大事なことはやってるかどうか、やろうとしているかどうか(つぶやき考現学・No.80)
2024/03/09
大切なことは、
そのことが得意か苦手かでなく、
それをやっているかどうか、
あるいは、いまやっていなくても、
それをやろうとしているかどうかだけだ。
苦手なことを理由に何もしなければ、
いまいる場所にそのままとどまり続けるが、
それがどんなに苦手なことでも、
苦手のまま、苦手なりにやってみれば、
そのやり方がどうであれ
必ず何らかの新たな展開を生む。
たとえその行動がどんな状況を招いたとしても、
それをひとつのプロセスと捉えられれば、
自分の姿勢次第で
その状況をどんな風にでも変えていけるし、
これまでの自分から脱皮できる
大事なきっかけにできるのだから。(2015.2.7)
※井上淳之典のつぶやき考現学・No.80
COMMENT:
「アタマが主で、カラダが従」というのが勘違いで、
それが実は逆!
カラダが主でアタマは従なんですね。
たとえば本を1冊読んで、ただアタマの中に
何らかの知識を増やしたところで、
結局のところ、それだけでは何も変わってません。
とにかく、いまの世の中は
情報が多すぎるんですよね〜
もちろん、なかには大切な情報もあります。
でも、物理的な量そのものが多すぎるために、
脳そのものがオーバーフローを起こしてる人が
すくなくないようで、
何が大事なのか、何が大事でないのか、
自分に何が必要で、何が必要でないのかという
判断自体が難しくなってしまってるんですね。
そんなことを感じたことはありませんか?
さて、響月ケシーさんの講義録、
昨日投稿の記事で4つめまできたんですが、
第4講座の真ん中辺りで、
メディアと意識的に付き合うことが大事って話が
ありましたね〜
ケシーさんは、テレビは見ない、
とくにニュースは見ないし、
意識的に関係を制限してるって言われてました。
アタマの中にいくら情報を増やしたって、
それだけでは何にもならないわけですからね。
また、わたしはケシーさんの動画を
30回ほど視聴したと書きましたが、
話されていることを
どこまで自分は日常で実践できているか、
自分の何が具体的に変化したのか、
自分に対していつも問いかけながら
聞くようにしてきました。
たとえば、ケシーさんの話を
聞く前と聞いた後で、
つまり、BEFORE AFTERってことですが、
講義録を読む前と読んだ後とで、
具体的に自分の何が変わったかを
自分自身に問いかけてみるわけです。
もし、何も変わっていないってことなら、
自分の情報との接し方そのものを
再考したほうがいいかもしれませんから。
3月に入ってから、3/2から4〜5回にわたり、
「本を読む」をテーマに記事を書きました。
その記事を読まれた方に
お尋ねしたいのですが、
あなたは、それを読んだことで、
何かわかったことがありましたか?
そして、あなたの何かが具体的に変わりましたか?
たとえば、本1冊読むときに、
どんな〝問い〟が、そのもとにあって、
自分はこの1冊を手に取ったかを意識し、
そして、その1冊を読んだ後で、
何がわかったのか、
読んだ後に意識されたでしょうか。
こんなふうに、読む前と読む後とで
具体的に何がわかったのか、
そして、自分の何が変わったかについて
ぜひ、問いかけてみてはいかがでしょうか?
もちろん、たかが本1冊のことですし、
些細なことではあるんですが、
たかが本1冊、されど本1冊、
そうした些細なことであっても、
それを日々丁寧に積み重ねて行くことが
〝生きる〟ということではないでしょうか?
【テーマに関連する記事】
・100冊の本を読むより1つの実践を(つぶやき考現学 No.54)
・何をやるかではなく〝どのようにやるか〟(つぶやき考現学 No.41)
・問題解決ツールのコレクターになっていませんか?(つぶやき考現学 No.59)
・解るとはどういうことか(阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』より)
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