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読書をめぐって最近よくおもうこと

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読書をめぐって最近よくおもうこと

読書をめぐって最近よくおもうこと

2022/09/16

金曜は読書関連の記事を投稿しています。

 

中村教室にやってくる塾生から

読書について質問を受けることは少なくありません。

 

それこそ、読書について語り始めれば

キリがないほどたくさん出て来てしまうので、

最近よくおもうことを中心に書いてみようかと。

 

今日の名言シリーズの記事で、ショーペンハウエルの

読書についての言葉を紹介したことがあり、
そこに次のようなコメントを書きました。
 

そもそも全く別の環境に生まれ,

別の条件で育ったような一読者の立場で、

本で読んで知り得た情報だけを切り取って、

そのまま活用しようとしたところで

無理があるというのは当然のことでしょう。

 

知識や情報というのは、あくまで

考えるための素材にすぎなくて、

本に書かれたことをもとに

参照、対比、統合しながら

自分で考察してみることや、

どんな精神構造がその言葉を生み出したのか、

その人の精神構造そのものに

迫ってみようとする姿勢が大切だからです。

 

それで、きょうはこのコメントに書いた話を

もうすこし詳しく噛み砕いてみようとおもいます。

 

本をたくさん読んでいる人や、

学ぶことに対してモチベーションの高い人に

ときどき出会うのですが、

残念なことに、

その、本で読んだことや学んだことが

あまり生かされていないように感じることが

少なくありません。

 

つまり、本を読めば読むほど楽になっていく人と

苦しくなっていく人がいるんですが、

「ハテ、どうしてそうなってしまうんだろう?」と、

後者にあたる人を観察していて気づいたことは、

学ぶ楽しさや未知への好奇心ではなく、

不安や恐怖が読書や学習の動機に

なっているようなんですね。

 

テスト対策のためにたくさんのテキストに目を通して

暗記するという学生時代の勉強のやり方の癖から

抜け出せていないことも

その理由のひとつかもしれません。

 

原始人食を提唱されている崎谷博征さんが最近、

この話を裏付けるような記事を書かれていたので、

参考までにシェアしておきます。

『日本ななぜ減点主義なのか?〜俯瞰シリーズ』

 

先生が生徒を求めるよりも、

生徒の側から先生を求める方が先という話を

こちらの記事に、

適切なサイズの問いを立てることの大事さという話を

こちらの記事に書きましたが、このことは、

読書においても事情はまったく同じでしょう。

 

未来デザイン考程でいうと

第1局面の「理念設定」にあたるんですが、

本を読む前に、読む本を選ぶ前に

自分の中にどんな〝問い〟があるかを

自覚するのが先で、

その問いの持つ方向軸に沿って読書することです。

 

もちろん、ときにはそうではない

行き当たりばったりの読書とか、

濫読体験もあっていいでしょう。

 

でも、問いや方向軸を意識せぬまま、

読書を続けていると、自分の知識欲は満たされ、

物知りにはなれるかも知れませんが、

頭の中の情報がただ闇雲に

増えていくだけになってしまいます。

 

また、自分の思考回路、自分の辞書で

本に書かれている言葉を解釈したところで

内容の理解には届きませんし、

自分から著者の文脈に飛び込んでいこうとする

姿勢がなければ、せっかくの読書の体験も

自分の血肉として活用することは難しいでしょう。

 

つまり、著者の精神構造がまず原因としてあり、

本に書かれた言葉は、その結果として

出て来たものにすぎませんから、

あまりよくないたとえですが、

吐き出しカスのような存在でもあるんだと。

 

こちらの記事に、原因と結果の取り違えという話を

書いたんですが、

結果の方から原因にたどり着こうとする姿勢には

もともと無理があり、できることに限界があります。

 

よって、その元として存在している

著者の精神構造に迫ることが必要なわけですが、

それには、どういう視点を獲得できると、

こういう文章が書けるようになるのかとか、

どういう視座から物事をみていけばいいのかとか、

他の人とはどういうところが違うのかとか、

本を読んで得た知識、情報をもとに、

自分で考察するプロセスがどうしても欠かせません。

 

たとえば、今週書いた今日の名言の記事では、

吉本隆明さんの『共同幻想論』を紹介したんですが、

吉本さんはどうして

「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」という

幻想領域を三区分する見方ができたのか?

という問いを立てて考えてみるわけです。

 

構想のヒントはカール・マルクスの

「国家は共同の幻想である」という言葉から

得られたとあったんですが、背景として、

吉本さんの戦争体験に深く根ざしていることを抜きに

『共同幻想論』を読み解くのはほぼ不可能でしょう。

 

また、吉本さんは親鸞についての著書があるなど、

仏教に対する洞察、理解がとても深い方ですから、

お釈迦さまの説かれた「あるがままを観る」

如実知見の考え方が根底に感じられますし、

「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」という

幻想領域を三区分する着想の土台になる世界観には、

仏教の影響が大きいことも見逃せません。

 

それと、幻想領域を三区分する発想のポイントは、

何より「対幻想」にあって、

そこに吉本さんの独創性があるわけですが、

そのことは100分de名著の指南役を務められた

先崎彰容さんと鹿島茂さんの対談記事でも

中心のテーマに上っていますし、

それは、吉本さんが詩人であることと

深いつながりがあるんだとわかってきました。

 

このことについては、「個人幻想」的言語と

「共同幻想」的言語という

2つの次元の言語だけでは表現しきれないものが

存在しているということに気づかれ、

「対幻想」的言語の必要性を感じられたという話が

渋谷陽一さんがインタビューをまとめられた

『吉本隆明 自著を語る』という本に出てきますし、

その背景として、こちらの記事に書いたように、

31歳のときの吉本さん自身が、

友人の奥さんと三角関係の恋に落ち、
その人と同棲を経て結婚されたという体験が、

色濃く影響しているようにわたしにはおもえるのです。

 

もちろん、最後の話はわたしの個人的な推理で、

吉本さんに直接確認したわけではありませんし、

正しいかどうかはわかりません。

 

でも、このように書かれている内容の背景を探ったり

関連付けて考察していくプロセスを経てこそ、

TVドラマ「逃げ恥」を

『共同幻想論』の論旨と重ね合わせて

リフレーミングしながら観ることが可能になり、

そしてまた、

ガッキーと源さんはいずれ結婚するんじゃないか

という予感がわたしの中に生まれていったことにも

関係しているのではないかと。

 

 

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