福澤諭吉の『文明論之概略』を再読して
2022/08/26
金曜は読書関係の話題を投稿しています。
今年1月に下北カレッジを出て渡米し
7月末に帰国した長男が
9月上旬までわが家に居候しているんですが、
今日のお昼頃にわたしが教室に向かおうとしたとき、
「うちに、福澤諭吉の『文明論之概略』って本
あるかな?」と聞いてきたので、
「買った覚えはないけれど、だいぶ前に読んだような
記憶があるので、うちにはないけど、
もしかしたら中村教室にあるかも。」と返答。
諭吉といえば、『学問ノススメ』が
あまりに有名すぎて
他はあまり知られていないけれど、
たくさん著作を残しているんですね。
そういえば、5月の半ばに、
諭吉の読書をめぐる名言をとりあげて
・福沢諭吉「学問の本趣意は、読書に非ず」
を書いたこともありました。
『文明論之概略』は『学問のススメ』の続編にあたり、
諭吉40歳の1875年(明治8年)に発表された
主著とも言える一冊。
江戸幕府が倒れ、明治の新しい政府ができて
まだ間もないタイミングであったにもかかわらず、
諭吉が日本という国を、いかにグローバルにとらえ、
現状をちゃんと事実ベースで観察し、
深くものを考えていたかがよくわかります。
大局観、先見性、本質思考の三拍子揃っていて、
やはり、1万円札の肖像画に選ばれるだけの
人物と言えますね。
もちろん、西洋の歴史文化を美化しすぎている点など、
いまのわたしにとって、本書の内容は、
100%全面的に同意できるものではありませんが、
とりわけ、タイトルにもなっている
諭吉の文明についてのとらえ方や日本人観は、
非常に興味深いものでした。
ごく大雑把に本書全体の主旨を要約するなら、
・・・文明というのは、
外側に現れている形だけ真似ても仕方がなく、
内側に存在する精神性が大事。
そして、国内外の区別を明確にして、
わが国の独立を保つことが何よりも重要である。
つまり、文明はその独立を保つための手段にすぎず、
世の中の変革や文明というものは人の頭数ではなく、
智力の合計で実現するものだ。
日本人には徳力はあるかもしれないが、
自立した市民というものが存在せず、
また、自立した宗教も学問もない。
よって、智力をまず身につけることだ。
国がなく人もなくては日本の文明などない。
要は、「江戸幕府から明治政府に変わったが、
文明開化などと浮かれていないで、
一人ひとりが自分のアタマでちゃんとモノを考え、
自立し知性を身につけよ」ってことなんですが。
前記したように、ここ1週間ほどこのblogで
テーマとして書いている内側と外側の話、つまり
人間の内側にもともと備わっている能力が
大事という話にも通じていて、
今の時代のわたしたちが読んでも
まったく古くないように感じたこともあり、
本書の印象に残った部分を
そのまま引用して紹介することにしました。
この筑摩文庫版の斎藤孝さんの現代語訳については
賛否両論あるようですが、わたしは
諭吉を読む入口として、古めかしい文語体よりは
わかりやすく読みやすい口語体の
現代文から入るのは、わるくないようにおもいます。
(引用ここから)
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・百姓は市民のことを「軽薄だ」というし、市民は百姓を罵って「頑迷だ」という。その様子はまるで互いに片目を閉じてその美点を見ず見にくい点のみを見ているようなものだ。もし、その両目を開かせ、片目で相手の長所を見て、片目でその短所を見るようにすれば、長所短所の公平な観察ができて、その争いがやむばかりではなく、ついにはお互いを友とみなし、それぞれ益を得ることもあるだろう。P.27
・この交際は、商売でも学問でも、はなはだしきは遊びや宴会、あるいは訴訟や喧嘩や戦争であってもよい。人と人とが接して心に思うところを言葉や行動で示す機会があれば、大いにお互いの人情を和らげ、両目で他人の長所を見ることができる。P.29
・世論を物事の基準とし、それから外れることがあれば、異端だとか妄説だとして、すべての議論をこの世論の枠内に押し込めようとする。こんな状態では、智者というのは国のためにいったい何をすればよいのか。P.31
・かつての異端妄説はいまの常識であり、昨日の奇説は今日普通に話されているのである。今日の異端妄説もまた将来の常識や普通になることだろう。学者は世間のやかましさに負けず、異端妄説と言われることを恐れることなく、勇気をもって自分で思う所の説を吐くべきなのだ。P.32
・世界の文明を論じるに当たって、最上の文明国とされるのは、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国である。半開(半文明国)と言われるのは、トルコ、中国、日本などのアジア諸国で、アフリカ諸国やオーストラリアは野蛮の国と言われている。P.36
・戦争は世界最大の災いであるが、西洋諸国は常にこれを行っている。P.39
・周末の時代は、中国文明三千年の歴史の中でも異説や論争が最も盛んになり、まったく相反するような意見が世に出てきた時代であった。これは孔子や孟子などの儒教側からいえば、いわゆる「異端」である。しかし、孔子や孟子から見れば異端かもしれないが、異端の側から見れば、孔孟の方が異端なのだ。現在では、残された文献も少ないから、確かなことは言えないけれども、当時人心が活発で自由な気風があったことは推して知るべしである。P.50
・みなが盛んに意見を言うこと自体が、専制の邪魔になる。P.51
・「国体」とは、一種族の人民が集まって苦楽を共にし、他国の人に対して自他の区別を作り、自国人同士を他国人よりも厚く扱い、他国人のためよりも自国人のために力を尽くし、自らの政府で自らを支配して他国の制御を受けることを好まず、幸福も禍も自分達で引き受けて独立している存在を言うのである。西洋の言葉で「ナショナリティー」というのがそれだ。P.55
・「傷一つない見事さ」とは、国がはじまって以来、国体が損なわれず外国人に政権を奪われたことがない、というこの一点にあるのである。したがって、国体こそが国の本となるのだ。「政統」も天皇の血統もこれにしたがって盛衰するものと言わざるをえない。P.65
・現代、日本人の義務はただこの国体を保つことの一事にある。P.65
・いま、太平の時代の士族に向かって、刀を持ち歩く理由を詰問すれば、その人は「先祖からの習慣である」とか「士族のしるしなのだ」とかいう弁解をするだけで、ほかにはっきりとした理由は聞けないだろう。刀の実用性についてきちんと答えられる者などいないのだ。P.68
・文明とは結局、「人間の知性と徳性の進歩」である。P.84
・「気風はその国の人民が持つ知性や徳性の現れ」である。P.102
・中国はむかしから「礼儀の国」と称しており、これは自負でもあるが、実情がなければこういう名もないはずで、実際、むかしから中国には礼儀正しい見事な人物がいて、それに見合った仕事を成し遂げている例も少なくない。いまでも人物には乏しくないのである。しかし、国全体の様子をみれば、人を殺す者、物を盗む者は非常に多く、刑法はきわめて厳しいのに、罪人の数が減ることもない。その人情風俗が卑屈で賤しいのは、まさにアジア諸国の象徴である。だから、中国は「礼儀の国」ではなく、「礼儀の人が住む国」と言うべきなのだ。P.104
・一見すると、人間の心に法則はないように思われる。だが、実はそれには一定の法則があり、文明を論じる者はその方法を持っている。それは、天下の人心を一体のものと見なして、長いスパンで広く比較し、そこで実際に観察できるものを調べるという方法である。P.108〜109
・人心についても同様のことが言える。一個人、一家族についてその心の動きを知ろうと思えば、そこに法則があるようには思えないが、広く一国についてこれを調べれば、正しい法則があることは、晴れの日と雨の日を精密に割だすことと何のちがいもない。ある国のある時代には、智徳はこのような方向に進んでいた、とか、この原因によってこの程度の進み具合があったとか、このような邪魔があったのでこれくらい遅れた、とか、あたかも形あるもののようにその進退や方向を見ることができるのだ。P.109〜110
・広く物事の動きをみて、それが一般的に観察できるところによって比較するのでなければ、本当の状態は明らかにならない。このように広く実証的に考える方法を、西洋の言葉で「スタティスティック」(統計学)という。P.112
・前に言った結婚のことも、その近因をいえば、当人の心であり、両親の命令であり、仲人の言葉であり、その他さまざまな都合によって成立しているとは言えるが、これら近因だけでは、その事情を詳しく明らかにすることができないだけではなく、かえって混乱のもとになって人々を惑わすこともある。この近因を捨てて、遠因がなんであるかを探り、そこで食物の価格という事情にたどりつき、そこではじめて婚姻数の多い少ないを左右する真の原因に到達し、確実な法則を発見することになるのである。P.115
・しかし、文明を論ずる学者にとってはちがう。学者はヤブ医者だらけで、身近に見聞きしたことだけにこだわって、物事の遠因を探求することを知らずに、欺かれたりものが見えていなかったりで、つまらないことを言っては、軽率に大きなことをやろうとしている。まるで暗闇で棒を振るようなもので、当たりっこない。当人にとっては哀れむべきことであり、世の中にとってはおそろしいことだ。気をつけなくてはならない。P.116
・報国心も粗雑で未熟な者たちであったが、その目的は「国のため」であるから、公的なものだったのだ。主張するのは「攘夷」一か条の単純なもの。公の心で単純な主張をすれば、その勢いは盛んになる。これが攘夷論がはじめて力を持った理由である。P.145
・徳の分量は、わが国に不足していることはあるかも知れないが、いずれにしても焦眉の急でないのは明らかである。知恵については全く事情が違う。日本人の知恵と西洋人の知恵とを比較すれば、学問技術商売工業、最大の事から最小の事に至るまで、一から数えて百、千に至るまで、ひとつとして日本人が西洋人に優るところはない。P.206
・家康は実に三百年の太平の生みの親である。しかし、家康個人の徳について観察してみると、恥ずべき点は少なくない。中でも、秀吉が遺言で豊臣家を保護してくれるように頼んだのを無視し、秀頼を助けることをせず、彼を軟弱な人間として育て、石田三成のような人間をわざとそのままにしておいて、後日豊臣家を滅ぼす際の手段としたようなやり口は、特にひどいものだ。この点については、家康には一点の徳もないように思える。しかし、この不徳の人間が三百年の太平をひらき、人々を苦しみから救ったというのは奇妙な話ではないか。P.216
・これらの英雄たちは私徳に欠点はあったかもしれないが、叡智の働きによって大きな善をなした人物ということができる。一点の傷を見て、それで宝石全体の価値を計ってはならないのである。P.216
・日本や中国では、近世に至るまでこのような君主を生み出そうとして、常に失敗し続けている。P.235
・人間が持つ権力は、必ず堕落する。P.277
・古来わが日本は「義勇の国」と称される。日本の武人は荒々しく、強く、決断よく、誠実で率直であり、これはアジア諸国においても恥じるところがない。P.310
・専制政治は巧みであればあるほどその弊害も大きくなり、安定した世の中が続けば続くほどその弊害も深くなって、長い間の遺伝毒となり、安易には取り除けないものになるのだ。P.321
・困難をおそれず何かやってみようという勇気は出さないのだ。期せずして来た困難にはよく耐えることができるが、自ら困難に飛び込んで、将来の楽しみを得ようとする勇気を持たないのだ。P.323
・わが日本は貧しいと言われる。しかし、天然の産物は乏しくないし、農業については世界に対して誇るべきものも多い。決して、天然の貧乏国ではない。P.342
・人民がまず考えることは何か。「我が国の独立はどうなるのか」。これ以外にはありえない。P.346
・近年、外国人と交際するようになって、わが国の文明と外国の文明を比較してみると、表にあらわれる技術などが外国に及ばないのはもちろんのこと、人心の内部に至るまで、そのあり方がちがっていることがわかる。西洋諸国の人民は、智力活発で、自分で自分を管理し、社会や物事には秩序が備わっている。大は一国の経済から小は一家一身の処し方まで、とてもいまの様子ではわれら日本人の及ぶところではない。大雑把に言えば、西洋諸国は文明国で、わが日本はいまだ文明に達していないことが、今日に至ってはじめて明らかになったのである。このことを認めない人はないだろう。P.349
・今日の・・・国同士の交際については、ただ以下の二つの関係しかない。普段は物を売買して利益を争うこと。有事には武器を持って殺しあうこと。言い換えれば、今の世界は貿易と戦争の世の中、と言ってもよい。P.358)
・戦争は、独立国としての権理を伸ばす手段であり、貿易は、国が光を放つ徴候と言わざるを得ないのである。P.359
・いま試しに都内の様子を見てみるがいい。馬に乗り、車にのって意気揚々、人がこれを避ける者の多くは外国人である。たまたま警官や通行人や御者や車夫といった者が彼らと口論になったとすれば、外国人はまるで周りに人がいないかのように殴ったり蹴ったりする。・・・或いは、商売取引のことについて外国人を訴えることがあっても、それは結局向こうの国の基準で裁かれてしまうのだから、こちらに理があっても勝ち目などない。P.369
・いまの外国人の狡猾で剽悍なことといったら、公卿や幕府の役人の比ではない。その知力には人を欺く力があるし、弁舌の力もある。勇ましく争い、戦いでは力がある。それらを兼ね備えた一種法外な華士族と言ってもよい。万が一、彼らの支配をうけ、その下で束縛されることがあれば、その残酷さはまるで空気も漏らさぬ緻密さであり、わが日本の人民は窒息するに至るだろう。P.374
・外国交際は我が国の一大難病であり、これを治療するに当たって頼みになるのは、自国の人民をおいて他にない。その責任は重大である。P.383
・国の独立は目的であり、国民の文明はそれを実現するための方法と言える。P.387
・国の独立はすなわち文明である。文明国でなくては独立は保てない。P.392