建前と本音(阿部謹也『大学論』より・その2)
2023/09/24
昨日投稿した記事の続きです。
昨日は歴史学者・阿部謹也さんが
一橋大学で学長をされていたときに、
1993年に執り行われた入学式の式辞で
『大学論』という著書に収められている
「自分とは何か」と題された文章の内容を
原文のままご紹介しました。
本日の記事で以下記すことは、
その式辞の内容に対するわたし自身のコメントと、
阿部さんが1997年卒業式の式辞として話された
内容の紹介です。
よって、昨日の記事を未読の方は、
先にそれを読まれてから
以下の文章を読んで下さると幸いです。
式辞の前半は、「自分自身を知ること」の大切さ、
そして、自分をただ知るだけではなく、
知った自分を変えてゆこうとして人は学ぶのであり、
その重要な要素が、
人との出会いであるということでしたね。
寺子屋塾での学び方〝セルフラーニング〟とは、
自分で学ぶという意味ですが、
学ぶ自分自身を対象化し、自分を学ぶ
自己発見学習という要素も含んでいます。
でも、残念ながら自分ひとりでは、
自分自身を知ることは至難の技で、
まわりの人との関わりや
対話のできる場が欠かせません。
たぶん、すでに寺子屋塾で
らくだメソッドのプリントを通じ
セルフラーニング方式で学んでいる皆さんが、
この文章を読まれれば
わたしがなぜ
この文章をこの場に紹介したかったのか、
ピンと来るものが
きっとあったのではないかとおもうのですが、
残念ながら、未体験の皆さんには
なかなか想像しにくいものだったのではないかと。
よって、30年前に語られた文章ではありますが、
なぜ、今の時代に
そうしたスタイルの学習が重要なのか、
セルフラーニングの主旨や目的について
考えていただく素材にしていただければと考え
紹介した次第です。
式辞の後半には、
「近代化と合理化」「個人と社会」という
中見出しがありましたが、
なかなか難しい課題が呈示されていましたね。
この言葉が語られた30年後にいるわたしたちは
この30年間の日本社会の歩みをふりかえって、
たどることができるわけですが、
日本社会は、阿部さんがこのときに
危惧されていた問題が解決されていく方向とは
逆方向に向かっていったようにも感じます。
2月にわたしは次のような記事を書きました。
一昨日の記事で紹介した、
宮台真司さんと波頭亮さんの動画も
このテーマを考えるよい素材となるように
おもいましたし、
一橋大学で教員をされていた方が書かれた
次の記事も参考になるかもしれません。
・私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々
さて、今日のメインコンテンツにあたる
一橋大学の1997年卒業式で阿部謹也学長が語った
式辞の内容です。
建前と本音という二枚舌な構造が
なぜ生まれてしまったのか考えてみて下さい。
また、晩年の阿部謹也さんの姿を観ることができる
貴重な動画を見つけましたので、
この記事の最後に貼り付けておきました。
(引用ここから)
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建前と本音
本日めでたく学業を終え、卒業された学部卒業生と大学院修了生の皆さんに心からお祝いを申し上げます。
さて皆さんは4年間の学業を積まれたわけですが、その成果がこれから問われることになります。そこで改めて皆さんが学ばれた社会科学がわが国の現状の中でいかなる意味をもっているのかを考えてみたいと思うのです。皆さんが四月以降さまざまな形で社会に出て行くとき、最初から出会うのが日本社会の特異な面です。 本学の社会科学はどちらかというと欧米を範として長い間形成されてきました。また大学という制度自体、西欧を範として作られてきたために、わが国独自の制度や慣例については皆さんは社会に出てから出会うことが多いと思われます。
建前と本音
一つの例を挙げれば日本の社会には建前と本音の区別があるといわれています。大学のような組織にもその区別があり、私たちは常に本音で語りたいと思いながら、それが果たせずにいます。私が知る限りでこの2つの内容を学問的に分析した者はいないと思われます。政治家たちが第2次大戦の実状について、あるいはそれに付随する旧植民地の問題について、建前と本音を使い分 けているとしばしばいわれています。それは一体何故なのか。欧米にはそのような建前と本音の区別はないのかといった疑問がわいてまいります。
私はこの問題はわが国の近代化と深く関わる歴史的な問題だと考えていますので、ごく簡単にここで説明しておきたいと思います。
一昨年私は『「世間」とは何か』という書物を出しました。そこで詳しく扱いましたように、わが国では万葉の時代から人々は「世間」という特異な人間関係の絆の中で暮らしてきたのです。 欧米のように個人が社会を作っているのではなく、個人と社会の間に「世間」という人間関係の枠があるのです。いまでも「世間」という言葉は万葉の時代とほとんど変わらない内容で使われています。それは一種の公共性とも呼べるもので、一人一人の人間の欲望に外から制限を加え、全体としての「世間」が維持されるような仕組みでありました。
江戸時代の寛政2年(西暦1790年)に下野国に田村二左衛門吉茂という農民がいました。彼は若いときには文字も読めませんでしたが、農業に励み篤農家として知られた人でした。年をとってから子孫に自分の経験を伝えるために文字を学び、遺訓を残しています。その中で「世間」がしてはならないと定めていることが出てきますが、それらはたとえば賭事をしてはならないとか借金をしてはならないといったもので、時代によって多少の変化はありますが、今でも通用するような内容のものです。
わが国では人々は個人として生きる前に「世間」の掟に従わなければならないのです。個人としての意見や態度を示す前に、自分が属している「世間」の一員としての態度の表明が求められているのです。それが建前です。皆さんも社会にでれば当然そのような態度が求められるのです。ところがわが国でも個人は生まれています。西欧とはかなり異なった形でありますが、個人は誕生しており、その個人は万葉の時代から「世間」に対して時に違和感を表明しています。
愛に生きようとする男女が「世間」の人々の噂を言痛きといっているのがそれであります。この場合の愛の実質が本音です。つまり「世間」の一員としての発言が「建前」であり、それに逆らうような自分の思いが本音なのです。
しかしことはそれだけではありません。明治時代に近代化の過程でわが国は欧米の制度を取り入れ、教育、行政、司法、軍制その他を全面的に欧米化しました。 家族制度以外のすべての制度に関して欧米が範となったのです。その結果、未だ達成されていない諸問題についても何かといえば欧米ではどうなっているのかということが判断の基準となったのです。その状態は今も続いています。しかし明治時代から現在まで、近代化・西欧化にもかかわらず家族と「世間」は解体されることなく存続していますから、かつての「世間」という枠組に西欧化という目的がついてまわることになったのです。
わが国では個人の生活や家族の中の問題や親族の関係などは全く欧米化していないにも関わらず、社会全体としては近代化、欧米化の路線を走ってきたのです。その歪みが建前と本音として残ることになったのです。こうして社会的に公認された場での発言は欧米の基準に従って行わなければならないが、自分の親族や家族あるいは自分の「世間」の内部では本音で話すという習慣が生まれたのです。いわば西欧的な基準に基づく発言が建前となり、わが国の実情に即した発言が本音となったのです。
建前はあくまで理想の形であり、現実そのものではないために建前よりも本音が重視されることが多いのです。わが国では文書はそれとして信用されず、常に文書の背後にどのような真意が隠されているのかが問題になるのです。もしこのような事態が学問の世界にまで及んでいるとしたらそれは大変なことです。建前と本音の区別は、わが国の近代化の過程でかつての「世間」と重なり、「世間」意識はかえって潜在化し、複雑化したのです。私たちはこうした社会状況の中で生きているのです。
矛盾を抱えた社会
さてこのような社会に出て行く皆さんにはどのような道があるのでしょうか。建前と本音の区別がわが国の社会の近代化の過程で起こったものだということが解った後は、近代化即欧米化という、これまでの路線を見直す必要が出てきます。私たちはあまりに多くを欧米に期待してきましたが、それは必ずしも正しかったとはいえません。たとえば現在、しばしば論ぜられている公共性の問題にしてもこれまでの論者たちはすべて欧米に範をとった議論しかしてこなかったのです。
すでに述べたようにわが国には古くから「世間」という社会的な枠があり、それは一種の公共性としての機能をももっていたのです。このような点を分析して行く必要があるでしょう。近代化は即欧米化ではなく、わが国の歴史に基づいた近代化もあり得るということを考えなければならないと思うのです。さらに具体的には、わが国では小中高の教育も基本的には建前だけの教育でした。未だ存在していない個人が、あたかもわが国に存在しているかの幻想の上で成り立った教育です。それはさらに本音の教育の世界に戻す必要があります。わが国の小中高の教育の中で本当に自由が教えられているのか、個人の尊厳が重視されているのかと問えば答えはかなり否定的です。
皆さんはこれからそのような矛盾を抱えた社会に出て行くことになります。そこで最初に出会う問題も皆この問題と深く関わっているでしょう。そのときこれらの問題が歴史的な問題であることを思い出し、時間をかけて解決しなければならない問題であることを想起していただきたいと思います。具体的には建前の中に本音を忍ばせ、本音の中に建前を引き入れるということが必要になるでしょう。
一つの社会に生きている人々は常に理想を求めています。しかし残念ながらわが国の現状は理想を求めるという状況からほど遠いところにあります。政界も財界も理想などとは縁のないところで景気の回復を待っているように思えます。このようなときこそ、わが国の将来について考えるべき時です。日常的な問題の背後に歴史的な状況を読みとり、それに的確に対応して行く中で理想の姿を読みとることができるかもしれません。
今のわが国は希望をもつことが困難な状況にありますが、理想は建前の中にだけあるのではありません。建前をいかに具体化してゆけるかを考える中で、理想に一歩でも近づくことが出来るでしょう。若い皆さんの今後に期待し、お祝いの言葉といたします。
※一橋大学1997年 卒業式式辞より(阿部謹也『大学論』所収)
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