らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その3)
2023/03/24
昨日の続きです。
第2章 教えない教育 より
3 なぜ、「わかる」より「できる」を重視したのか?
を以下のように2回にわたって紹介しました。
らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その1)
らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その2)
「教えない教育」という言葉は
誤解を招きやすい表現なんですが、
わたしは、教育の仕事において大切なことは
「教えること」だという考え方自体が
間違っていると考えているわけではありません。
ただ、「教えること」は
あくまで関わり方のひとつの側面であって、
それがすべてではないんじゃないかと。
たとえば、クルマの運転で言うなら、
「教える」ことはアクセルに、
「教えない」ことはブレーキにあたるわけで、
その両方がないと困ってしまいますよね?
このことは別に
日本だけに限ったことではなく、
英語では「ラーニング(学習)」に対し、
「アンラーニング(学習棄却)」という
概念が存在していて、このことは
昨年の2月に書いたこちらの記事でも触れました。
その記事に書いたように、
今日のように時代の変化スピードが速くて、
一度学んだことが
役に立たなくなってしまうことも
増えてきているんですが、
学ぶことの大事さは言われていても、
いったん身につけたのに
役に立たなくなってしまったことを
捨てる、クリアする、リセットする技術の大切さは
あまり言われることがありません。
また、実際に専任講師として進学塾に7年間勤め、
小中学生を相手に算数・数学の授業を経験した
わたし自身の実感していることでもあるんですが、
①先生が教えることによって、
②生徒がその内容を理解し(わかる)
③問題が解けるようになる(できる)
というプロセスを常にたどっているのかというと、
必ずしもそうとは限らないのではないかと。
まず、教えられたことの内容を
理解することができるかどうかは
個々の学習者自身の
それまでの学習の積み重ねと言語能力に
依存する部分がとても大きいので、
とくに、成績の良い一部の子どもたちにとっては、
「教える」やり方でも問題ないとおもうのですが、
残念ながらそういう子どもたちというのは、
一部の限られた存在なんですね。
したがって、半分以上の子どもたちが、
②の段階でわからない状態に陥っているのが現実で
仮に②の段階は辛うじてクリアできたとしても、
次なる③の段階ができないという状況、
つまり、教えられた事柄の内容が理解できても
それを実行することができない状況に
なってしまっているんじゃないかと。
いわゆる
「アタマではわかっても身体が動かない」
っていうヤツです。
あと、平井さんが書かれた文章の(その1)は、
モト学校の教師で
水道方式の学習塾をされている方からの質問に
答える形で書かれていましたが、
わたしも高校時代に父親から奨められ
読んだことがあり、
そこに書かれている内容のわかりやすさに
感動したことがありました。
平井さんと同じように、
一時期は水道方式にはまって、進学塾時代も、
水道方式のテキストで教えていたことも
あったので、平井さんの文章を読みながら
そんなことをおもい出していたんですが、
楽しい授業、わかりやすい授業をやれば、
たしかに、学ぶ人間のモチベーションは
上がるかも知れません。
でも、当時わたしの居た場は進学塾でしたし、
それが子ども達自身の成績upにつながるかというと、
残念ながらそういう手応えは
あまり感じられなかったんですね。
それと、教える行為にはメリットばかりではなく、
メリットとデメリットの両面あることを
ふまえることがとても重要ではないかと。
そのことをとてもわかりやすく書かれた
篠原信さんのblog記事をちょうど読んだので、
こちらにもシェアしておきます。
成績がどうのこうのということよりも、
学ぶことを楽しめるかどうかが
重要だというのは、本当にその通りですね。
小学校1年生からやり直すのが得策という話は、
寺子屋塾で行っている学習にも通じる話ですし
篠原さんのこの記事には、
改めて詳しくコメントしたいとおもっています。
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