋がもし西洋より優れたものを有っているとすれば、それは常にこの変化自在融通無礙なる易が簡潔に代表するような東洋独特の大綜合精神から生まれたものに違いない。
西洋が如何に多くの優越をもっていても、その母胎が常に流通至難なる二元もしくは二元的分析的排他的精神の硬化、不利用さである点において、畢竟するところ綜合的一元精神に征服され、少くとも消化抱擁、止揚さるる運命を有っていることは否めない。
と同時に、全ての東洋の欠点はこの分析的精神によって訂正改造されねばならぬ。
易は分極性一元論である。
※桜沢如一『無双原理・易』はしがき より