向谷地生良『どんな種が蒔かれても実る黒土のような場』(今日の名言・その34)
2022/09/05
一人ひとりの成長には、 一対一のカウンセリングみたいな 関係ではなくて 不思議な場の豊かさがあるんですね、 べてるの家には。
誰が誰に何をしたかではないんですよ。 おそらく誰もそういう自覚がないのに、 ただ、一人一人がその中に真剣に、 あるがままにかかわることによって 場全体がいつも豊かになっているんです。 土にたとえれば、黒土みたいなものですね。
ですから、どんな種が蒔かれても それなりにおいしいものが実るみたいな、 そういう場ができているんじゃないかと。
そこには、気の短い人もいるし、 いつも怒ってばかりいる人もいるし、 笑っている人もいるし、 無関心な人もいるし、 自分勝手な人もいるし、 ものすごく思いやりある人もいるし、 非常にお節介焼きな人もいる。
いろいろな人たちがいることによって、 いつもその中がホカホカしている、 そういう場ですね。 ですから、誰もが心優しくて暖かくて善人で という風になる必要はないんですよ。
※映画『ベリーオーディナリーピープル(とても普通の人たち)』予告編その1(四宮鉄男監督作品・1995年)より向谷地生良さんのことば
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先週の「今日の名言」は、場の研究所・清水博さんの
「場に<いのち>がある」ということばを
とりあげました。
活きる〝場づくり〟の実践事例として、わたしが
寺子屋塾の起業前から今日まで
長年にわたって注目してきているのが、
北海道浦河町にあるべてるの家です。
映画「ベリーオーディナリーピープル」は、
未来デザイン考程を考案された清水義晴さんが
制作をプロデュースされたドキュメンタリー作品で、
冒頭ご紹介した向谷地さんの言葉は
(予告編1)の終盤部に登場します。
この連作映画は(予告編8)まで制作され、
その総てを合わせると上映時間は9時間36分に及び
おそらく世界で一番長い予告編映画に
なることでしょう。笑
わたしが初めてべてるの家を訪れたのは、
その(予告編1)の続編にあたる(予告編2)が
リリースされた1995年暮れのことでした。
映画の内容については監督された四宮鉄男さんの著書
浦河べてるの家から』に一番詳しいです。
べてるの家については、旧ブログでも
・自己決定とは自分ひとりだけで決めないこと⑵
・弱いところのそのまた弱いところの、その中の弱い
ところがすばらしい
などの記事を書いたので併せてご覧ください。
読み応えあります。
「弱さの情報公開」「安心して絶望できる人生」
「勝手に治すな自分の病気」「降りてゆく生き方」
「苦労を取り戻す」「偏見差別大歓迎」など
いわゆる世間一般の常識からすると、
非常識な言葉が沢山並んでいるので、初めて
べてるの家を知られた方はきっと驚かれるでしょう。
でも、一人一人が
ありのままの自分と向き合う場というのは
けっして順風満帆なことばかりではなく、
さまざまな問題や事件が日常的に発生しがちで、
べてるの家に対しては、
批判的なコメントも少なくありません。
最近、女性スタッフに対する
ハラスメント問題が持ち上がって
当事者研究の悪用と批判されたことがありました。
べてるの家の手法や理念を否定する意見に対して、
わたし自身は賛同しませんが、
いろんな見方や考え方があってしかるべきで、
傾聴すべきところは多いようにおもいます。
でも、だからといってわたしは、
べてるの家の実践を手放しで絶賛しているつもりはなく
全面的に褒め称える姿勢や持ち上げる言葉にもまた、
大きな違和感を感じざるを得ません。
事実関係がよくわかっていない
わたしのような外部の立場の人間が言えることは
どうしても限られてしまいますし、
また逆に、どうとでも言えてしまうからです。
結局、当事者研究もひとつの概念であり
ひとつの手法にすぎません。
よく切れる包丁にたとえるなら、
腕のいい板前が使えば美味しい料理を作り出しても、
使う人によっては人を殺める凶器にもなり、
包丁という道具自体に元々善悪は備わっていません。
これは、住みよい社会づくりのために、
どんなに法制度を整備しても、抜け穴はなくならず、
整備した法制度を悪用する人間が
必ず出て来てしまうジレンマが
存在することにも似ています。
つまり、当事者研究自体に善悪があるのではなく、
それをどういう目的のためにどのように扱うか、
扱う人間側の姿勢次第で善にも悪にもなり得、
それは、優れた手法であればあるほど、
その落差は大きいと言ってよいでしょう。
そもそも善悪二元論で割り切ろうとしたり、
べてるの実践を分析的に語ろうとする姿勢そのものに
無理があるようにわたしにはおもえますし、
「不立文字」といって言語化不可能と
拒否してしまう姿勢も違う感じがしていて、
そのあたりの葛藤をどう考えるかについては、
田口ランディさんの次のblog記事など読まれると
ヒントになるかもしれません。
例によってコメントが長くなってしまいましたが、
こうしたべてるの家の実践から、
わたしたちは何が学べるでしょうか。
映画ベリーオーディナリーピープルのビデオ上映会は
これまでに中村教室で継続的に開催してきていて
予告編7作品(3番のみ絶版)を
2クール開催したんですが、
2クール目が終了した一昨年の春コロナ禍が始まり
3クール目をスタートするタイミングを
逸してしまいました。
最近このblogで〝場づくり〟というテーマが
浮上してきていることもあり、ビデオ上映会を
近いうちに再開したいとおもっているのですが、
わたし自身もまた再度べてるの家のビデオを観ながら
<いのち>を活かす〝場づくり〟というテーマと
改めて向き合ってみようと考えているところです。