君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比(『論語』里仁第四の19 No.76)
2024/01/15
久しぶりに論語499章1日1章読解からです。
今日は、孔子が義について述べている
里仁第四の10番(通し番号076)について。
義については以前にも
衛霊公第十五の17番(通し番号396)を
こちらの記事で紹介したことがありましたが、
1/7に投稿した記事で紹介した
『猫の妙術 武道哲学が教える「人生の達人」への道』
に出て来た〝道理〟という言葉から
本章のことがふとおもい浮かんだので。
前記した記事で引用した箇所と
以下ご紹介する論語の章の内容は
ほぼ重なっていると考えて戴いてよいでしょう。
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【里仁・第四】076-4-10
[要旨(大意)]
孔子が「義」について述べている章。
[白文]
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比。
[訓読文]
子曰ク、君子ノ天下ニ於ケルヤ、適無キナリ、莫無キナリ、義ト之レ與ニ比ス。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、君子(くんし)ノ天下(てんか)ニ於(お)ケルヤ、適(てき)無(な)キナリ、莫(ばく)無(な)キナリ、義(ぎ)ト之(こ)レ與(とも)ニ比(ひ)ス。
[ひらがな素読文]
しいわく、くんしのてんかにおけるや、てきなきなり、ばくなきなり、ぎとこれともにひす。
[語釈]
適:好む、厚くする、可とする、固執する等々諸説あり。
莫:悪む、薄くする、不可とする、否定する等々諸説あり。
義:筋道、道理の通ったあり方、生き方
比:古注は「親しむ」。新注は「従う」。
[口語訳文1(逐語訳)]
先生が言った。「諸君は天下に居るにあたってまさに、誰かの言葉はないけれども、何もないわけではない。筋道がまさに隣り合って並んでいる。」
[口語訳文2(従来訳)]
先師がいわれた。――
「君子が政治の局にあたる場合には、自分の考えを固執し、無理じいに事を行なったり禁止したりすることは決してない。虚心に道理のあるところに従うだけである」(下村湖人『現代訳論語』)
[口語訳文3(井上による意訳)]
先生(孔子)が言われた。「君子は、世間(の人々)に対する時、自分の考えに固執して、絶対こうすべきであるということも、絶対こうすべきではないということもない。ただ、融通無碍に、虚心に道理に従うのみである。」
[井上のコメント]
この章で孔子は、「義」について「適無キナリ、莫無キナリ」と言っています。旧来の解釈では、適を敵とし、莫を味方とするなど、「適」と「莫」を善悪や厚薄といった対立概念でとらえようとしているものが多いようですが、「AかBか」と二者択一的(二律背反的)に考えがちな姿勢から視野を拡げ、「AでもBでもない」という別の捉え方が必要なこと、融通無碍で柔軟な姿勢やバランス感覚の大切さを言っているように感じます。鈴木秀夫氏の著書『森林の思考・砂漠の思考』に出てくる「レンマ的発想」をおもいだしたのですが、AかBか、いずれかを選択しようとするのは、その前提としてどちらかが正解であるというおもいこみがあるからで、AもBもどちらも正解ではないこともあり得るし、だからといって何でもOKというわけではないという姿勢が、もしかしたら孔子の伝えたい「義」なのかもしれません。結局のところ、いざというときに頼りになるのは、日々鍛錬を重ねることで身につけた技能や直観でしょうから。もちろん独りよがりになってはいけませんが、自分で選んだやり方で、自分で体得していることが何よりも大事だとおもうのです。
[参考]
「ロゴス」と「レンマ」-風土がつくる思想(鈴木秀夫氏へのインタビュー)