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なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その4)

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なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その4)

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その4)

2023/05/26

昨日投稿した記事の続きです。

 

5/23よりこのblogでは、

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか、

「対幻想」という概念を生み出した吉本さんが

なぜ日本人だったのかについて

考察する記事を書いているんですが、

今日の記事が4回目になります。

 

過去記事を未読の方は、次からどうぞ!

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?

(その2)

(その3)

 

阿部謹也さんの『世間とは何か』をもとに、

明治以前の日本には

「世間」という言葉はあっても、

「社会」という言葉も「個人」という言葉はなく、

society や individual の訳語として

維新後に使われ始めたことに触れました。

 

『世間とは何か』の目次や本の内容や

はじめに、おわりにから抜き書きをしたページ

見つけたので

お手元にこの本をお持ちでない方は

参考にしてください。

 

また、その2、その3では晩年に夏目漱石が行った

講演の記録を紹介しました。

青空文庫のウェブサイトで全文公開されているので、

それを読まれれば、漱石がイギリス留学中、

神経衰弱(うつ病)に陥った経験が

その後の人生にどんな影響を及ぼしたのか、

当時の世の中をどう見ていて、

どんなことを考えながら小説を書いていたかが

おおかた想像できるんじゃないでしょうか。

・現代日本の開化

・私の個人主義

 

精神科医・森山公夫さんの『和解と精神医学』には、

精神を病んだ人の実例が、有名人一般人問わず

たくさん紹介されているんですが、

その中に漱石のことが次のように書かれていました。

 

彼は何回かうつの状態に陥るわけですけれども、

一番有名なうつ状態は、34歳でイギリスに渡り、

2年間留学していた時のことです。

その中で彼は、一方でお金があまりない、

それから、英文学を勉強しても

結局イギリス人に勝つことは

できないじゃないかということで、

英文学研究に自信をなくしてしまう。

また、もう一方で故郷を離れ、家庭を離れて

ロンドンというまったく異郷の人びとの中で

下宿生活をせざるをえない。

奥さんのところへ手紙を出すけれども、

奥さんは当時二人目の子どもができ、

また奥さんの実家が

ちょうど没落しかけたところでいろいろ大変で

奥さんからの手紙もなかなかこない。

こうして漱石も、

一方では仕事の世界での挫折を味わい、

もう一方では家族と離れ、家族との意思疎通が

ままならないという孤独がある。

そういう状況の中で、

だんだんとうつ状態に陥ると同時に、

一種の被害妄想に悩んでいった。

このうつ状態が約3年続いたというわけです。

(中略:しかし彼は、そういう体験を経て)

自己本位という立場を確立して、

人真似をしていたんでは駄目なんだ、

自分の生きる道をキチンと見出さなくちゃいけない、

それが自己本位である、自分が主で他人は賓なのだ

という立場をうち立てたわけですね。

 

漱石をめぐる有名なエピソードの一つで、

次のサライの記事に紹介されている話も

参考になるかもしれません。

40歳の夏目漱石が東大教授への昇進話と引き替えに

手に入れた人生の宝物とは

 

漱石という人は、一中(現在の日比谷高校)を

首席で卒業した後、東京大学英文科に入学、

その後イギリス留学までしたエリートで、

講師という立場でしたが、

東大で4年間英語を教えていたことがあります。

 

その漱石が1907年、

教授に昇進という内示も出ていたのに、

それを断って一切の教職を辞し、

朝日新聞社に入社し、まわりの人を驚かせました。

 

今でこそ、明治の文豪と称されていて

そこから職業作家としての道を

自ら歩み始めようとする意思表示であり

行動であったと納得できるわけですが、

当時の日本では、小説を書くということは

下賎な職業とされ、

多くの人に認められたものではなかったからです。

 

1911年には、文部省から文学博士の学位授与の

連絡があったときに、

「小生は今日までただの夏目なにがしとして

 世を渡って参りましたし、

 これから先もやはりただの夏目なにがしで

 暮らしたい希望を持っております。

 したがって私は博士の学位を

 いただきたくないのであります」

拒否したことも。

 

また、鏡子夫人の『漱石の思い出』によると

漱石は、妻宛ての手紙の中で

「おれは博士なんかにはけっしてならない。

 博士だからえらいなんて思うのは

 たいへんなまちがいだ。

 博士なんていうものは、やってることは

 いくらか知ってるでもあろうが、

 そのほかのことはいっさい知りませんという

 はなはだ不名誉千万な肩書きだ。

 だから人はどう言おうと、

 おまえはおれの女房なんだから、そんな

 くだらない博士の夢なんぞみてはいけないし、

 そんなものだからえらいんだなどと

 誤解してはいけない。

 おれは生涯どんなことがあっても、

 そんな称号はけっしてもらわないつもりだ」

って書いていたらしいんですね。

 

『我が輩は猫である』や『坊っちゃん』の

ストーリーをこのような背景をふまえて読むと、

漱石の小説がなぜ多くの日本人に

読まれ続けてきたのか、納得できる感じがしますし、

漱石の世間に対する見方、考え方、身の処し方を

推測できるエピソードだとおもいます。

 

ちなみに、吉本隆明という人は、

夏目漱石のことがとても好きで、

高く評価されているんですが、

吉本さんが生涯大学教授や公的な役職には就かず

在野で無位無官を貫かれたのは、

もしかすると、漱石の影響なのかもしれません。

 

続きはまた明日!

 

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