「統合する」ということ(その15)時間と空間の関係②
2024/09/20
昨日9/19に投稿した記事の続きで、
「〝統合する〟ということ」をテーマにした記事も
今日で15回目になりました。
これまで投稿してきた14回分で書いた内容を
前提として話を進めることがあるので、
未読記事のある方は、
まずそちらから先にお読み下さい。
昨日投稿した記事では、
一人のピアニストが演奏している
20世紀のピアノ音楽作品の
音源動画4本シェアし紹介しました。
さて、あなたはどの曲に
空間的な広がりを一番感じられたでしょうか?
一般に、芸術作品とされるもののうちでも、
音楽は「時間芸術」、
絵画や彫刻のような美術作品は
「空間芸術」と称されることが少なくありません。
たとえば、パブロ・ピカソが1907年に描いた
「アヴィニョンの娘」たちは、
描かれた5人の娘たちの身体には丸みも厚みもなく
正面と側面、あらゆる視座が不規則に同居し、
様々なパーツが
万華鏡の如く組み合わされていて、
いわゆるキュビズム(立体主義)の
先駆けとなりました。
つまり、絵画という平面空間の中に、
時間性を持たせようとした作品と
言ってよいでしょう。
昨日の記事で紹介した
ABCDの四つのピアノ作品は、
ちょっと聴いただけだと、
いずれもメチャクチャ弾いているように
聴こえるかもしれないのですが、
作曲するやり方は各々まったく異なるので、
その違いがわかるように記してみます。
A
Aの音源は、フランスの作曲家で指揮者でもあった
ピエール・ブーレーズが
1948年に発表した『ピアノソナタ第2番』
1オクターブの中には、
12の音があるわけですが、
それを順番に並べて音の列をつくります。
12音技法と言われる作曲技法では
その音の列の高さを変えたり、
音程を逆に反転させたりして変化を持たせ、
いわゆる対位法の一般化というか、
そうして生まれた
さまざまな音列の組み合わせで
作曲していくやり方が採られました。
ピアノソナタと名前がついていますが、
この作品には、
ソナタ形式をいかに破壊するかという
発想が根底にあったようで、
燕尾服を着たピアニストが
ステージで演奏できる最後のピアノソナタと
言われました。
B
Bの音源は、
アメリカの作曲家ジョン・ケージによって、
1951年に作曲された〝Music of Changes〟
邦題『易の音楽』の第1部。
この作品の作曲するにあたってケージは、
偶発性の考え方を導入し、
易経の六十四卦に、
音の高さや長さ、強さなどを当てはめ、
サイコロを振りながら、出た目に従って
音符を配置していくやり方が採用されました。
ただ、作曲はこのような偶発的な要素をもって
行われましたが、
譜面に厳密に記されているので、
ピアニストは譜面に基づいて演奏しています。
C
Cの音源は、ギリシア人のイアニス・クセナキスが
1961年に作曲した
〝HERMA〟(ヘルマ)と名づけられた作品。
ヘルマとは日本語で〝絆〟という意味で、
現代数学の集合論を用いながら、
推計学的に音を配置していく手法が採られました。
具体的には、
ピアノの鍵盤88を全体集合Rとし、
そのRから3つの部分集合A,B,Cを作成。
この部分集合ABCを論理演算しながら、
音を配置していくという作曲技法です。
ちなみに、この作品については、
旧ブログで
もう少し詳しく紹介したことがあるので
関心ある方はこちらの記事をご覧ください。
D
4つめDの音源は、
ブルガリア出身でフランスの作曲家
ブクレシュリエフ が、1970年に作曲した
〝Archipel アルキペル No.4〟
アレキペルとは〝群島〟という意味で、
実は本日の記事の冒頭画像は、
この曲の楽譜だったんです。
この作品には、作曲家から
「演奏会の前にピアニストは何も準備するな!」
という指示があるようです。
楽譜には14の断片が書かれていますが、
それをどこから弾いてもよく、
和音で弾いても、線的に弾いても構いません。
リズムや強弱や音域についても
厳密には指示せず幅を持たせてあって、
演奏者に委ねられているため、
演奏者はその可能性について、
その場その場で瞬時に判断して組み合わせ、
断片をつなげていくような姿勢で
演奏するわけなんですが。
さて、あなたはどの作品に
空間の広がりを最も感じましたか?
この続きはまた明日に!
【参考記事】
・雲黒斎『あの世に聞いた、この世の仕組み』(その3)
・佐治晴夫『「これから」が「これまで」を決めるのです』(「今日の名言・その21」)
・J.クリシュナムルティ「あなたは世界であり、世界はあなたである」(今日の名言・その68)