二村ヒトシさんと初めてお目にかかった時のことなど
2023/12/23
昨日投稿した記事の続きです。
「自分の頭で考える」とは、
「自分の頭だけで考えない」ことって、
意味、伝わりましたか?
そもそも「考える」って、
どういうことなんだろうって問いが浮かんだ方は
次の過去記事を参考までにご覧ください。
【寺子屋塾ブログ・〝考える〟関連記事】
・孫正義「考えても答が出ない時の一番の解決策は」(「今日の名言・その23」)
・改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その10)
さて、一昨日投稿した記事
『すべモテ』の文庫本P.126に描かれている
青木光恵さんのマンガを
インタビューゲームのルールシートに載せることを
おもいついたわたしは、その許諾を得るために
二村ヒトシさんに
直接メールを送ったのでした・・・ってところまで
書いたんでしたね。
2015年6月のことだったんですが、
今日はその続きです。
二村さんは、自らわざわざ出版社に
許諾の確認をとって下さって、
「テキストとして販売するなら
青木光恵さんに対し二次使用料が発生しますが、
タイトル、著者名、挿画家名、出版社名を
クレジットしてくだされば、引用OKです。」
と丁寧なお返事を頂戴したのです。
それで、以後は
インタビューゲームのルールシートを作り直して
『すべモテ』のマンガ掲載バージョンを
インタビューゲームを使うワークショップや
ファシリテーションの講座や授業などで
使うようになったのでした。
『すべモテ』のことを大学の授業で話したことを
書いたんですが、Facebookに
そのときのことを詳しく書いて投稿していたので、
憶え書きとして、
こちらにも転載しておこうとおもいます。
(引用ここから)
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2014.11.5
10/23は名古屋経済大学経営学部「地域情報論」ファシリテーション研修の授業にゲスト講師で呼んでいただきました。参加者がたまたま男子ばかりだったということもあるんですが、写真の二村ヒトシ著『すべてはモテるためである』は、その授業の最後のまとめのところで参考図書として紹介した本です。
わたしが初めてファシリテーションの研修を依頼されたのは今から10年前の2004年のことで、その頃は「ファシリテーション」っていう言葉自体を知らない人が大半だったんですが、最近ではこうしたことを学ぶことが大学などでも普通に行われるようになり隔世の感があります。でもまあAV監督が書いた本をファシリテーションの参考図書として紹介しているのは、たぶんわたしぐらいでしょうね(笑)。
この本で、相手の話を聴くことや対話の大切さに触れている部分は、第3章の終わりの方の「現在モテていないあなたが、モテるために一番大切なのは、『相手と対話できるようになる』ということです。」という書き出しから始まっていて、トータルでもわずか5ページほどしかありません。
とはいえ、ここには「意志を持って聴く」「決めつけず、判断しないでただ聴く」「相手と同じ土俵に乗る」「自分が変わることを恐れず、しかも相手にへりくだったり媚びたりせずに聴く」など、対話についての極意がシンプルに書かれているんです。
女の子にモテたいという動機であっても、「ちゃんとした対話って、どうしたらできるようになるんだろう?」という問いをもって日々実践してくれる学生が1人でもふえてくれたらなぁとおもって紹介したんですが、授業終了後に書いてもらったふりかえりシートを読んでみると、彼らには結構この話が響いていました。
男性向けに書かれたいわゆる「モテ本」なんですが、ところがどっこい単なるモテ本にあらず。「女性が読んでも面白い」と一部の寺子屋塾生の間では評判で、哲学者・國分功一郎さんが「実践的かつ真面目な倫理学の本である」と推薦されています。二村さんが女性向けに書かれた姉妹編『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』とともにオススメの1冊。
こういう経緯で、二村さんとは、
Facebookやtwitterでつながって、
時折やりとりをすることに。
そんなこんなで、二村さんとじかに
お目にかかる機会が2019年にやってきました。
知人のひとりが二村さんの講演会の企画に関わり、
長久手文化の森で行われることになったのです。
以下、このイベントに参加した後で
わたしがFacebookに投稿したレポート記事です。
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2019.7.23
7/20の午後に長久手市文化の家で行われた二村ヒトシさんの対話講演会をふりかえって。
今回のイベントは、「対話講演会」と題されていましたので、二村さんが壇上から一方的に話される講演会ではないことは事前に想像してましたが、企画されたかなこさんとしのぶさんのお二人が進行され、参加申込者から事前にアンケートなどで集めた質問に二村さんが答えるスタイルのものでした。しかも、対話講演会と銘打ちつつも、質問しなくてお話しをただ聞くのもOK!というふうに、参加スタイルを参加者が自由に選べて強制されないところがとてもよかったとおもいます。
セクシャリティの問題は、センシティブで個人的な問題であることはもちろん、その人の価値観や欲望のかたち、対人関係のあり方など、生きて行く上での根幹に触れるような部分を浮き彫りにしてしまいかねません。よって、オープンな場で扱うときには細かい配慮が必要なわけですが、今回のイベントのことをSNSに記事をアップする際、自分のした質問や一般的な話については書いても良いけれど、他の人の質問にダイレクトに関わる内容については書かないなどのルールが事前に丁寧に説明され、安心安全に参加できる場が保証されていました。
わたしが一番関心があったのは、二村さんがどのように質問と対峙されるかだったので、出された質問がもし自分に問われたならどう答えるかも意識しながら聞いていたんですが、二村さんのスタンスは終始、「わたしが正解を持っているわけでない。わたしにできることはどこに問題の焦点があるのか交通整理するだけ。最終的には自分自身の頭で考えましょうね」というところで一貫し、しかもひとつひとつとても丁寧に言葉を選びながら話されるので、お聞きしていてとても心地好いものでした。
時間の制約もあり、二村さんの手元に届けられたすべての質問に答えられたわけでは無かったのですが、悩み相談というのは、大体根っこをたどると共通しているところがありますから、他の人の質問に答える二村さんのお話を聞いているうちに、自分の悩みも解決してしまったって人もおそらくいらっしゃったことでしょう。
リアルの二村さんにお会いするのは今回が初めてでしたが、5年前の春に『なぜ愛』の文庫本が出されたときに読んで衝撃を受け、その後『すべモテ』はもちろん、宮台真司さんや湯山玲子さんとの対談本など二村さんの著書は概ね読んでいたので、コンテンツ面で言えば、今日のイベントで新たに発見したことは少なかったようにおもいます。
でも、わたしが最近考えていたことや、わたしが聞いてみたいとおもっていたことに沿った話が二村さんの口から飛び出てくる瞬間が何度かあったのが何よりもおもしろく、会場の参加者が発している気のようなものを瞬時に感じとりながら話されているように感じました。映像づくりの企画や演出を仕事にされている二村さんですから、そんなことはできて当然といえば当然のことでしょうけれど。全体の時間配分など若干の難点はあったものの、それを補って余りあるライブ感覚満載のたのしい会!でした。
二村さんが話されたことのなかで、印象に残った言葉がたくさんあったのですが、こういう場にあけすけに書くのはちょっと躊躇してしまう話題が少なくなく、他の人の質問については書かないというルールなので2つだけ。
ひとつは、バタイユのエロティシズムについての考え方や、大脳思考と内臓感覚の違いが実感できている人にはあたりまえでしょうけど、「罪悪感と背徳感は違う。セックスに罪悪感なんてのは有害無益でまったく必要ないけど、背徳感は逆にないとエロいセックスはできない。笑 だけどこの2つを区別できずにごっちゃにして居る人がすくなくない」って話。ナルホド!
ふたつめは、わたしも常々おもっていたことなんですが、「いまの世の中、性欲でセックスしている人なんてほとんど居ませんね。セックスしたくなるのは性欲でなくコンプレックスでしょう。」って話。これもモトを辿ると大脳思考優位ってことに行き着くようにおもうんですが、自分の中に見たくないものや目を反らしたいもの(二村さんの言葉でいうと〝心の穴〟)があるから、それをセックスという行為で気を紛らわせているってことが少なくない。でも、それって大脳思考に振り回されてるだけだから、カラダの感覚を土台にすえる姿勢ってホント大事だとおもいます。
とても貴重な機会を作って下さり、企画して下さったお二人には感謝!感謝!です。
終了後に二村さんにご挨拶をした際、ご著書へのサインとツーショットの撮影に快く応じて下さりありがとうございました。<(_ _)><(_ _)>
この続きはまた明日に!
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