改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)
2023/06/06
ブレヒトの言葉を取りあげましたが、
「書くこと」をテーマにした記事が
3日ほど続きました。
今月半ば頃からはいよいよ
自宅のリフォーム工事が始まるので、
しばらくバタバタしそうということもあり、
一つのテーマをじっくりと掘り下げていくのが
よいかなと感じているところです。
今日は、平井雷太さんが1995年に出版された
『「〜しなさい」と言わない教育』の表紙を
冒頭の写真に使ったんですが、
平井さんがらくだメソッドを使って
教室を始めた頃のエピソードなども紹介しつつ、
そもそも、らくだメソッドの教室で、
なぜ、「書くこと」というテーマが
浮かび上がってきたのかということを
「教えない教育」という切り口と絡めつつ
書いてみようかと。
マクロビオティックの創始者・桜沢如一は、
『ゼン・マクロビオティック』などの著書に、
「実践なき理論は、無用の長物であり、
理論なき実践は、危険である。」
という言葉を残しています。
つまり、実践(技術)と理論は
車の両輪のようなもので、
結局のところ、どちらも大切というか、
片方だけでは車は前に動いていきませんし、
当たり前のことを言ったまでではあるんですが、
世の中全体を見渡し、
そのバランスを考えてみたときには、
頭で考えるばかりで身体を動かそうとしない
大脳思考優位な人が圧倒的に多く、
順序としては、
「理論よりも、まず実践だ!」となるわけです。
そうです!本当にやらずに考えているだけ、
いやいや考えているつもりで、
結局のところ何もせず
ただ「悩んで立ち止まっている」だけの人が
本当に少なくないので。
そして、これはとっても大事なことなので、
何度強調してもし足りないくらいなんですが、
大事なのは「順序」で、
理論は要らないって話じゃありません。
したがって、この言葉は、
万人に対し言っているものでないことに注意して、
自身がまず、実践ばかりで
ふりかえり考えることが足らない人なのか、
考えるばかりで実践が足らない人なのか、
それを判断することが
一番最初に考えるべきことなんだというのが
大前提なんですが・・・
行動する 考える 行動する
これは、未来デザイン考程の開発者であり、
プロデュースされた清水義晴さんの師匠にあたる
藤坂泰介さんの言葉です。
日本におけるボーイスカウト運動の
草分けでもあった藤坂さんは、
「教えない教育」の実践者でもありました。
「わかること」と「できること」は
別次元の話ですから、
何かがわかっていたとしても、
その何かができているとは限りません。
実践は行動という形で外側に現れてきますから、
見えやすく判断しやすいのですが、
わかったか、わかっていないかという問題は、
人間の精神、心という見えない領域の話なので、
その基準を設けることも、
わかっているかどうかを判断することも
いずれも難しいというのはお解りいただけますね。
さて、平井雷太さんは、藤坂さんのこの
「行動する 考える 行動する」を
まさに実地で体現されてきた方で、
これから数回に分けて、
平井さんにとっての「書くこと」実践記や、
考現学という概念と出会ったプロセスなど、
らくだメソッドの内容や教室運営とも絡めながら、
ご紹介しようとおもいます。
以下は『「〜しなさい」と言わない教育』の
第3章「できる・できない」を考えず、ただやる
教育とは何か」の「書くこと」後半から。
(引用ここから)
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・・・しかし、「すくーるらくだ」という学習塾を自分でやるようになってからは大変でした。教室を開設した当初から『らくだ通信』という月刊紙を毎月発行すると決めたからです。そして毎月、何を書いていいのかわからなかったからです。「書きたいこと」がそうそうどこにでも転がっているわけでもありません。ですから、このときほど「書けないこと」を自覚をしたことはありませんでした。毎月決まった発行日に通信を発行すると決めたことで、初めて体験できる貴重な「書けない」体験でした。
気分で書いているときには、書きたいときに書いているのですから、「書けない」体験はしようと思ってもできません。しかし、毎月発行の通信は発行日が決まっていますから、悲惨です。決まった発行日に通信を出さなければ、塾の信用にかかわります。そればかりか、途中からは通信代をいただいていましたので、発行が滞ることになれば通信代を返さなくてはいけません。まさに、「書ける・書けない」を考えず、ただ書く体験を余儀なくすることになったのは、らくだ通信を発行するようになってからのことでした。
なぜ私が「すくーるらくだ」の教室をやっているのか、なぜ教えない塾なのか、採点をしないで何で月謝をもらっているのか、何を生徒の親たちに伝えたらわかってもらえるのか、皆目わかりません。どうすればこの仕事の趣旨を伝えることができるのかと、毎月通信を発行することを決めたことで、次の通信には何を書くかを、毎日考えないわけにはいかなくなりました。通信発行日の数日前にあわてて通信のネタを探そうと思っても、急にそのネタが目の前に現れるわけありません。
私のような不器用なものがあわてて原稿を書けば、やっつけ仕事になり、どんな結果になるか、火を見るよりも明らかです。ですから、気がつけば自然と、書くことが苦手であったが故に、毎日のように教室で通信のネタになるようなことを探すようになりました。こんなふうに自分の教室を眺めるようになったことで、今、自分の教室で何が起きているのか、子どもたちの起こす行動の一つひとつにどんな意味があるのかを考えるようになり、漠然と見ているだけでは決して見えるはずのないことが見えてくる体験ができるようになっていったと思います。
また、私が通信を書くために張ったアンテナは教室の中ばかりではなく、教室の外にも広がっていきました。テレビのニュースや新聞にも敏感になって、教育についての本が出れば買い求め、教育とは分野の違う人の話でも、その人のどこかに、私がらくだの教室でやって感じていることと重なることがあれば、その話をメモする。また、講演会に出かけていっても、その話が興味深ければ、それを自分の通信にどのように使ったらいいのかと考えるようになり、日々アンテナを張りめぐらしながら生活していくようになったのです。
そればかりか、自分の書いた文章に全然自信がなかったばかりに、通信の原稿をできるだけ早め早めに書き上げるようにしていました。そして、その原稿をらくだ通信に掲載する前に、何人もの方に、特にらくだメソッドのことをほとんど知らない人に見てもらって、意見を聞くようにしていました。「どこかわかりにくいところはありませんか」「何が言いたいか伝わりますか」「この意見をどう思いますか」と聞いていくと、「どうしてこんなことが言えるのか」「親として不愉快だ」「何を言いたいのかよくわからない。一人よがりの文章ですね」というような辛辣な意見が返ってくるときがよくありました。そんな意見ばかりを聞かされると腹の立つこともありましたが、そこで怒ってしまっては次からは何も言ってくれなくなってしまいます。
「なるほど、そうか。その人がそう感じてしまったのは事実なのだから、その考えを否定しても仕方ない」と思って、自分の書いた文章を何度も眺めていると、時にはガラッと文章が変わってしまうことがあります。私の書きたかったことはこんなことではなかったと、これでは部分的なところを直してもラチがあかないと、時には全体のテーマさえ変わって、すべてを書き直すようになることもしばしばでした。読者の気持ちを配慮して書いたつもりでも、この表現では親を責めた表現になっている、これを読んだ子どもは自分のことを題材にされて恥ずかしいと感じているかもしれないと、そんな指摘をされたときには、すぐに書き直すことにしていました。これが「赤入れ」です。
これも私が自分の書いたものにまるで自信がないおかげで、苦しまぎれにとった私自身の「書くこと」への方法でした。私一人で書いているのであれば、どうしても一人よがりな表現になってしまいます。そうしている限り、自分の文章の表現が変わっていくことはなかなか難しいと思うのです。そこで自分一人ではできないことを、私以外の人に補ってもらって、多くの人の協力を得ながら一回も休刊することなく、どうにか百号まで出し続けることができました。
それが『らくだのひとり歩き』(社会評論社)としてまとめられていますが、「書ける・書けない」を考えず、ただ書く体験をした結果がこの一冊になりました。なぜ私がすくーるらくだをやり続けているのか、このような形で通信を出し続けていく中で、「私がなぜすくーるらくだのような教室を作ったのか」「すくーるらくだをやることで何に気がついていったのか」の一端を少しは伝えることができたのではないかという気がしています。
第3章「できる・できない」を考えず、ただやる教育とは何か」より
この続きはまた明日に!
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