「統合する」ということ(その6)学問分野の統合・まとめ
2024/09/11
昨日9/10に投稿した記事の続きで、
「〝統合する〟ということ」をテーマにした記事も
これで6回目になっています。
というテーマの記事の続編でもあるんですが、
ひとくちに〝統合〟といっても
現実にはいろいろあるので、
学問分野の統合、学際研究という話から書き始め
5回の記事を投稿してきました。
学問分野の統合、学際研究については、
本日分で締めくくる予定でいますが、
これまでに書いてきた内容を前提として
話を進めることがあるので、
未読分のある方は、
まずそちらから先にお読み下さい。
昨日の記事では、(その1)から(その4)で
引用した3冊の本について、
わたしが重要だと考えるポイントについて、
要約し整理しました。
ジグソーパズルにたとえて書いたんですが、
結局のところ、学問分野の統合、学際研究の本質が
どういうところにあるかと問うときに、
大前提としておかなければいけないことは、
ひとつひとつ独立して存在するものを組み合わせ、
いままでになかったような
新しいものをつくることではないことです。
現在存在しているさまざまな学問分野は、
後天的に形成され、つくられていったもので、
最初から存在していたわけではありません。
つまり、もともと1つだったものが解体され
ワケが分からなくなってしまったものを、
モトの形に復元するような作業だから、
相互の接続、関わり、つながり方を
意識する姿勢が大切であると。
ひとつひとつの知識は、
バラバラで記憶し詰め込んでいても
そうした知識は
ほとんど役に立たないばかりか、
脳内のメモリーをどんどん消費していきますから、
やがてオーバーフローを起こしてしまいます。
だから、新しいことを知ったときには、
それを闇雲に覚えようとするのではなく、
既に自分が既に知っていたどんなことと
どのようにつながっているのかを意識し、
関連付けようとする姿勢が何より大事なんですね。
メモリーの中味を増やすのではなく、
自分自身を変化させられたかどうか、
つまり、それまで囚われていた思考の枠から
外に出られたかどうか、
自分のメモリーのキャパシティを
拡げられられたかどうかが大事なんだと。
そういう意味でも、日頃から
自分で問いを立てて考えようとする鍛錬が
とっても重要だってことになるんですが、
問いを立てるためには、
自分が何を知っていて、何を知らないか、
どこまでのことをどれくらい知っているかという
その境目に対して、
常に自覚的でいられるかどうかが大事なんですね。
また、記事の後半では、
失われた30年の原因をさぐるテーマで
記事を書いたときにも紹介した
付記として最後に収められている
「社会科学の暗黒分野」の冒頭部分を引用し
紹介しました。
引用した文章自体は短かったですが、
学際的研究を大事にされている森嶋さんの姿勢は
垣間見えたのではないかとおもいます。
情報が足りないと感じた方は、
次のYouTube動画2本などをご覧ください。
専門書ではなく一般書の枠組みで出され
読みやすい内容ですし、入手しやすい文庫なので、
興味のある方はぜひ本書を入手され
読んでみてください。
さて、昨日の記事には、
学問分野を統合し学際研究を進めていくことで、
結局のところ、何が見えるのでしょうか?
という問いも書いたんですが、
食生態学者・西丸震哉さんは次のような言葉を
著書に書かれています。
現状を正しく把握できてさえいれば、
一定の将来像が間違いなく想定できる。
過去を正しく理解して、
現在を冷静に見つめて、
その先にある未来を正しく想定する。
つまり、現状把握の解像度が上がって、
現在を冷静に認識できていれば、
未来のことは正しく想定できるというわけです。
大脳思考を使って未来のことを
考えようとすればするほど、
現状認識が疎かになって
根拠のない妄想ばかり膨らんでしまうことでしょう。
でも、未来のことを考えようとする思考を止め
常に今に居続け、今を感じるようにすれば、
未来のことが正しくわかってくるというのは
おもしろいパラドクスですね〜
学際的研究によって書かれた森嶋さんの
1999年に50年後の日本の姿を予測して
書かれたものですが、
25年経った現在の日本の社会状況を
恐ろしいほどに言い当てているのも、
当たり前といえば当たり前なのでしょう。
この続きはまた明日!
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