対等とは何か? 上意下達的に教えない関わりについて
2022/09/24
土曜はらくだメソッド関連や塾生関連の記事を
投稿しています。
9/20に塾生の廣安祐文くんが〝対等〟をテーマに
blogに書いていた記事を興味深く読みました。
タイトルがまさに「問い」になっているわけですが、
らくだメソッドの指導においても
〝対等な関わり〟はとても重要なテーマです。
長と名の付く人や指導者と呼ばれる人たちは
ただ単に立場や役割が異なるだけで、
特別に偉いわけでも何でもないんですが、
廣安くんも書いているように、
人間として対等に接するというのは、
なかなか易しくない課題です。
過去に「先生と生徒」という関係性の人間関係を
生徒の立場で経験していない人は0%に等しく、
意識するしないに関わらず、
その過去に経験した関係性をわたしとの関係にも
そのまま投影してしまうことはないとしても、
それでも大なり小なり遠慮してしまって
言いたいことが言えないということは
どうしても起きてしまいがちですから。
たしかに、廣安くんの記事にあるように、
言いたいコトが言えて、遠慮しない姿勢さえあれば
対等な関わりが実現できているとは限りませんが、
立場が下の人間が、上の人間に対して遠慮せず
言いたいコトが言える風通しの良さとは、
立場が上の人間の度量の大きさでもあるので、
対等な関わりを実現するための
必要条件のひとつとは言えるでしょう。
それで、たとえば寺子屋塾では、
指導者が一方的に宿題を決めたり、
上意下達的に伝えようとしたりしない姿勢など、
学習者の自己決定権を保障する
セルフラーニング・システムを採用して
従来の「先生と生徒」という
固定化しがちな関係性を
見直そうとしているわけです(冒頭の写真参照)。
インタビューゲームの3つのルール
1.指導者のわたしには何を聞いてもイイ
2.答えたくないことは答えなくてイイ
3.聞かれてなくても話してイイ
をそのまま教室のルールにしているという話は
以前も書きましたが、指導者のわたしは、
それをどこまでしっかり受け止められるかが
問われます。
らくだメソッドについて、具体的には、
これまでに書いた
などのblog記事をご覧いただければとおもいますが、
こうするのが良いことだとか、
こうすべきだとかという通例に従うのではなく、
学習者自身が
「自分がどうしたいか」「相手にどうしてほしいか」を
ちゃんと表現できることを大事にしてきました。
もちろん、「こうしたい」「こうしてほしい」と
言ってもその通りになるとは限りませんが、
相手の自由意志を認めた上で
つまり、その通りになるという保障はなくても、
自分がどうしたいか、相手にどうしてほしいか、
その本心をちゃんと相手に言えるかどうかが
大事だとおもうからです。
また、このことを実現するために、
指導者であるわたし自身の関わり方の他に、
わたしがどういう場を
つくろうとしているかを示すために
「場づくりのルール」という話を
したこともありました。
関わり方も場づくりも、
共になかなか易しくないことではあるんですが、
言いたいコトをちゃんと言う姿勢の大事さは、
TVドラマ「逃げ恥」を見ていても実感したことで、
吉本さんの名言について書いたこちらの記事の終盤で
紹介したみくりさんと平匡さんとのやりとりが
まさにそうででしたね。
つぶやき考現学 No.42を紹介した
同じテーマについて書いた詞なので
併せてご覧ください。