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なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その5)

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なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その5)

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?(その5)

2023/05/27

5/23よりこのblogでは、

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか、

「対幻想」という概念を生み出した吉本さんが

なぜ日本人だったのかについて

考察する記事を書いているんですが、

過去記事を未読の方は、次からどうぞ!

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?

(その2)

(その3)

(その4)

 

今日の記事が5回目になるので、

そろそろ核心部分に迫っていきたいんですが、

5/19に投稿した記事

「対幻想的やりとり」ってどんなコミュニケーション

でも紹介した、渋谷陽一さんが

吉本隆明さんへのインタビューをまとめられた、

『吉本隆明 自著を語る』という本がありました。

 

この本の最終章に収められている

『心的現象論』についての章から引用します。

 

今日の記事では引用のみで、

この部分へのコメントは

明日の記事で展開する予定です。

 

(引用ここから)

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心的現象論が目指した広大な地平
渋谷 で、先ほど伺った〈関係〉と〈了解〉という二つの軸によって、心の存在や機能を理解していくのは『心的現象論序説』の部分で、その後本論に入るとそれぞれの身体器官がどう認識し、知覚するのかという「身体論」のディテールをひとつひとつ詰めていかれる。つまりかなり研究的なアプローチに入られていくわけですけれども、僕なんかから見ると、これはなかなか終点がないんじゃないかなあと。つまり序説の中で、心はあるんだというひとつの結論が出た段階で文芸批評的にはオッケーなんじゃないかという気もするんですが。


吉本 そうでしょうね、オッケーなんですよ。それより先のことは、人それぞれでずいぶん違いますからね。そこはやっぱりね、こりゃ無理じゃないかなと思う。


渋谷 はははは。だからこの『心的現象論』は、本論に入ってあまりにも広大な砂漠に踏み出し過ぎちゃったのかなあと。たとえば序説の部分で了解可能な心っていうものの存在が確認され、証明されれば、文芸批評的には成立し得るのではないかと思うんです。 たとえば『言語美』も『共同幻想論』もあそこから踏み出していこうと思えば、それこそ人類が誰も足を踏み入れてないような広大な大草原が広がっているわけですけれども、最終的にはある一定の地点で完結をした。ただ、何ゆえこの『心的現象論』は、そこで止まらずに本論まで行っちゃったのかというのが僕には不思議なんですね。


吉本 それは結局ね、個人の心の働き方と複数の人間の心の働き方―――つまり「共同幻想論』が扱っているような領域があるとしたら、ひとりの人間の中に共同幻想的な領域と、個人の心の働きの領域があるし、またその中間には性を基盤とするもの――――僕は 「対幻想」という言葉を使ってますけど――――が、ひとりの人間の中で繋がってるんだよっていう、自分ではそこでやめてるつもりなんですけどね。ただ僕が素人の好奇心から、 その専門の分野の人が書いたものに深入りしてしまったのでよけいわかんなくなっちゃったっていうというのは、僕なりのひとつの弱点だとは思います。だから求心点だけを取り出していくと、個人幻想と共同幻想っていうのはどこで繋がっていくかということなんです。それからもうひとつは「心が逆立ちする」っていう表現はおかしいですけどね(笑)、個人幻想と共同幻想が繋がっていくところまで来ると、心が逆さまに機能するということがあるわけなんですよ。これはたとえば岸田(秀)さんのような心理学者の人はいくら説明しても納得しないわけなんです(笑)。つまり、個人幻想が複数集まったのが共同幻想だとこう思っているわけ。だけどそうじゃない。個人幻想が共同幻想に行くときには、個人幻想は逆立ちしちゃうというのが本質ですよと。それは東洋ではなぜかそう考えにくいんですけど西欧のほうだったら簡単な話で。たとえば共同幻想としての国家というのを考えた場合に、向こうの人は、普通の心を持った個人が集まったのが国家の共同幻想だとは考えてないんですよ。つまり個人が集まると、途中でねじれがあって、その個人の幻想が逆さまになると考えてる。だからたとえば政府っていうのがあるとすると、政府というのは要するに逆さまになった心の集まりだということなんですね。つまり、安倍さんという総理大臣がいるとしたら、安倍さんの総理大臣としての機能というのは、要するに観念、つまり精神の働き方だけが機能してるだけで、あの人個人が何が好きで、何が趣味で、どういう性格を持ってということは関係ない。観念の問題であり、心の問題なんですね。


渋谷 となると要するに、『心的現象論』で吉本さんがずっと考えてらっしゃった心の働きや身体論、あるいは様々な認識論や知覚論は、たとえば『共同幻想論』における対幻想の問題、個人幻想の問題、そして共同幻想の問題そうした多くのモチーフが非常に統一的に機能し始め、それによって世界を了解していくんだという手応えを吉本さんは、感じられたということでしょうか?


吉本 そうですね。だから僕は決して専門家や医者のように治療をしながら薬を飲ましてとか、そういう領域にはちっとも踏み込んでないんです。 心の問題だけにしか踏み込んでないつもりでおるわけですけどね。そうやって別に俺の問題じゃないよっていうふうなことは、わりあいによく心得ていて。ただときどき逸脱することもあるんだけど(笑)。

 

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