なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?
2023/05/23
ここ1週間ほど、このblogでは、
「対幻想的やりとり」について
さまざまな側面から掘り下げてきました。
たとえば、5/19に投稿した記事では、
どうして「対幻想」という概念を
吉本隆明さんがつくられたかという話を
渋谷陽一さんがまとめれらた
『自著を語る』という書物から、
吉本さん自身の言葉で紹介したわけですが、
なぜ、こういう着想をしたのが
日本人の吉本さんだったのでしょうか。
なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか、
どうしてそれまでだれも
「対幻想」という概念の必要性に
気がつかなかったのでしょうか。
今日はこれらの問いについて
アプローチするためのひとつの素材というか、
入口を呈示することしかできませんが、
たとえば、日本人としての集団のあり方や
個と集団とのつながりを考えるときには、
「世間」という言葉は欠かせません。
ヨーロッパ中世史が専門の歴史学者で
一橋大学の学長を務められた阿部謹也さんが、
その学長在職中1995年に書かれた
『世間とは何か』という著作があるんですが、
おそらく、阿部謹也さん以上に
この日本人特有の「世間」という
共同幻想のあり方を掘り下げて考え
対象化しようとした人はほとんどいないでしょう。
ということで、以下の文章は、
序章「世間とは何か」からの引用です。
(引用ここから)
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この100年の間わが国においても社会科学が発展してきたが、驚いたことにこのように重要な世間という言葉を分析した人はほとんどいない。私達は学校教育の中で西欧の社会という言葉を学び、その言葉で文章を綴り、学問を論じてきた。しかし、文章の中では扱わないことを会話と行動においては常に意識してきたのであって、わが国の学問が日常会話の言葉を無視した結果がここにある。いわば世間は、学者の言葉を使えば「非言語系の知」の集積であって、これまで世間について分析した人がいないのは、「非言語系の知」を顕在化する必要がなかったからである。
しかし、今私達は、この「非言語系の知」を顕在化し、対象化しなければならない段階にきている。そこから世間のもつ負の側面と正の側面の両方がみえてくるはずである。「非言語系の知」を顕在化することによって新しい社会関係を生み出す可能性もある。
明治10年(1877)頃にsocietyの訳語として社会という言葉がつくられた。そして同17年頃にindividualの訳語として個人という言葉が定着した。それ以前にはわが国には社会という言葉も個人という言葉もなかったのである。ということは、わが国にはそれ以前には、現在のような意味の社会という概念も個人という概念もなかったことを意味している。
では現在の社会に当たる言葉がなかったのかと問えばそうではない。世の中、世、世間という言葉があり、時代によって意味は異なるが、時には現在の社会に近い意味で用いられることもあったのである。
明治以降、社会という言葉が通用するようになってから、私達は本来欧米でつくられたこの言葉を使ってわが国の現象を説明するようになり、そのためにその概念が本来持っていた意味とわが国の実状との間の乖離が無視される傾向が出て来たのである。欧米の社会という言葉は、本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかし、わが国では個人という概念は訳語としてでてきたものの、その内容は欧米の個人とは似ても似つかないものであった。
欧米の意味での個人が生まれていないのに、社会という言葉が通用するようになってから、少なくとも文章のうえでは、あたかも欧米流の社会があるかのような幻想がうまれたのである。特に大学や新聞などのマスコミにおいて社会という言葉が一般的に用いられるようになり、わが国における社会の未成熟あるいは特異なあり方が覆い隠されるという事態になったのである。
しかし、学者や新聞人を別にすれば、一般の人々はそれほど鈍感ではなかった。人々は社会という言葉をあまり使わず、日常会話の世界では相変わらず世間という言葉を使い続けたのである。
※阿部謹也著『世間とは何か』序章〝非言語系の知〟 より
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