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教養とは何か(阿部謹也『大学論』より・その3)

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教養とは何か(阿部謹也『大学論』より・その3)

教養とは何か(阿部謹也『大学論』より・その3)

2023/09/25

昨日投稿した記事の続きです。

 

9/24からこのblogでは歴史学者・阿部謹也さんの

『大学論』という著書に収められている、

一橋大学で学長をされていたときの

式辞として語られた文章を紹介してきました。

 

その1では「自分とは何か」と題された

1993年の入学式式辞を、

また、その2では「建前と本音」と題された

1997年の卒業式の式辞を、

それぞれ原文のまま引用してご紹介したので、

昨日まで投稿してきた2回分の記事を未読の方は、

先にそれらを読まれてから

以下の文章を読んで下さると幸いです。

 

 

さて、その1でもご紹介したように、

阿部さんには1995年に出版された

『「世間」とは何か』という著作があり、

この著作の内容については、以前に

「なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか」という

テーマで連載記事を書いたときに触れました。

 

このblogではこれまでに何度か、

「個」と「集団」の関係性という問題を

とりあげてきましたが、

日本において「個人と社会」というテーマについて

考えようとするときには、どうしても

日本社会の特殊性という問題に触れざるを得ません。

 

つまり、「建前と本音」という二枚舌的な生き方を

生み出してしまうモトが、

「社会と世間」の二重構造にあることを見抜いた

阿部さんは、

では、こういう日本という国において、

「大人になるとはどういうことか?」と問います。

 

もし、「世間を知っている人」を

大人と言うのであるなら、

「世間」を対象化しようとする姿勢がなく、

欧米の制度を真似て作られた

学校という制度もまた、

「建前の世界」に属するものになるわけですが、

単に「建前の世界」と言って済ませられないような

複雑な問題を現実にはたくさん抱え込んでいます。

 

そして、日本社会における

こうした「世間」の問題に接近する手段として、

「教養」という切り口を選んだ

阿部さんの関心は「学問」「大学」というテーマに

向かっていくことに。

 

ということで、

『大学論』に収められた式辞の文章で展開された

問題意識の締めくくりとして、

「教養」「学問」のあり方を問われてきた

阿部さんが2001年に上梓された

『学問と「世間」』から

まえがきの部分をご紹介することにしました。

 

(引用ここから)

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まえがき
現在わが国の学問は大きな危機を迎えている。この危機については人文社会科学も自然科学も同様であり、本書の後半で述べるように自然科学、人文社会科学を問わず全面的な危機の状況にある。それはわが国の人間関係に由来する問題であり、研究主体としての個の未成熟に起因する問題である。人文社会科学に限っていえば、その危機は何よりもまず、研究主体のあり方に見ることができる。長い間、人文社会科学においては研究の主体は個人とされてきた。個人が自己の関心から出発して研究対象を定め、考察していくというスタイルであるが、その個人が西欧の個人とは全く異なった存在であることが十分に意識されていない。わが国の個人は西欧と異なって直接社会を構成しているわけではない。個人と社会の間には「世間」があり、それが個人の行動を規制しているのである。

 

学問に関していえば、学会や学部などが「世間」にあたり、若い研究者のテーマ設定などに影響を与えている。学生は必ずしも自分がやりたいと思うテーマを選ぶことができないのである。指導教官と学生との関係にも「世間」は大きな力を振るっている。大学院生ともなれば、教師とうまくいかないということは決定的なことになる。自然科学の分野では講座の教官が設定したテーマが学生にとっては最終的なものとなり、学生が自らテーマを選定することができない場合が多い。人文社会科学においても、学生が自らテーマを設定しても教師がそれを認めないことも珍しくはない。

 

1991(平成3)年の大綱化(この年に大学設置基準の改正が行われ、一般教育と専門教育の制度上の壁が取り払われ、学部4年間のカリキュラムを総合的に位置づけることができるようになった)以来、少なくとも大学においては戦後の一般教育は解体され、大学改革の一環として新しい教養教育の編成が進められている。しかしどこの大学においても教養教育の改革は成功したとはいえない。その理由は明らかであり、教養とは何かという点について共通の理解がないためである。私はすでにこの問題について世に問うたことがあるが、そこでは教養は人の生き方であり、一人一人が自分の生き方を社会との接点を求めて考えていくことだとした。そしてこれまでの教養の理解では個人が主体とされているが、それは偏った理解であり、農民や漁民や手工業者たちが集団として生きていくときに集団として考えてきたその考え方も教養の一つであり、教養には個人の教養と集団の教養との二つの形があると述べてきた。


現在、日本の高等教育は大きな曲がり角にきている。国立大学等の独立行政法人化が進められようとしているからである。高等教育の将来像の展望を欠いたまま、公務員の定員削減をきっかけとして国立大学等の独立行政法人化が強行されようとしている。このような状況の中で、私は北から南まで多くの大学から招聘されて、独立行政法人化問題について教員や事務職員の方々と話し合う機会をもった。地方の国立大学の実状は深刻なもので、明治以来国立大学を見舞った最大の危機といえるような状況である。しかしそれと同時に、この問題に関する国民の意識のあり方が特に私の関心を惹いた。新聞紙上でしばしば国立大学の独立行政法人化問題が取り上げられているにもかかわらず、国民の側から国立大学の独立行政法人化問題に関する意見の表明がほとんどないのである。


多くの国民は子弟の大学入学には大きな関心を寄せている。したがって入試問題や入試のあり方に関してはしばしば多くの意見が寄せられている。しかし国立大学のあり方や国立大学における学問・研究のあり方については、ほとんど関心が寄せられていないのである。独立行政法人という概念になじみが薄いということもあるであろう。しかしそれだけでなく、国立大学における学問・研究のあり方に関しては情報すら十分に伝えられていないのである。各国立大学では学術研究の成果を伝える紀要や論文集などが数多く刊行されている。それらを読んだことがある人はいったいどれくらいいるのだろうか。各大学で交換用に送られ、図書館の一部分を占めているこれらの紀要類は、よほど特殊な関心がある人以外は手に取ることもなく、ただ堆積されている。


それらの国立大学はすべて国費で賄われている。国民の税金が使われているのである。そこで営まれている学問・研究は果たして国民の需要を充たすものなのかどうか。これまでこの問題については必ずしも十分な検討がなされていない。独立行政法人化のような乱暴な政策が強行されようとしているのも、まさに国民のそのような目を意識してのことだとすら思われるのである。国立大学における学問・研究は国民にとって真の意味で必要なものなのか。本書はこの問題について人文社会科学を対象として検証しようとするものである。

 

第一・二章ではまず人文社会科学者たちはどのようにして形成されているのかを考察し、次いでその中でも優れた人文社会科学者たちの場合を見てみたい。後半の第三・四章ではそこで提起された問題を学問論として位置づけ、検証してみたい。

 

阿部謹也『学問と「世間」』まえがき より

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(引用ここまで)

 

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