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道元禅師『正法眼蔵』現成公按より(今日の名言・その75)

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道元禅師『正法眼蔵』現成公按より(今日の名言・その75)

道元禅師『正法眼蔵』現成公按より(今日の名言・その75)

2024/03/11

 

 仏道をならうというは、自己をならうなり。
 自己をならうというは、自己をわするるなり。
 自己をわするるというは、万法に証せらるる。


 万法に証せらるるというは、
 自己の心身および他己の心身をして

 脱落せしむるなり。


 自己をはこびて、万法を修証するを迷いとす。
 万法をすすみて自己を修証するは、さとりなり。

 


[井上による口語訳・大意]
 仏道を学ぶということは、

 知識を増やし深めることではない。
 自己の真のあり方や生き方を学ぶことである。


 そして、本来の自己のあり方を

 学ぶということは、
 その学んだものさえも忘れてしまうことである。


 つまり、自己の存在のあり方を学び、
 その根底にある

 本来の自己(=仏性)をつかむと、
 自分の心身と、

 他人の心身や事象との対立がなくなり、
 自他が同一となる世界に立つことができる。


 本来の自己を学び、その自己を離れれば、
 すべてが自己であり、宇宙である。

 

※道元『正法眼蔵』現成公按より

 

 

 

道元(1200〜1253)は、鎌倉時代初期の禅僧で

曹洞宗の開祖とされる人物です。

 

道元は中学社会科・歴史の教科書に載っているので、

日本人であれば、

名前を全く聞いたことがない人は

少ないかも知れません。

 

実は、昨日投稿した記事のなかに、

『正法眼蔵』があったんですが、

冒頭に紹介したのは、

その、道元禅師の代表的著作とされる

『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』より

最初の章「現成公按」にあることばです。

 

 

ところで、寺子屋塾は今年1月で30周年を迎え

その記念すべき日1/24のブログ記事には、

現在全国で公開中で、

米アカデミー賞にもノミネートされた

映画PERFECT DAYSのことを書きました。

映画「PERFECT DAYS」観てきました

 

2/23に投稿した次の記事には、

ヴェンダース監督のインタビュー動画も

シェアしたんですが、

映画「PERFECT DAYS」ネタバレ考察

 

1本目の動画で、監督は、

映画PERFECT DAYS主人公の平山に対して、まず、

トイレ掃除を行う〝禅僧〟という

イメージをもったと話されています。

 

映画PERFECT DAYS

惜しくも米アカデミー賞では

アワードに届かなかったようですが、

たぶん、映画PERFECT DAYSをご覧になると、

このブログでわたしが書こうとしている言葉に

どんな意味や価値があるのか、

多少は伝わり易くなるとおもいますので、

まだご覧になっていない方は、

今のうちにどうぞ!

 

トイレ掃除を日々行っている平山が

なぜあんな、幸せそうな表情を見せるのか、

考えてみて下さい。

 

 

さて、冒頭紹介した道元のことばに戻りましょう。

 

「仏道をならうというは、自己をならうなり。」

とは、どういうことでしょうか。

 

わたしは、高校時代に病気をしたことがきっかけで

20代前半にマクロビオティックといわれる

食事法と出会いました。

 

現在、わたし自身は、

マクロビオティックの食事法からは

遠く離れてしまいましたが、

とはいえ、健康な生活を送りたいならば

日常の食事がとても大切という考え方まで

手放したわけではありません。

 

20代の頃には、

そのマクロビオティックの開祖である

桜沢如一の著作をたくさん読み

たくさんのことを学びましたが、

とりわけ、彼から学んだことの中でも、

「西洋人の考え方と、東洋人の考え方が

どのように違うのかを理解することは、

とても重要である」という言葉は、

今なおわたしにとって、大切な指針になっています。

 

たとえば、世界中にさまざまな宗教があるんですが、

西洋の宗教と東洋の宗教は

いったいどのように違うのでしょうか?

 

もちろん、キリスト教も仏教も

宗教である限り、

生きることに苦悩している人間を

いかに救うかをテーマとしている点においては

おそらくは、それほど違いはないでしょう。

 

たとえば、一神教であるキリスト教には

前提として、宇宙の創造主、つまり

全知全能である神の存在があります。

 

そして、〝原罪〟という言葉があるように、

前提として、人間の苦悩のモトは、

全知全能の神に背くような生活をしている

罪深き存在の自分にあるんだと。

 

だから、その赦しを神に請う姿勢が

大事と教えるわけです。

 

でも、仏教ではそのあたりの感覚が

だいぶ違っていて、そもそも人間の外側に

全知全能であるような神を想定していません。

 

だから、人間の苦悩がなぜ起きるかというと、

それは、人間が本来の生活、生き方を

見失っていることによって起きているのだから、

絶対的超越者である

神を想定して、その神に救いを求めたり、

特別な存在を目指したりするのでなく、

もともとの状態に立ち戻るというか、

本来の自分という存在に〝目覚める〟ことを

仏教は教えているわけですね〜

 

 

さて、「自分で決めて、自分でやる」という

寺子屋塾におけるセルフラーニングの実践は

まさにこの自己をならう姿勢に近いものです。

 

仏教とセルフラーニングの親和性については、

これまでにも

寺子屋塾は「仏教的学び方」実践の場だった!

などのさまざまな記事を書きましたから、

未読の方はタグ〝仏教〟からご覧ください。

 

ただ、1日24時間のなかで、

算数の計算プリント1枚をやることは、

あまりにも些細で、地味なことなので、

それをやり続けようとすることに

どのような意味や価値があるのか、

それを外側の世界に見出そうとされている方には、

なかなか伝わらないかもしれません。

 

あくまでプリントはトリガーにすぎなくて、

入口のひとつに過ぎないので、

プリントをやることだけが学習というふうに

考えているわけではないんですが。

 

そうしたアクションを、

自分自身の1日の生活の中に

自ら選んで自ら組み込み、

自分で実現していくことを通じて、

自分の生活に

自分で光を当てられるような力を

自分自身の中に

育てて欲しいんですね〜

 

 

ちょうど響月ケシーさんが、

3/7に分かりやすい動画をアップされていたので、

明日はその講義録を投稿する予定です。

 

 

【最近投稿した「今日の名言」シリーズ】

岡田謙三「弱くてはいけない。強くてもいけない。」(今日の名言・その74)

篠田桃紅『これでおしまい』より(今日の名言・その73)

銀色夏生『詩集 エイプリル』より(今日の名言・その72)

ドビュッシー『ピアノのための12の練習曲』序文(今日の名言・その71)

ファラデー『ロウソクの科学』より(今日の名言・その70)

為末大「自分を認められるのは自分しかいません」(今日の名言・その69)

尾関雄飛「おまえさ。何よく思われようとしてんの?」(今日の名言・その68)

森下典子『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15の幸せ』より(今日の名言・その67)
ハンナ・アーレント「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です」(今日の名言・その66)
TVドラマ鈴木先生「体験は人間性を磨く上での貴重な教材だ。」(今日の名言・その65)
ベートーヴェン「つねに行為の動機のみを重んじて帰着する結果を想うな」(今日の名言・その64)
スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ」(今日の名言・その63)
映画『シェルタリング・スカイ』より「満月が昇る姿をあと幾度見るだろう?」(今日の名言・その62)
映画『マトリックス』より「これは最後のチャンスだ!青い薬を飲むか、赤い薬を飲むか?」(今日の名言・その61)

 ※(その61)の最後にその60以前の記事一覧を載せています

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

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