易とは〝機の哲学〟
2026/01/11
1/5の投稿以降、この寺子屋塾ブログは
易経関連で投稿していて、
今日もその続きとなります。
よって、これまで6日間投稿してきた記事を
未読の方はまずはそちらからどうぞ!
・井上淳之典の2026年を占ってみました(年筮:易経による運命占)
・グーグルAIに易経の判断を訊いたら間違った答が返ってきた
・思考鍛錬ツールとしての易経
大事なことなので、繰り返し書いておきたいのは、
とくに、この一連の記事で、
テーマの主軸として意識しているのは、
「なぜわたしが易経に着目しているのか」
ということです。
この、なぜわたしが易経に
着目しているのかについては、
一昨年の冬至(2024.12.21)に投稿した
・井上淳之典の2025年を占ってみました(年筮:易経による運命占)
の前半でも触れたんですが、
今日はその内容に、主意主義的な考え方など、
少し言葉を補足した上で
リライトしてみることにしました。
日本で易という言葉をきくと、
「占い」のことだと連想、イメージされる方が
すくなくありません。
たしかに、それも間違いではないのですが、
易をどのように活用できるかを問うたとき、
「占い」というのは、
非常に有益な活用法のひとつではあっても、
それが易のすべてだと考えてしまうのは、
あまりに勿体ない捉え方ではないかと。
わたしが最初に易経に触れたのは、
40年以上も前の20代前半の頃でしたが、
占いに興味があったからではなく、
実用的な生活の知恵としての自然法則や
深遠な人生哲学のエッセンスが
そこに語られているように感じたからでした。
したがって、わたしの場合、
未来に何が起きるかを正確に予測することや
その1つひとつの当たり外れに
強い関心があるわけではありません。
では、この10年間にわたって、
なぜわたしが易を立てるということを
日々の日課としてきたのかと云えば、
今の自分自身に見えていない盲点というか、
自分自身を含むまわりの現状に対して、
解像度をより高くして
把握したいという気持ちが強いからです。
現状が把握できさえすれば、
未来に何が起きるかとか、
自分がどうすればいいかというのは、
アタマで考えて予測しなくても
自ずとわかることなので。
人はたとえば、
結婚することは良いことであっても、
離婚することは良くないことだと見做すなど、
コトの良し悪しを判断しがちで、
自分と無関係な外側の環境の側に、
幸運不運のタネが転がっていると考えがちです。
しかし、その良し悪しの多くは、
人間の勝手な都合というか幻想であって、
主観的なひとつの見方というか、
相対的な価値判断にすぎないので、
現実には、良いことばかり起きることも
悪いことばかり起きることもありません。
つまり、すべては目の前の事実に対して、
他でもない自分自身がどのように解釈し
どのように意味づけをしているかでしかなく、
主意主義的な観点・・・外的条件や環境で
人間の幸不幸が左右されないと考えられるならば、
目の前で起きていることは
すべて必然というか、
起きるべきことが、起きるべきタイミングで
起きているとなりますから、
その良し悪しを言ったところで
何もはじまらないのです。
となれば、自分にできることは、
その良し悪しは一旦脇に置いて、
日々変わり続けている現実の世界を
自分自身がどのように捉えているかを自覚し、
不必要な意味付けや幻想を混ぜること無く
事実中心に、正確に観察しようと努めることと、
自分には、見えていないまわりの現状や盲点、
自分ひとりで意識することが難しいとされる
心の中の潜在意識領域にも
意識を向けながら、
行動する〝タイミング(機)〟を
どう見計らうかでしかありません。

易経は、英語では
〝The Book of Changes〟と訳されているんですが
わたしに関心があるのは、
日々変わり続けている現実の世界を生きてゆく
タイミング(機)をつかむ直観をどう鍛錬するか
ってことなので、
〝機の哲学〟とも言われる易経を学ぶことは、
そのための非常に貴重な手段となり得るように
考えているためなのです。
そして、そうした姿勢で
日々を過ごそうと努める姿勢は、
この寺子屋塾で大切にしている
問う力、自分の頭で考える力を
鍛えてくれるように考えているわけなんですが。

さて、今日1/11は妻の誕生日で、
午前中は妻の提案にのり、
わが家から車で15分ほど走ったところにある
伊坂ダムまでウォーキングにでかけました。

そして、午後からは
親族一同がわが家に集い
妻の誕生日祝いの会食会でした。

ちなみに、本日の日筮は以下の通り。
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【今日の易卦(日筮)・連続投稿3664日め】
1/11(日) 17.沢雷随の九四(たくらいずいのきゅうし)

[卦辞、読み下し文、かな文、直訳、大意と判断]
随。元亨利貞。无咎。
随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(り)あり。咎(とが)なし。
ずいはおおいにとおる。ただしきにりあり。とがなし。
沢雷随の時、大いに通じる。貞正であれば良い。問題はない。
「随」は従う、随行する意。末娘を表す外卦「沢(兌)」に、長男を表す内卦「雷(震)」が随(したが)う時と見ます。よって、自己主張したり、独立してコトを起こしたりするよりも、信頼できる人に従う時です。ゆっくりと力を蓄え、相手のペースに任せて吉。また、陽爻3つ、陰爻3つの組み合わせは、バランスの良い関係を暗示し、男女関係においては恋愛運好調の時と見ます。好きな相手に尽くすのが喜びになるので、たとえ振り回されることになっても、まったく気にならないかもしれません。ただ、本命の異性との関係を進展させたいなら、過去をきれいさっぱり清算し、未練や腐れ縁を断ち切るべき時とも言えるでしょう。臨機応変な対応がポイントです。
[爻辞、読み下し文、かな文、直訳、大意と判断]
隨有獲。貞凶。有孚在道以明何咎。
随(したが)って獲(う)る有(あ)り。貞(てい)なれども凶(きょう)。孚(まこと)有(あ)って道(みち)に在(あ)り、以(もっ)て明(あき)らかなれば、何(なん)の咎(とが)あらん。
したがってうるあり。ていなれどもきょう。まことあってみちにあり、もってあきらかなれば、なんのとがあらん。
従って獲物を得る。その行為は貞正であっても凶。だが、誠をもって道を守り賢明であれば何の問題があろうか。
九四は陰位に陽爻で剛毅にすぎて、君子の側近として六三を率いて権力を振るうため、得られないものは何もありません。君子を凌ぐほどの権力を手にするために、自分では正しいつもりでもまわりに疑われ失脚してしまいます。得意先からワイロやリベートをもらうようではいけません。何かと疑われやすい時なので、気持ちを引き締め謙虚に君子に従いましょう。
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〔卦の意味について井上の補足コメント〕
沢雷随の場合、次の18.山風蠱とは上下をひっくり返した綜卦であるのと同時に、陰陽を反転させた錯卦の関係でもあるんですが、どんな対比にあるかを考えてみましょう。沢雷随は沢→三女(若い女性)を雷→長男(年上の男性)が追いかける状態、山風蠱は山→三男(若い男性)を風→長女(年上の女性)が誘いかける状態とみると、反対方向といえますね。また、随は周囲にある外側の動きや流れを見ながら身の処し方を考える卦であるのに対し、蠱は自らの内面の衝動や葛藤、対抗するものへの反発心などによって否応なく事態が進んでいく卦と言えそうです。ちなみに、64卦のうち奇数卦とその次の偶数卦との関係が、綜卦であり錯卦でもある組み合わせは、この随と蠱の他は、11.地天泰と12.天地否、53.風山漸と54.雷沢帰妹、63水火既済と64.火水未済で全部で4組あります。
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〔井上の日筮占断コメント・1/11〕
前日1/10の日筮・天火同人の三爻と上爻が陰転して沢雷随を得ました。陰陽バランスは一陰卦から前々日の三陰三陽卦に戻る形の変化です。随卦は従うように動いて喜びのあるとき。随九四は前回2025.7.11に得て以来なのでちょうど半年ぶり。陰位陽爻で不中不正、剛毅に過ぎていろいろなものが集まってくるため、誤解を受けやすいとき。「まわりから疑われやすい立場を心得て調子に乗らないように。目先の利は捨て今までのやり方を守ろう。」と解しました。
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【2026年1月の日筮】
1/1(木) 13.天火同人の九三(てんかどうじんのきゅうさん)
1/2(金) 33.天山遯の初六(てんざんとんのしょりく)
1/3(土) 03.水雷屯の上六(すいらいちゅんのじょうりく)
1/4(日) 09.風天小畜の九二(ふうてんしょうちくのきゅうに)
1/5(月) 03.水雷屯の上六(すいらいちゅんのじょうりく)
1/6(火) 06.天水訟の九二(てんすいしょうのきゅうに)
1/7(水) 40.雷水解の初六(らいすいかいのしょりく)
1/8(木) 60.水沢節の上六(すいたくせつのじょうりく)
1/9(金) 32.雷風恆の上六(らいふうこうのじょうりく)
1/10(土) 13.天火同人の上九(てんかどうじんのじょうく)
1/11(日) 17.沢雷随の九四(たくらいずいのきゅうし)
【参考関連記事】
・主知主義と主意主義について(『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』より)


