講演録『教えない教育、治さない医療』(その7)
2023/04/27
※講演録『教えない教育、治さない医療』(その6)からの続き
井上:それでは、後半の部を始めたいと思います。そもそも医療と教育というのは、普通は別々のことのように思われているようなんですが、お二人のお話がどのようなところで結びつくかが、とても興味あることだったんですね。山下さんと平井さんは今日初めて会われたということですので、医療や教育が今後どういう方向へ向かって行くのか、というようなことをテーマにしてお二人に自由に対談していただければと思います。今日は山下さんの方から先にお話しを伺いましたので、今の平井さんのお話を聞かれて、どのような印象を受けられたかというところから山下さんにお願いします。
山下:たぶん、言葉は違いますけれども、同じようなことをおっしゃっているんじゃないですか。というのは、世の中っていうのは本当のことはひとつしかないというか。だから、どっちから見ても言い方が違うだけで、行き先は同じだろうな、という気がしますね。たぶんぼくのところで医療という言葉を教育に変えていただければ、多分同じことだと思いますし、平井さんのおっしゃった教育というのを、わたしのところで医療といえばそれでいいと思います。ダブった話をしているので、どちらかにした方がいいかもしれませんね(笑)。
平井:医療で行きましょうよ(笑)。
山下:いやいや(笑)。えーっと、将来の医療ということは、実は医者というわたしたちの存在というのは───えー、坊主と、警官と、あと法律関係の人と、教育関係の人ですね───いらないのでは、と思います。なかなか人間はそこへ行けないかもしれないけれども、実はわたしたちの存在ということがはっきりしたら、医者なんていうのは要らないみたいなことになる、そう思っています。で、わたしたちは自分たちが消えるために一所懸命仕事をしているという存在でしかない。だから、あまり大きな顔のできる商売ではないんで、えー、まあ、だんだん消えて行けるように、上手に大往生できるように、今を楽しく仕事をしているということであります。その行き先は皆さんが決める、というか、皆さんといっしょに決まっていくことで。
あの、いつも思うんですけど、医療がいっぱいこの世の中にはいっぱいありますね。たとえば、西洋医学もありますし、東洋医学もありますし、アーユルベーダもありますし、世の中には外縁的医療ということ───医療というのはたくさんあるんですよ。なんでこんなにたくさんあるのか。たぶん教育もそうだと思いますが、それは、皆さんの意識レベルがどこにあるかということで決まる。よく言うんですけれども、名古屋の駅前に行くと、手相見がたくさんおりますけれども、どの手相見でもいいというわけにはいかないでしょう?たぶん、この手相見がよく当たるんじゃないかと、まずあなたが選んで手相見の所へ行くわけですから、もうその時点で答えは決まっているんですよ。つまり、全部占っているのは自分なんですよ。だから、どの医療にかかるかというのも、ぼくのところでなければならないとも思いませんし、西洋医学でも良いし、東洋医学でもいいし、アーユルベーダでもいいし、それはそのひとの意識レベルの問題で、自分の意識に合ったところに、とりあえず行くしかないわけですから、また、だいたいそういうようにできていますから。世の中に、いいとか悪いとかは決められないんで、その人の意識のレベルに準じた生活をしていただく、ということでしかないんじゃないかなと思うんですね。さっき平井さんもおっしゃったけど、頭が良いとか悪いとかいうこともないですよね。
うちの息子の話をしますと、小学校の終わり頃に非常にきびしい食養をひと月やらしたことがあるんです。で、そのとき何を言い出すかというと、トポロジーということ───ぼくもトポロジーってよく知らないんですけれど、あの「三角形の二辺の和は、一辺よりも長い」というのは普通のユークリッド幾何学のものの考え方ですよね。 わかりますね。わかりますでしょう? (黒板に三角形の図を書き、三辺をそれぞれa,b,cとする)、つまり、a+b>cという、これはいわゆる普通の考え方なんですけど、これをうちの息子はa+b=cだと。簡単に言えばこれがトポロジーという考え方なんです。実は、あの、何でそうなるんだ、っという話をしたら、えー、結果的には間違い───ユークリッド幾何学でいくと、間違いなんですが、彼は彼なりの方法論で、「無限に等しい」と説明するわけですね。
で、どうもぼくらというのは本当は何もかも知っている───実は皆さん、学校へ行ったらものを教えてもらっていると思ってみえるんでしょうけれども、実は大ウソであって、ぼくらの知っていることを人間世界で表現できるように、その表現方法を習いに行っているんですね、習っているとしたら。学校の先生の役目というのはせいぜいそのくらいのものです。で、ぼくら医者の存在もそうなんです。治りたがっているものを、どう見てあげて、本当に治る方向に、その人が治って行く力を、阻害しないようにしていくかということなんです。
井上:あの、今、最初お話されたことをそのまま教育に置き換えて頂ければという、すごくこう同じことを別々の場所でしているというようなことで、お話し頂いたことと思うんですけれど、別々の場所で全くお会いになったことのないお二人が似たようなことをされているということが非常にまず一つは興味深いことだと思うんですね。というのは、時代の動きというか、これからの時代の方向というか、そういうものをやはり自分は感じるんですけれども………。
山下:あの、その辺を言いますとね、「シンクロニシティ」という言葉があります。犬山のお猿さんが芋を洗うことを覚えますと、広島のお猿さんが同時に芋を洗いだすんです。意識というのは全部つながっている───ちょっと、5分だけ下さいね(笑)───わたしが、わたしたちが凝縮して生まれて来たと、よくお話しするんですけれども、この世界は───ぼくは勝手にこれをイノチの最小単位と、そう考えているわけですけれども、それが寄り集まった、めちゃくちゃたくさん寄り集まったのが宇宙意識だと。そういうふうに思っているわけです。で、宇宙意識っていうのはこの空間みたいな存在で、その、太陽も月もあらゆる星も地球も、全部そういう空間から凝縮をして生まれて来たわけです。これはもう当然認められているわけですけれども、わたしたちも同じように凝縮をして生まれて来たわけですね。ですから、その意識っていう、わたしたちはそういう意味では、(黒板に「意識の表現形」と書いて)───えーっと何を話してましたっけ?(笑)こうやってすぐ忘れるんです(笑)───あの、私たちは意識の表現形でしかないんです。だから、何もかも本当は知っている、ということで、だから自分の意識がどう動くかということで、皆さんは───あの、存在するというのは皆さんが見たものしか見えていないわけでしょう。見えないものは見えないでしょう。だから皆さんが、自分は大宇宙を全部見たんだと思ってみえるけれども、実は見て見えるのはその人の意識の範囲の中でしかない。
だから、目の前に起こってきた事実というのは、全部自分の見方の中で起こっているわけで、その辺の感覚が少しおわかりになると───(黒板に「変性意識」と書きながら)───どういうことかといいますと、心理学の方では変性意識というもの。自分が自分でなくなったときの意識、たぶん平井さんが無意識、無意識に文章を書いているとか、ぼくなどが患者さんを見て、無意識に診断するとか、そういうことなども、変性意識。例えばこれは「悟る」という言葉とか「悟った世界」と同義語に近いことだと思います。実はそういうことで、わたしたちは本当のことが見えてくる。だから、そのために私たちは知識というものをあんまり詰め込まないほうがいい。知識を詰め込むたびに孤立して行くんですよ。皆さんが自立している自立していると思っていることは、無縁孤立の世界なんです。で、この、さっきも言いましたように、宇宙意識という非常に大きな空間からわたしたちが生まれて来る、凝縮するということは、例えば、水。空気を圧縮すると水になり液体になるのと同じように、見えない世界から見える世界に出てきただけの話なんです。だからさっきの「シンクロニシティ」ということも(黒板に斜線を組み合わせた影の図を書きながら)、わたしたちの存在というのは───これを遠いところから見ると2つ影があるわけですけれども、こういう存在でしかないんで、実は空気の濃淡のようなものです。わたしたちは、個々で存在していると思っているけれども、実は存在していないんです。同時にこういう濃淡という形でしか存在していないんですから、こちらで考えたこともあちらへつながっているのは当たり前なことなんです。
だから、病気ということも、よく言いますけれども、個人が病気しているのではなくて、社会が病気して───四日市が公害都市だったというようなこともそういうことだと。皆さんが公害を起こすような工場を誘致する政治家に1票を投じたから起こったんでしょう?それだけのことなんです。だから全部自分の───あらゆる自分に起こって来る結果というのは、自分の意識の産物でしかないわけで、人様をどうこうしようと言っているよりは、自分が変わるというか、そこが一番大事なんです。ポイントなんです。だから、教育もたぶん同じことであろうと思うんです。
井上:あの、今、お話を聞いていて思ったことはですね、今日参加されている方には、この後半の部が始まる前の休憩時間に質問を書いて頂いたんですが、「意識というのを具体的に詳しく知りたい」と書かれた方がいらっしゃいまして。実はこの質問用紙を山下さんにはまだお見せしていなかったんですけれども、にもかかわらず、今のお話は、何とこの質問の答えそのものですよね?ですから、非常におもしろいなと。この質問を書かれた方いらっしゃいますか? 今のお話しでおわかりになりましたか?
質問者A:ちょっと難しいですけれど……
山下:もう一つ言いますと、認識は脳でするんです。
質問者A:身体に起きるということとは違いますか?
山下:身体全部。身体全部が意識なんです。
質問者A:知っているんだけども気づかない、というような………
山下:それは「思い」です。よく言うんですけれど、ぼくはよく「神さん」という言い方をするんですけれど、「神さん」というのは、よく英語で“God”という言い方をするんですけれど、わたしが言う「神さん」というのは、英語でいうと“that”にあたる、存在そのもの───何とも言いようがないけれども「あれ」と言わないとしょうがないのが「神さん」です。ぼくらの存在もそういう存在なんです。ちょっとややこしい話でね、何かわけのわからんという顔されてますけど………。身体全体が意識のかたまりで、だからこそ、意識が脳とは別に意識が抜けて行けるということがあり得るんです。
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