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臨と観・・・「見る」もいろいろ 

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臨と観・・・「見る」もいろいろ 

臨と観・・・「見る」もいろいろ 

2021/10/24

易経の64卦は、でたらめに並んでいるのではなく、1と2、3と4、つまり奇数と偶数で隣合わせになっている卦をワンセットで捉えると理解しやすいです。

 

たとえば、41番目は山沢損で、その次の42番目が風雷益というのは、「損」と「益」で対ですから、一番わかりやすい組み合わせといってよいでしょう。

 

また、64卦の19番目は地沢臨なんですが、次の20番目にある風地観とセットになっていて、二つの卦の卦象を並べてみると、上下を逆に反転させた綜卦(賓卦ともいう)の関係にあることがわかります。

 

臨と観はどちらも「見る」という意味あいをもっているんですが、どんなところが対になっているかといえば、一つの解釈は、向きが逆で、「臨」が上から見下ろすという意味の語でもあることから、これから進んでくる者に期待を抱き、望み見るという意味(上→下)の卦に対し、「観」は目標や憧れとしての存在を示し、仰ぎ見られる(下→上)卦というもの。

 

つまり、「臨’で期待の新星と目されて育った人が、今度は「観」で後輩から尊敬の眼差しで仰ぎ見られるようになったと言えば、この二つの卦が単に対の関係というだけでなく、ひとつのストーリーとして続けて読むこともできるわけです。

 

この「見る」は、わたしたちが日常的にあたりまえのように使っている言葉ですが、だれが何を「見る」のか、そしてどのように「見る」のかなど、細かく見ていくと、結構いろんなバリエーションが考えられ、一律ではありません。

 

よって、両者は質の違いを表し、臨は一方的で表面的、物質的な観察であり、対象に自分から迫って行く動的な観察であるのに対し、観は、相手の存在を鏡として自らを省みるというように、双方向的であり、本質的、精神的な観察という解釈もあります。

 

わたしたちが日常で「見る」という意味で使う漢字も、観のほかに、診、視、看、鑑などがあり、英語の言い回しでも、「見る」と訳せる単語は、watch、look、seeと複数あり、これらは微妙に使い方が異なります。

 

そうした各々について、場面場面によって使い分けが必要だという話はよく言われることですが、易の場合は、そうした細かい違いを読み説くヒントが各卦の変爻にもあると言ってよいでしょう。


つまり、臨の変爻では、咸臨(感じてのぞむ)、甘臨(あまくのぞむ)、至臨(真心を尽くしてのぞむ)、知臨(相手を知ってのぞむ)、敦臨(篤実の情でのぞむ)とありますし、また観の変爻では、童観(子どものように見る)、闚観(のぞき見る)、我観(自分を見る)、観國之光(見えない所までも広く見る)とあります。

 

さらには三爻、五爻とも我観とあるんですが、微妙に異なった見方を示唆していて、「自分を見る」ということがけっして一筋縄ではいかないことを暗示しているかのように感じました。


また、観の四爻の爻辞に出てくる「観光」など、わたしたちが日常使っている言葉やよく知られた名前のなかにも、おもいがけず易から取られた言葉があったりします。

 

臨については、万延元年(1860年)に日米修好通商条約を批准する使節団が乗った船の名前「咸臨丸」がそうですが、易を学んでいくことで、幕府がどういう想いを託してこの名前をつけたのかということが垣間見えたりもします。


日本では、易経と聞けば未来を予測する占いの書という理解が大半でしょう。

 

たしかにそういう側面もあるのですが、3000年とも4000年とも言われる歴史を経てなおその淘汰に耐えてきているだけに、書かれている内容は非常に深淵で、単なる占いの書としておくのはもったいなく、今を生きようとする人のための人生哲学の書という部分は、もっと光が当たってもよいのではとおもうのです。

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