吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑(「論語499章1日1章読解」より)
2023/09/03
今日は久しぶりに論語499章1日1章読解から。
わたしは学生時代は漢文が苦手で、
それ以後も論語にはあまり関心がなくて
ほとんど触れたことがありませんでした。
それでも、毎日少しずつ学んで行く
寺子屋塾方式でアプローチすれば
何とかなるんじゃないかと
あるときおもいたちました。
つまり、499章ある論語も、1日1章ずつ読めば
499日あれば終えられますから、
2019年の元旦から翌年5月13日まで約1年半の間、
全部で499章ある論語を1日1章ずつ読解して
その内容をFacebookに投稿することを
日課としていたことがあります。
それで、このblogでは、
その中からわたしが個人的に大事だとおもう章を
少しずつ紹介してきました。
そのことについて書いたふりかえり文を
2021年11月半ばに
3回にわたって紹介したことがあるので、
未読の方は次の記事をまずご覧ください。
また、これまで紹介してきた章についてなど、
論語関係の記事をご覧になりたい方は、
タグ「論語」をクリックしてください。
今日は、論語の中でもとりわけ有名な
「子曰ク、吾十有五ニシテ學ニ志ス」で始まる
為政第二の4番(通し番号20)をご紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【為政・第二】020-2-04
[要旨]
孔子が自らの人格修養の過程を年齢を追う形で回顧したもの。
[白文]
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。
[訓読文]
子曰ク、吾十有五ニシテ學ニ志ス、三十ニシテ立ツ、四十ニシテ惑ハズ、五十ニシテ天命ヲ知ル、六十ニシテ耳順フ、七十ニシテ心ノ欲スル所ニ從ッテ矩ヲ踰エズ。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、吾(われ)十(じゅう)有(ゆう)五(ご)ニシテ学(がく)ニ志(こころざ)ス、三十(さんじゅう)ニシテ立(た)ツ、四十(しじゅう)ニシテ惑(まど)ハズ、五十(ごじゅう)ニシテ天命(てんめい)ヲ知(し)ル、六十(ろくじゅう)ニシテ耳(みみ)順(したが)フ、七十(しちじゅう)ニシテ心(こころ)ノ欲(ほっ)スル所(ところ)ニ従(したが)ッテ矩(のり)ヲ踰(こ)エズ。
[ひらがな素読文]
しいわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす、さんじゅうにしてたつ、しじゅうにしてまどわず、ごじゅうにしててんめいをしる、ろくじゅうにしてみみしたがう、しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがってのりをこえず
[口語訳文]
先生がこう言われた。「わたしは十五歳で学問に志し、三十歳で一人前に仕事ができるようになり、四十歳になってもひとつの枠に納まることなくはみ出していたけれど、五十歳でようやく天から与えられた使命を知るに至った。六十歳になって人の意見を素直に聞けるようになり、七十歳で自分の芯と呼べるものができ、身体が求めるものと頭が求めるものとが過(あやま)たず一致するようになってきた。」
[井上のコメント]
「論語」の中でも非常に有名な章で、不惑を「惑わず→迷いが無い→いかなる事態に直面しても、信念を持って行動できるようになる」と訳されるのが一般的です。ところが、「惑」という漢字そのものが孔子の時代には無かったという説があり(安田登『身体感覚で論語を読みなおす』)、惑は境界を示す「或」、限定する意味の「枠」と解し、「不惑=つくられたわくに嵌まらずはみ出す」との見解を採用しました。また「思うままに振る舞っても道を外れないようになった」が一般的な七十歳についても、安田登さんの解釈を参考にしています。
[参考]
・【ブック】孔子は「惑わず」とは言わなかった 安田登さん~「古代中国の文字から 身体感覚で『論語』読み直す」春秋社