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細谷功『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』

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細谷功『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』

細谷功『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』

2024/08/12

今日は読書関連カテゴリーの記事を。

 

本日紹介する本は、

細谷功さんが2016年に上梓された

『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』

についてなんですが、

アマゾンの商品ページに

目次は全部掲載されていますし、

試し読みで、まえがきの全文と

本文の20ページまで読むことができ、

本書の全体像をざっくりつかめるので

目を通してみてください。

 

【本書の目次】
第I部 対称性の錯覚
第1章 錯覚の積み重ねと「三つの非対称性」―「善と悪」は対称か
第2章 「知識」の非対称性、「思考」の非対称性―知的能力が理不尽さを生みだす
第3章 「具体と抽象」の非対称性―お金で上下関係が生まれるのはなぜか
第4章 「言葉」という幻想―「わかっているつもり」を二円図で表す
第5章 「人間心理」の非対称性―水は低きに流れる
第6章 1:9の「ねじれの法則」―「教えられること」と「求められること」は違う

 

第II部 時間の不可逆性
第7章 気づきにくい社会や心の不可逆性―湯は冷め、振り子は止まる
第8章 社会・会社の劣化の法則―「盛者必衰」の真理からは逃れられない
第9章 具体化・細分化の法則―高度化すれば視野が狭くなる
第10章 上流・下流の法則―不毛な議論に費やされる膨大な時間

 

第III部 ストックの単調増加性
第11章 「微分と積分」と現実―増やすのは簡単、減らすのは困難
第12章 のこぎりの法則―増えだしたら止まらない
第13章 折り曲げの法則とストックのジレンマ―「対極」は「紙一重」に変わる
第14章 大企業「病」という幻想―もう「あの時代」には戻れない

 

第IV部 「自分と他人」の非対称性
第15章 宇宙と「人間の心」―「絶対的中心」があるかないか
第16章 コミュニケーションという幻想―「言葉の意味」の共有は難しい
第17章 「公平」という幻想―基準は人間の数だけ存在する
第18章 「対等」という幻想―批判する人とされる人の間に横たわるものは

 

第V部 「見えている人と見えていない人」の非対称性
第19章 決定的な非対称性―「見えていない人」には「見えている人」が見えない
第20章 「全体像」という幻想―自分の視野の狭さには気づきようがない
第21章 「経験則」という幻想―自分の経験が「部分」であることに気づけない
第22章 「啓蒙」という幻想―教育は無力なのか

 

 

ちなみに、こちらの記事で紹介したダブリングは

本書の第4章 言葉という幻想

書かれています。

 

わたしが最初に読んだ細谷功さんの著書は、

『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』

だったんですが、

その経緯については

次の記事に詳しく書いたので、

未読の方はそちらから先にどうぞ!

細谷功『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』

 

また、『問題発見力を鍛える』という著書については、

次の記事内で紹介しています。

適切なサイズの問いを立てるのに参考になる本は?

 

次の記事内で、『問題発見力を鍛える』の

具体的中身を部分的に紹介しています。

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その5)

 

 

さて、昨日投稿した野口三千三さんの記事で、

「力を抜く」と

どんどん力が出せるって話を書きました。

 

今日の寺子屋塾ブログで

細谷さんのこの本を紹介しようとおもいたったのは、

世の中を見渡すと、

力が入っている人が多いのは何故なのか、

また、「力を入れる」ことよりも、

「力を抜く」ことの方が難しくて、

そのことに気づいている人、

そのことを本気で実践しようとする人が

なぜ少ないのか、

わたしにとっては、そうした問いの諸々を

考えるヒントになり、

アタマの中を整理できた1冊だったからです。

 

昨日の記事には、

たし算発想の学習と

ひき算発想の学習の話も書きましたね。

 

たしかに、たし算発想で、知識や情報を

どんどんアタマに詰め込んでいけば、

豊かになったような気持ちになれます。

 

でも、それはあくまで自分の

知的好奇心が満たされたという気分の問題!

 

それに、知っているということと、

そのことが実行されていることとは

別のことだから、

知識や情報を増やすことと

ストックした知識や情報を減らすこととは

同じぐらいの労力でできると

考えているかもしれないんですが、

やっていないからそうおもうんです。

 

実際やってみると、

だれでもすぐわかることですが、

アタマの中に入れることよりも、

既にアタマの中にある知識や情報を棄てることや

身に付いていることを止めるっていうのは

ず〜っとず〜っとタイヘンで難しいんですね。

 

 

さて、では本書から

第22章「啓蒙という幻想 教育は無力か?

を以下にご紹介。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あの人はいくら言ってもわかってくれない」
「なんとかして事の重大さに気づいてもらいたい」
「我が社の社員は危機感に乏しい」・・・・・・


「気づき」の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはありません。勉強でもスポーツでも、「上達」や「変化」のための行動をするには、「自らその重要性を理解する」ことが不可欠です。


「気づき」にも非対称性が存在しています。「気づいている人」と「気づいていない人」との関係がまさに先述した「見えている人」と「見えていない人」との関係そのものだからです。


気づいている人は、気づいていない人のことが歯がゆくてたまらず、なんとかして「気づかせよう」としますが、「気づいていない人」からすれば「うっとうしい」「大きなお世話」となります。


「気づき」に関しては三通りの人がいます。
①気づいている人
②気づいていないことに気づいている
③気づいていないことにすら気づいていない人


必ずしもすべての人が、このいずれかに入るというわけではなく、一人の人間の中でも、ある領域では①、別のある領域では無意識に③になっている...... というようなこともあります。


気づいている人 (①) はなんとかして、気づいていない人(②③)に「気づかせよう」と一所懸命「啓蒙活動」や「教育」をして努力をしますが、残念なことに、これは「天岩戸の法則」によって、「無駄な努力」に終わることがほとんどです。つまり、「扉は内側から、閉じこもっている人からのみ開けることが可能で、外側からはどんなに努力してもこじ開けることはできない」ということです。


②の人はたいていの場合、外から一言声をかけられただけで、外側の声の意図することに気づいて「岩戸」を内側から開けようとします(すぐに開くかどうかは別問題ですが)から、①の人が何もせずともいずれ自然に扉の中から出てくる可能性が高いですが、③の人のためにいくら外側から扉を開けようとしたり、「洞窟(岩戸)の中に向かって」呼びかけたりしても、もともと「聞く耳を持っていない」ので、それに③の人が応じる可能性は限りなくゼロに近いと言ってよいでしょう。


もちろん、「自分がいまあるのは、あのときに○○さんが導いてくれたからだ」とか、「親の影響で△△を志した」という人もいます。ところがこれもよく考えてみれば、「岩戸の扉を開ける気になったときに外にいた人」がたまたま○○さんだった......と考えるほうが自然ではないでしょうか。

 

本当に○○さんが導けるのなら、その人が接した人はすべてそうなっているはずですし、「親の影響」に関しても、親というのは、子どもにとって最も「岩戸のすぐ外側」にいる確率が高い人ですから、そういう仮説が成り立ってもおかしくありません。「親の影響」も結局は本人の気づきであるという証拠の一つに、厳格な親のせいで礼儀正しくなった」人と、「厳格な親の反動で反抗的になった」という正反対の現象があることがあげられます。


このような「錯覚」を最も意識しておくべきなのは、「教育」の場面です。 以上の法則に従えば、「教える」という「他動詞」自体が何の意味もないことになります。「育」のほうも「育てる」(外側からの他動詞)ではなく「育つ」という意識でないと、冒頭のように「まったく努力が報われない」というさまざまな理不尽さを感じることになります。子どもなら純粋に「外側からこじあける」ことは可能かもしれませんが、「耳アカ」というストックが溜まりに溜まって「耳が聞こえなく」なっている大人には、外の声が届くことはないのです。


ただし、ここにおいても「場合分けの法則」が当てはまります。教育の分野や領域によっては、外部から変えることが比較的簡単な場合もあります。外部からの「教育」によって比較的わかりやすい変化を起こしやすいのは、目に「見える」領域においてです。


第1部で述べた知的能力で言えば、「思考」よりは「知識」のほうが本人の意思ややる気とはあまり関係なく、教育の効果を上げることができます。逆に「思考」の方法を習得するには、本人が「内側から扉を開けている」ことが必要になります。


上流・下流で言えば、下流の世界は外部からの「強制的な教育」の有効性が相対的に上がりますが、上流の世界では「内側から扉を開ける」ことは必須です。これは必要な能動性の程度の違いといえます。ごく単純化して表現してしまえば、次の図のような構図になるでしょう。

 


上流は必要な能動性が高く、下流にいくにしたがって中→小と次第に受動性が高くなりながら数が増えていくという構図です。この順序で、教育の方法も、「自由にさせる → やる気ある人に面倒見よくする → 全員に強制ルール化(外部からの)する」と変化していきます。


例えば会社における英会話などのスキルの習得に対する考え方についても、多くが以下のような進化過程をたどります。「自分でやるのが当然 → 手を挙げた人に補助を出す → 全員にコースを用意する」。


これらの施策は、会社の進化段階を間違えると有効でなくなりますので、ここでも重要になるのは「場合分け」です。どの段階でどういう人材をどうしたいかという「場合」を明確に前提条件として決めないまま、「自由が良い」とか「全員強制だ」という議論をするのは時間の無駄です。往々にして「下流思考」で全員の底上げが重要だという論点の人は、それが上流思考の「自由派」のやる気を著しく損ねていることに気づかないのです。


営業の場面での顧客への提案でもこの構図は当てはまります。営業のプロセスにも上流と下流があります。まず最上流で必要なのは、そもそも対象とする商品やサービスの「必要性」を顧客に理解してもらうことです。その後はその商品・サービスの利用方法や効果について具体的に詳細を理解してもらって価格交渉、といったステップが下流のプロセスです。


ここでの上流下流にもここまで述べてきた法則が当てはまります。まずは 「重要性を理解して」もらわないことには話にならないため、往々にして営業担当者はその重要性を理解させようと、必死に扉を「外側からこじあけよう」としますが、この段階でのその膨大な努力はたいていの場合徒労に終わります。内側から扉を開けようという段階にない顧客に扉を開けてもらうのはとてつもなく困難です。


「投資対効果」や「他社事例」を求められて紹介しても、この段階での説得はほとんど実を結ぶことはありません。むしろこの段階で必要なのは、相手が内側から扉を開けようとしているかを見極めることで、もしそうでないなら 「相手を替える」ほうが、「扉をこじあける」よりもはるかに効率的であると言えるでしょう。ここでも「無駄な抵抗」に膨大な時間が費やされています。

 

ここまであげてきた事例のように、「やる気を出させる」「自発的に学ばせる」「重要性を理解させる」といった純粋に能動的な意識に関しての「気づき」は常に内発的なもので、外側からいくら大騒ぎしても決して扉を開けることはできないのです。それにもかかわらず、どれだけ多くの時間が「他人を変えよう」「気づかせよう」という労力に費やされているかは想像を絶します。これらすべて「無理」な取り組みなのです。


本章でも最後のメッセージは同じです。「だから教育は意味がない」のではなくて、だからこそ重要なのです。 天照大神が岩戸を開ける気になったのも外で楽しそうな踊りや歌が繰り広げられていたからです。外の人にできるのは、中の人に「外は楽しそうだからちょっと見てみよう」と思わせること。外側から岩戸に手をかけた瞬間から、それはすべて「無理」に変わるのです。

 

細谷功『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』

 第22章「啓蒙という幻想 教育は無力か? より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

いかがでしたか?

 

引用した箇所は本書の最終章にあたり、

それまでの章で積み重ねてきた話が

前提として語られている部分も少なくないので、

わかりにくかったかもしれません。

 

それでも、「教育の可能性と限界」という

テーマについて考えたい人にとって

本書には重要なヒントが書かれていることが

垣間見えたのではないでしょうか。

 

 

本書の最も重要なキーメッセージは、

帯の中央に赤い文字で書かれている

 

理不尽なのは、「世の中」ではなく

「わたしたちのアタマの中」である。

 

です。

 

本書は細谷功さんの著作の中でも

もっとも抽象度が高い1冊でもあるので、

細谷さんの本を初めて読まれる方には、

『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』

『地頭力を鍛える  問題解決に活かす「フェルミ推定」』

『問題発見力を鍛える』などをお奨めしますが、

自分のアタマの構造を熟知し、

そのことにわたしたち人間自身が

どこまで自覚的になれるかが重要だと

感じられた方は

本書を手に取って読まれ、

そして、ただ読むだけでなく、

書かれていることをぜひ実践されてください。

 

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

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