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「統合する」ということ(その4)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

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「統合する」ということ(その4)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

「統合する」ということ(その4)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』

2024/09/09

昨日9/8に投稿した記事の続きで、

〝統合する〟ということを

テーマにした記事の4回目です。

 

昨日は、安冨歩さんが

2013年に上梓された

『合理的な神秘主義 生きるための思想史』から

序の次に置かれている《本書の構想》を

引用して紹介しました。

 

安冨さんの問題意識がとても明確で、

インパクトのある文章でしたね。

 

本の中身については、この

『合理的な神秘主義 生きるための思想史』

じかに読まれるのが一番いいのですが、

紹介されている24名の人物について、

ある程度アウトラインを理解していないと、

本書1冊を読み解くのは

骨の折れることかもしれません。

 

ただ、このような書物は他に

ほとんど類書を見かけることがないので、

一般にはまったく関係がないように

見做されている人物に対して、

相互関係を意識しながら考察するのは、

具体的にどういうことなのかがわかる

希有な本と言ってよいでしょう。

 

安冨さんは2023年12月に

東京大学を退職されているんですが、

東京大学東洋文化研究所のwebsiteに

研究のアウトラインを知ることが出来る

インタビュー記事が掲載されているので、

ご覧になってみて下さい。

 

また、本書では〝神秘〟という言葉が

重要なキーワードなんですが、

それについては、安冨さん自身が語られている

次に紹介する2本のYouTube動画をどうぞ!

 

「神秘的な合理主義」から「合理的な神秘主義」へ-安冨歩


神秘とは何か?あなたの生命を動かし、人生を切り拓く力について。ウィトゲンシュタイン・ラッセル・ゲーテル・グレゴリーベイトソン。安冨歩東大教授。一月万冊

二本の動画の安冨さんは

女性装ビフォー、アフターというか、

あまりに風体が違っていて

とても同一人物とおもえませんね〜

 

二本目のネコミミがかわいらしい! 笑

 

 

さて、『合理的な神秘主義 生きるための思想史』

の《本書の構想》に戻りますが、

学問分野が「対象」によってではなく、

「盲点」によって定義されているという指摘は

傾聴に値する見解だとおもいますし、

分野毎に使われている言語が異なるので、

学際研究を成立させること自体

難易度が高いという現実は確かにあるでしょう。

 

それでも、だからといって、

学際研究が必ず失敗するとは言い切れず、

難易度は高いにも拘わらず、

分野を超えた研究に熱心に取り組まれている方も

いらっしゃいます。

 

そこで、本日のメインコンテンツなんですが、

分野を超えた学際研究に

積極的に取り組もうとされている研究者の一人で、

最近この寺子屋塾ブログでも紹介する頻度が多い

池谷裕二さんの著書から、

学際研究に言及されている箇所をご紹介。

 

8月に投稿した「内的観点と外的観点」の

連投記事(その10)〜(その12)でもご紹介した

『単純な脳、複雑な「私」』の最終章にあたる

第4章の最後で、

3日間池谷さんのレクチャーを受けた高校生たちが、

全体の感想を話している箇所なんですが、

(イタリック体が高校生の発言部分)

文脈がわかるように

少し前の箇所から引用します。

 

ちなみに、この本の単行本は、

2009年5月に出版されているので、

前記した安冨さんの本が2013年ですから、

ほぼ同時期と考えてよいでしょう。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※4-35の続き

———自分が行動したいと思うよりも先に、前頭葉で意志を準備しているということは、自分が考えているつもりでも、脳の内部の方から、作為的に「こうしろ」と言われている感じで、自分の思考がコントロールされているんじゃないか。自分の思考ってどこまで本当に自分が考えていることなのか、自分で行動していると思っていても、マリオネットにすぎないんじゃないか……。

うーん、そうだね。僕の講義では「操られてる」という点を強調した。いや、もしかしたら強調しすぎてしまったかもしれない。でも、よく考えてみるとわかるんだけど、その操ってる本体は、結局は、自分の脳にほかならない。だから、別に操られてるわけじゃなくて、やっぱり自分が行動しているんだね。それが単に無意識にスタートしているだけだ、というふうに考えてみたらどうだろう。少しは気持ちが楽になるかな? 

 

———準備されているものに対して、自分の体は応じるだけだとすると、自分の完璧な意志と言えるのはどこまでで、自我はどこまで意識できるのか。そうやって考えていくと、やっぱりこんがらがってきますね。

 

4-36 「自由」は感じるものであって、本当の意味で「自由」である必要はない
少なくとも言えるのは、僕らは自分が思っているほど自由ではないってことだ。自由だと勘違いしてるだけ、という部分はかなりある。でも、「自由」は感じるものであって、本当の意味で「自由」である必要はない。だから、僕らは「自由意志」をすでに感じて生きているんだから、もうそれでいいじゃないか、それ以上僕らは何を欲するんだ、という言い方もできるね。

 

ただ、心にわき起こる感情など、自由でない部分もいっぱいあることを知っておく必要はあるよね。なかなかコントロールが効かない。ひどい嫌がらせをされたら誰だってムッとくるでしょ。「俺には自由意志(あるいは自由否定)があるから、怒らない権利を行使しよう」なんてのは無理だよね。ムッとするときには、そんなことを考える余裕さえなく、ムッとしてしまう。しかも、タチが悪いことに一度、怒ってしまうと、なかなか怒りはおさまらないよね。「よし、3秒後には怒りを消そう」と念じても、すぐにはおさまらない。

そういうふうに感情って自由じゃない。よく「気にくわないから叱ってやったよ」なんてエラそうにいうオヤジがいるけど、でも、それは勘違いだ。自動的に怒りがわいてきて、その感情に従って叱っただけ。でも、本人は教育してやったつもりになっている。ただそれだけだよね(笑)。


でも、こうした不自由はなにも悲しむべきことじゃない。すべてを意識で制御していたら大変なことになる。すぐに頭はいっぱいいっぱいになっちゃう。だって、箸をつかむだけでも何十という筋肉が精密に動いているわけでしょ。こんな細かい筋肉の動きまで、すべてを意識して計算していたら、たまったものじゃない。無意識に任せた方が、はるかにラクじゃないかと思うわけ。


———こじつけで自分の思考を歪めているんだったら、自分の考えというのも、自分がほんとに考えていることそのものじゃなくて、周りの状況に迫られて無理やりつくった結果として出てきたものなのか……。

 

そうそう。いいこと言うねえ。結局は「主体性」って一体何なんだろうということになってくるよね。芸術における目新しさ、奇抜性、新奇性なんかもそうで、芸術だってまったくの無から新しいものをつくり上げるかというと、そんなことはない。絵画だって、映画だって、音楽だって、詩だってそう。本人が気づいているいないにかかわらず、やっぱり「借りもの」が多いでしょう。そういうことと関係ないかな。


———操られているマリオネットが、操っている無意識に作用することもできるわけですよね。考え方を変えるということは。だから、必ずしも完全に操られているとは言い切れないんじゃないか……。

 

———自分で自分を操ってるということで、自分を操っているのも自分、操られているのも自分ってことなんじゃないの……。


4-37 脳研究は、学問横断型の接着剤
あはは、そうそう、そうやって、なんだか話がこんがらがっちゃうね。そういう心の作用が、無意識の世界から生まれている以上、そこで何が起こっているかは、正直、僕たち脳科学者にもつかみきれない部分が多いんだ。その辺の研究はこれから著しく進歩するはずだから、何年か後に改めて講義をやったら、そのときには「こんなところまでわかったんだぞ!すごいね」って説明できるかもしれないね。あ、君らの後輩、未来の高校生にね(笑)。


逆に言うと、君らはまだわからないことがたくさん残っている世界に生きているんだから、もし将来科学者になるんだったら、君ら自身の知恵と力によって開拓していける領域はまだたくさん残っている。それだけ課題が山積しているということ、これは幸せなことだよね。

 

———最初は生物と心理学みたいな、その辺のお話かなと思ったんですけど、最初におっしゃったように、これはサイエンス、科学全体に波及する話だなとだんだん感じてきて、さらに講義を聞いていたら文系の教科、社会学なんかにも通じてるんだな、としだいに思ってきました。 


ああ、いいこと言うね。そうなの。脳科学というのは、今までまったく無縁だった学問、たとえば、哲学とか心理学とか社会学とか、そういったものを結びつける接着剤の役割を担える分野なんだ。最近では、経済や政治、倫理学、芸術や奇術などにも、脳科学は接近しているんだよ。
今までの研究は、専門家が訓練を受けて、専門のことだけのエキスパートであればいいというスタンスで科学は進んできた。たしかに自分の専門分野でさえ極めるのは困難なのだから、他の分野の理解に時間を費やしている余裕はない。


ところが、ふと気づけば、あまりに専門化が進みすぎて、領域はバラバラになりすぎてしまっている。もしかしたら相当なムダをしているんじゃないかということで、ここ何年かは「学際的」な研究が志向されている。学問横断型の研究を推進して、各分野をもっと融合し、有機的に統合していこうと。その第一線に立てる研究分野のひとつが脳科学かなと、まあ、個人的な思い入れはあるけど、少なくとも僕は、そう強く感じている。いいコメントをありがとう。

 

———うーん、僕が大トリですね......(笑)。この3日間勉強してきて、とくに記憶に残っているの が1日目の記憶の問題です。自分たちが普段やってることは記憶を元にして未来を予測することだ、とおっしゃったじゃないですか。だから……もういっぱい言われちゃったから、何を言えばいいのか……(笑)。

 

うん、言いたいことはわかる。つまり、僕らの心の成分として「記憶」はもっとも重要というくらい大切な要素だったよね。その一方で、初日の講義で言ったように、記憶ってすごく曖昧なものだよね。思い出すたびにどんどん変わっていっちゃうし、覚えてるのか覚えてないのかもよくわからないものもある。すると今度は、そんな曖昧な記憶によって僕らの「心」が支えられていていいのかと正直不安にもなる。

 

池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』第4章 脳はノイズから生命を生み出す より

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(引用ここまで)

 

この続きはまた明日!

 

 

【関連記事】

(その10)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』前編

(その11)池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』後編

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もともと知っているのなら、なぜわたしたちは本を読むのですか?

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元 言語から非言語へ』

古典とわたしたちのつながりを俯瞰すること

情報洪水の時代をどう生きるか(参考本24)

 

 

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