或曰、雍也、仁而不佞(「論語499章1日1章読解」より)
2023/09/08
昨日に続いて、今日も論語499章読解からで、
今月はこれで6回目になりました。
今日は、孔子が門人・雍の人物評を通じて、
弁舌が巧みなことと仁者であることとは
関係がないと述べている
公冶長第五の4番(通し番号96)です。
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【公冶長・第五】096-5-4
[要旨(大意)]
孔子が門人である雍の人物評を通じて、弁舌が巧みなことと仁者であることとは関係がないと述べた章。
[白文]
或曰、雍也、仁而不佞、子曰、焉用佞、禦人以口給、屡憎於人、不知其仁、焉用佞。
[訓読文]
或ヒト曰ク、雍ヤ、仁ニシテ佞ナラズ、子曰ク、焉ンゾ佞ヲ用ヒン、人ニ禦ルニ口給ヲ以テスレバ、屡々人ニ憎マル、其ノ仁ヲ知ラズ、焉ンゾ佞ヲ用ヒン。
[カナ付き訓読文]
或(ある)ヒト曰(いわ)ク、雍(よう)ヤ、仁(じん)ニシテ佞(ねい)ナラズ、子(し)曰(いわ)ク、焉(いずく)ンゾ侫(ねい)ヲ用(もち)ヒン、人(ひと)ニ禦(あた)ルニ口給(こうきゅう)ヲ以(もっ)テスレバ、屡々(しばしば)人(ひと)ニ憎(にく)マル、其(ノ)仁(じん)ヲ知(し)ラズ、焉(いずく)ンゾ侫(ねい)ヲ用(もち)ヒン。
[ひらがな素読文]
あるひといわく、ようや、じんにしてねいならず、しいわく、いずくんぞねいをもちいん、ひとにあたるにこうきゅうをもってすれば、しばしばひとににくまる、そのじんをしらず、いずくんぞねいをもちいん。
[口語訳文1(逐語訳)]
ある人が言った。「雍(よう)は情けを知り、口下手だ」。先生が言った。「なぜ口車を回す必要があるのか。人を黙らせるのに早口を回す者は、たいてい民に憎まれる。雍の情けなど知らないが、それでもどうして口車を回すのか。」
[口語訳文2(従来訳)]
ある人がいった。――
「雍は仁者ではありますが、惜しいことに口下手で、人を説きふせる力がありません」
すると先師がいわれた。
「口下手など、どうでもいいことではないかね。人に接して口先だけうまいことをいう人は、たいていおしまいには、あいそをつかされるものだよ。私は雍ようが仁者であるかどうかは知らないが、とにかく、口下手は問題ではないね」(下村湖人『現代訳論語』)
[口語訳文3(井上の意訳)]
ある人が言われた。「雍という人物は仁の徳をもっているが、弁舌が上手くない。」先生(孔子)が言われた。「どうして弁舌が達者である必要があるのか? 口先の弁論で人を言い負かしても、人から恨まれやすくなるだけだ。雍が仁者であるかどうかはわたしには分からないが、弁舌が達者であるかどうかは大きな問題ではない。」
[語釈]
爲:思い通りに動かす
政:政治
以:用いる
譬:たとえる
如:~のようである
北辰:北極星
居:位置する
其:「その」という指示代名詞。
所:場所
而:そして
眾:多くの
共:同じくする
之;「これ」という指示代名詞。
[井上のコメント]
雍は、孔子の門人で孔門十哲の一人。姓は冉(ぜん)、名は仲弓といい魯の国の人。侫とは弁舌巧みなこと。冒頭のある人とは、雍(よう)の上役にあたる人なのでしょうか。自分の家臣の口下手なところを嘆いて孔子に相談したのかもしれません。学而第一の3番には「巧言令色、鮮シ仁。」とあるとおり、孔子は、弁舌爽やかな表現の巧みな人間をあまり信用せず、自らは体験したことしか語らなかったと伝えられています。雍の父親が卑賎な階級の出身だったという記述が『史記』の弟子列伝にあり、いわゆるイイトコのぼんぼんではなかったがために、端正で流暢なコトバ使いができなかったのかもしれません。「焉ンゾ佞ヲ用ヒン」を2度も繰り返していることからも、孔子の語調がかなり強い様子が窺え、朴訥な雍への愛情が感じられました。
[参考]