らくだメソッドはなぜ計算問題中心なのか?(その2)
2023/03/21
昨日投稿した記事の続きです。
それにしても、今日はWBC準決勝ブラジル戦、
絵に描いたような日本チームの逆転サヨナラで
久し振りに興奮しましたね〜
あの逆転劇の様子をほぼ完全に予言?してた人が
いたようで、Yahooニュースのこちらの記事に
書かれていました(上記の写真も記事より)。
最終回はこうなります。大谷さんツーベース
吉田さんフォアボール(代走周東さん)
村上さん左中間へヒット 周東さん激走でサヨナラ
2009年のイチローさんをほうふつとさせる
村上さんのタイムリーでサヨナラ勝ちです。
もちろん、単なる偶然というか、
まぐれ当たりかもしれないんですが、
このblog記事でも最近しばらく書いていたように、
「大脳思考」を停止し、
「内臓感覚」がちゃんとはたらくと、
こういうことができるのかもしれません。
さて昨日は、
らくだメソッドの開発者・平井雷太さんの
第2章「教えない教育」より、
らくだメソッドはなぜ計算問題中心なのか
その理由について書かれた部分を
ご紹介しました。
それを読まれて
3/19に投稿したblog記事
で書いた内容にテーマが直結していたことに
気づかれたでしょうか?
あまりピンと来なかった方も
いらっしゃったかもしれないので、
『見えない学校 教えない教育』 の続きを
ご紹介する前に、
昨日の記事の要点を
すこし整理しておきたいとおもいます。
まず、計算問題 → 基礎
文章問題 → 応用
という図式は、必ずしも言い得たものではなく、
再考する余地有りという話についてですが、
結局のところ、文章題というのは、
問題文を読解する国語力が絡んでくるため、
それを切り離して考えないと、
純粋に算数・数学の問題として、
易しいのか難しいのかを単純に比較することは、
できないのではないかとおもうのです。
よって、平井さんが書かれていたように、
「応用問題」を、
「例題を参考にせず、教えられずに、
自分の力で解く問題」
と定義するのであれば、
計算問題であっても「応用問題」になり得るし、
文章題にも基礎と応用があると言えるわけで。
もちろん、どう定義するかという問題なんですが、
基礎か応用かというのと、
計算問題か文章問題かというのは、
次元の異なる話と考えた方が賢明でしょう。
結局、平井さんのアプローチは、
その子その人に備わっている
言語能力は個人差がとても大きいので、
その言語能力に左右されることなく
算数・数学の力を身につけるには、
どうすればいいかという
チャレンジでもあると言ってよいでしょう。
去年の10月に書いた次の記事も
関連する内容に触れているので参考にして下さい。
昨日紹介した文章は、
かけ算の意味を伝えるプリントや
文章問題を入れたプリントの話は、
平井さんのさまざまな試行錯誤をされた跡が
伝わってくる内容でしたね。
結果的にそれはうまく行かなかったんですが、
それでも、その試行錯誤があったからこそ、
「わかる」ということは
前記したように言語能力と絡んでくるため、
人によってものすごく個人差のある
問題であるため、
自分から疑問を持って調べてみようとおもって
自らアクションを起こしたときが
その子、その人にとっての
「わかる」ときとすればいいと気づかれたことが
とても重要だったようにおもいました。
この辺りについては、
易経64卦のひとつ山水蒙について、
師のスタンスとしては、
学ぶ側が問うことから始められるよう
努めることが、本来の教育なのではと書いた
次の記事も参考にしてください。
易経と教えない教育
つまり、「だれにもわかろうとする力が
もともと備わっている」と仮定するのであれば、
問われても居ないのに
まわりの人間が教えようとするのは、
余計なお節介になりかねないし、
無理に押しつければ、
勉強嫌いにさせてしまう危険性もあるので、
教えなくても、できるようになる教材として、
「計算問題」以上に最適なものはないんだと。
それで、概念を人から教えられなくても
自分で確実に力をつけていくことのできる
〝教えない〟セルフラーニング教材
らくだメソッドの誕生となったわけです。
※この続きはまた明日に
※今日3/21は春分の日でしたが
桜の花が咲いていたのでトップの写真に載せました。
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