「自分の頭で考える」とは「自分の頭だけで考えない」ということ
2023/12/22
昨日まで投稿してきた記事の続きです。
この寺子屋塾ブログでは12/15から4回にわたって
12/9に名古屋で行われた
【性や恋愛の「なぜ」を考える】
哲学対話イベントに参加したことについて、
レポートを書いてきました。
また、12/21から書いている記事も、
その流れの延長線上にあるんですが、
寺子屋塾という
セルフラーニングの場を主宰するわたしが、
なぜ、二村ヒトシさんの著書に注目したり、
恋愛やセックスをテーマに行われた
哲学対話の場に参加したりするように
なったのかという、
そもそものきっかけについて書こうとしています。
・主知主義と主意主義について(『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』より)
・・・ということで、
一昨日は、『欲望会議 超ポリコレ宣言』から、
「主知主義と主意主義」について書いてある箇所を
引用して紹介しながら、
そして昨日は、
『すべモテ』の文庫本P.126に描かれている
上の、青木光恵さんのマンガを
インタビューゲームのルールシートに載せることを
おもいついたわたしは、その許諾を得るために
二村ヒトシさんに
直接メールを送ったのでした・・・って、
ところまで書いたものの、
「主知主義と主意主義」についての
コメント迄たどり着くことが
できなかったわけです。
つまり、時系列に考えても
一昨日の記事と昨日の記事は、
順序として逆行しているわけですね〜
それで、今日はなぜ、こんなふうにわたしが
逆行するような書き方をしているのかってことを
まず確認しておいた方が
いいかなっておもったので。
こうして話題は
ますます脱線していくんですが・・・笑
まずはそのことから。
つまり、一昨日の記事と昨日の記事を
続きで読まれた方の中には、
「なぜ、このblogは、こんなふうに
逆行するような書き方をしているんだろうか?」
とおもわれた方が
どれだけいらっしゃるかわかりませんが、
そもそもこの寺子屋塾ブログは、
何らかの正解を示そうとしているわけではなく
そんなふうに
問いを浮かべながら読んで欲しいと
おもっているわけなんですね。
とくに、主知主義と主意主義については、
2500年以上前から続いている、
人類史的な根源的な問いに基づいた話なので、
そもそも自分の中に〝問い〟が
存在していない人が読まれても
ほとんど何も伝わらないことでしょうし。
ずっと今月は、「哲学対話」とか、
「対話の場づくり」について書いてきてるんですが、
たとえば、インタビューゲームでなぜ
人生が変わってしまうのかについて書いた
こちらの記事には、
いまの日本においては、
対話的な関係性の構築が
ほとんどなされていないんじゃないだろうか
ということも書きました。
寺子屋塾の教室は、
インタビューゲームのルールをそのまま適用し、
1.何を聞いてもいい
2.話したくないことは話さなくていい
3.聴かれていなくても話していい
というルールで運用しているんですが、
何かを聞く、質問をする、問いを立てるって、
正解を知ることだけが目的ではないんですね。
自分の頭で考えるということの大事さ
という話もこのblogでは、
繰り返し繰り返し書いていますが、
それと同じくらい、
自分の頭だけで考えないことの大事さ
ということも書いてきました。
つまり、自分の頭で考えるということは
そのまま、自分の頭だけで考えないことでもある
ということが腑に落ちていないと、
人と対話することなんてそもそもできないんですが、
自分の頭で考えるということと
自分の頭だけで考えないということが
イコールで結べるって
さっぱりワケわかりませんか? 笑
もちろん、2+5+10=
のような算数の計算問題であれば、
それには正解があります。
でも、たとえば、「どうしたらこの世から
戦争を無くすることができるのか」とか
世の中にある問題の多くには、
予め与えられた正解が存在していません。
つまり、正解を出そうとすることが
自分の頭で考えることではないわけですし、
わたしも何らかの正解を示すことが目的で
このblog記事を書いているわけでは
ありませんから、
こうして書いていることは、
あくまで考えるためのひとつの素材でしかなく
問いを立てるための素材として
書いているわけですね。
・・・ということで、
今日は地ならしだけで終わってしまい、
まったく前に進めませんでしたが、
クリスマスも近いことですし(何のこっちゃ?笑)
たまにはこういう日も
あっていいんじゃないかと。
この続きはまた明日に!
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