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中山正和『天才脳の構造からみた釈迦の悟り』『釈迦の悟りからみた天才脳の構造』

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中山正和『天才脳の構造からみた釈迦の悟り』『釈迦の悟りからみた天才脳の構造』

中山正和『天才脳の構造からみた釈迦の悟り』『釈迦の悟りからみた天才脳の構造』

2024/03/10

今日は読書関連の話題で

テーマは仏教なんですが、
創造工学技術研究所代表で〝NM法〟の

創始者・中山正和さん(1913〜2002)の

『釈迦の悟りからみた 天才脳の構造』のことを。

 

NM法とは、

川喜田二郎さんの開発されたKJ法に倣って

ご自身の頭文字のアルファベットをとり

命名された「類推(類比)発想技法」です。

 

類推とか類比って日本語だと

あまり聞き慣れないかもしれませんが、

アナロジーという言葉なら

聞かれたことがあるんじゃないでしょうか。

 

実際にNM法を使って開発されたものの事例として

しばしば紹介されるのは、

缶切りなどの道具を使わずに、

簡便に缶の中味を取り出せるようにするために

開発された

缶ビールの〝プルタブ〟などがあります。

 

 

1983年初版の本書は、横書き左開きの

『釈迦の悟りからみた 天才脳の構造』(冒頭表紙)

と縦書き右開きの

『天才脳の構造からみた 釈迦の悟り』という

2冊の本を融合して

1冊にまとめたような形になっていて、

書籍としては変わったつくりになっています。

 

 

まずは、本書から横書き左開きの方の「はじめに」の文章を。
 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は前に「人間の脳と同じはたらきをするためには、どのようなコンピュータを設計すればいいか?」ということから、HBC (Human Brain Computer) モデルというのを考えました。このモデルは「創造」とは何かを説明するために作ったのですが、その後、人間の活動一般、社会の問題や仕事のことに応用してもなかなか面白い答を出すことができることを知りました。


創造には「発見」がつきものです。いままで誰も知らなかった真理に気がつく、ということです。その発見は例外なしにある問題を理づめに考えて、考え抜いて、もう考えるタネが無くなったあと、しばらくして突然「ハッ」とくるのです。この瞬間は、その問題を意識して考えている時ではなく、むしろアタマが解放されている時に〝体験〟するのです。


本ものの科学者の書いたものを読めば読むほど、発見の手がかりはこういう無意識のはたらきだということにまちがいないと思うようになりました。


そうしますと、その発見の大規模なものが「悟り」ではなかろうか? ということになります。いま考えている問題が、自分の興味のある仕事分野に限られている時に、これを発見というので、この問題が人生問題すべてにわたっている時には、これは悟りである、ということです。


禅とか宗教とかいうものは科学とはいつでも並行線を保って、別にケンカするわけではないが相入れないところがあるのは、結局は両者とも「ハッ」とくる瞬間の無意識のはたらきをコトバで説明しあうことができないからでしょう。


そこで、悟りというたいへんなものの構造をHBCモデルによって、コトバを使って説明してみようということを考えました。これは、はじめから出来るはずはないのです。無意識のことですから。


しかし、悟りを体験するには、ただ昔から経験的に行なわれている方法によるだけでなく、何故そうするか?というリクツがあった方が早いはずです。こうして、私は道元禅師の哲学をこのモデルに乗せてみました。それで彼の「正法眼蔵」に書いてあることは〝私なり〟に理解できたと思っていました。


ところが、ここに「法華経」という原典があったのです。これは聖書と同じように比喩を使って記述されています。ですから、そのまま読んでも何のことやらわかりません。私はこれにHBCモデルで挑戦してみました。そして、まさに驚嘆したというかショックを受けたどころのさわぎではありません。とくにこの「序品」には、全く余すところなく「創造」のメカニズムが書かれていたのです。


この本の、横書きの、この部分は、HBCモデルからの創造工学の考え方が書いてあります。HBCというと硬くなりますので、これを「理想的天才脳」のモデルとしました。


それは、人間の脳は動物の脳から発達したことはまちがいなく、また、人間だけが左脳の一部に言語脳をもっていることも事実です。そうすると、もっと人間が発達すれば、この言語脳は左脳全部を占めるようになるかもしれないので、実際、天才的な人は、普通の人より左右両脳の分化がはっきりしているのではないかということも考えられるのです。それで、大脳生理学的にはちょっと疑問がありますが、思い切って大脳の理想像を作ってみたわけです。(後略)

中山正和『天才脳の構造・釈迦の悟り』はじめに より
https://www.amazon.co.jp/dp/4382047927/

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(引用ここまで)

 

このまえがきを読まれるだけでも、

この本にいったいどんなことが書かれているのか、

その概要はわかっていただけるかと。

 

わたし自身も本当にビックリ!しました。

 

この本を初めて手に入れて読んだのが

正確にいつだったのか、

ハッキリとはおもいだせないんですが、

鶴舞の古書店・三進堂とメモがあるので、

進学塾講師をしていた20代後半から30代にかけての

7年間であったことは間違いありません。

 

中山正和さんの本はたくさん出版されていて

何冊か読んだんですが、

この本が一番最初だったと記憶しています。

 

法華経と脳のつくり、脳の使い方という話は、

普通ではなかなか結びつかないテーマで、

この本を初めて読んだ頃の自分には、

よくわからなかった部分も少なくなかったんですが、

2014年頃からカタカムナ文献の

研究書・相似象の別冊「感受性について」を

繰り返し読み進めていて、そのつながりに

ナルホドとおもえるところがあったのです。

 

それで、今日は本書からもうひとつ、

縦書き(右開き)部分の最後から、

本書の結語にあたるところをご紹介しましょう。

 

(引用ここから)

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「悟り」または「発見」への手順書
ながながと述べてきましたが、ここらで一応のまとめをしておきましょう。


序品は荘大な舞台の上の出来事として記述されていますが、これはつまりわれわれのアタマの中のことと考えてよろしい。「われを配列しおきて尽界とせり」なのですから。その尽界、つまりわれわれの人生上のあらゆるデータについて「東方照」という理性のひらめきが起こった時にはこれを「悟り」といい、そのデータが自分のもっている問題についてだけのものだったらこれを「発見」といいます。


1.まず、右脳を「自在」におくこと。正確にいうとわれわれの〔イメージ記憶〕の脳の中のイメージ配列を自在にする。この目で見、この手で触れた「真実のデータ」だけにすることです。


コトバによる知識ならば、その知識を「純粋経験」のレベルにイメージ化してこれに加えます。但し、この時の知識は万人が認める真実の知識でなくてはなりません。簡単にいえば、コトバによる「オバケ」を作るようなことはしてはいけないのです。


右脳が自在でなくては、お釈迦さまのそれ以後の話を聞く資格がありません。と同様、何を考えても〝創造"することはできないのです。自在に置くということはまた、いっさいの固定観念をすてるということでもあります。


2.勉強して知識レベルを上げておくこと。しかし、この知識は自分の理性を磨くために蓄積するのであって、その知識を前面に押し出してものごとを判断するのではないこと。


誤解されるといけませんから、ちょっと注釈をつけておきます。データを「分析」する時には、コトバによる知識で判断することはいっこうにかまいません。そ れで問題が解ければいいのですが、それはしょせん知識。知識である以上、その解は〝創造的"ではないということです。


たとえば、いま上役にある仕事を命じられたけれど、どうもこの仕事はやりたくないという時どうするか? 職務分掌規定とやらいうものから判断すれば、当然この仕事は自分がやらなければならないことになっている。いやだけれど仕方がない。自分の知識をもってすればガマンしさえすればできないことはない。これも修行のうち、と考えて歯を食いしばってやってみよう、と思うのもけっこうですが、それだけでは創造的思考はできません。潜在意識的「好き」(刷り込み)に反するからです。が、私の好きなようにやらせろといって我を通せばケンカになります。


創造というのは、規則は規則として認めておいて、その中でなるべく楽にこの仕事を片づけることを考えるところにあるのでしょう? 「嫌い」がホンネなのですから、この嫌いを好きに転換することができればいいので、これがアイデアです。知識だけで判断してしまってはいけないというのは、こういう意味です。


科学者の場合など、いままでの法則(知識)では理解できないような実験データにぶつかることがあります。この時、法則がこうだから、このデータは何かのまちがいだろうと考えたら発見はできません。実験データの方をもとにして、本当に法則が正しいのかどうかを確かめてみる、発見者はみんなこうしているのです。


潜在意識の好き嫌いに逆らわないこと。自分の「好き」な領分で創造的経験をしなくてはなりません。好きだからその問題にチャレンジするのでなくてはならないのです。お釈迦さまは、人には声聞型、縁覚型と、菩薩型とがあるといっています。


理性で問題を分析しつくしたら、ひらめきを待つこと。東方照です。そのひらめきはいつか突然起こるのですが、それを促進するために「定」に入ることが効果的なのです。瞑想もいいし夢もいいでしょうが、積極的にはやはり坐禅またはヨーガの瞑想などがその方法になります。


以上、お釈迦さまの創造学の手順書は、きわめてオーソドックスなものです。創造的な業績を残した人がみんないっていることと変わりはありません。しかし、われわれは、この当り前のことを本当はやっていないのです。


まず第一に、自分の右脳のイメージが自在におかれていないこと。これがすべての基本であることに気がついていない。第二に、すぐ左脳の知識を〝前面〟に押し出してしまうこと。そのために、真実のデータを「観る」ことができなくなることに気づかないでいるのです。

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(引用ここまで)

 

法華経のことを書いたものなんですが、

文中に「潜在意識」「悟り」というキーワードが

登場しているので、

この寺子屋塾ブログを

丁寧に読んで下さっている方は、

なぜ、仏教なのか、

なぜわたしがこのタイミングで

この本の紹介記事を書いているのか、

ピンと来るところがあるかもしれません。

 

久しぶりに本書を読み返してみて、

これを読んだことが、

当時まだ20代後半だった自分にとっては、

「釈迦の悟りとは何か?」

「仏教をどう捉えたら良いか?」

「仏教にはどんな可能性があるのか?」という

重要な問いをもつきっかけとなっていたことに

気づいたのでした。

 

明日の記事では、道元禅師のことばを

ご紹介する予定です。

 

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