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「事実に着目する」ということ

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「事実に着目する」ということ(つぶやき考現学 No.76)

「事実に着目する」ということ(つぶやき考現学 No.76)

2021/12/19

「事実に着目すること」って
最近、口癖のように言っていますが、
でもそれは、
「目で見て確認できることだけ」を
見てればいいってことではありません。
 
たとえば重力、磁力、電気、水蒸気・・
これらはみな目には見えませんが、
今の世の中で、そうした見えないものが
確かに存在していることを
疑う人はいませんよね?
 
目の前に起きている現象には、
その現象を起こさせるような
何らかの力が必ずはたらいているわけで、
その「見えない力」に
気づけるかどうかが大事なんです。
 
つまり、現象を捉えるときには、
目に「見えている現象」と、
それを引き起こしている
目には「見えない力」とを
セットにして捉えることが大切で、
見えているものばかりに
振り回されない姿勢が大事だって
おもうってことがひとつ。
 
そして、もうひとつ大事なことは、
その事実をどう見ているかは、
一人ひとり違うし
同じ人間であっても時間の経過によって
常に変わり得るってことです。
 
たとえば、目の前に水が半分入っている
コップがあるとしましょう。
「水の入ったコップがある」ことは
たしかに誰にとっても
同じ事実なんですが、
そのコップを「どう見るか」
「どう捉えているか」については、
だれにも決められないし
だれもがわからないことなんです。
 
水が「半分も入っている」と
おもう人がいれば、
水が「半分しか入っていない」と
おもうひともいて、
一人ひとり違うんですね。
 
つまり、わたしたちは
あるひとつの事実があっても、
その事実をありのままに見ているわけでなく、
個別にさまざまな感情、思考、観念などを
無自覚のうちに上乗せして
自分流に解釈してしまっているわけです。
 
その無自覚のうちに
感情、思考、観念などを上乗せした現実に対して、
それがそのまま事実であるようにおもいこみ
信じて疑わないような姿勢は、

まわりとの間でさまざまなトラブルを

引き起こしかねないでしょうから。
 
よって、「事実に着目する」ということは、
こうした思考のクセに

個々がまず自覚的でいようと努めることであり、
個別に異なる「感情、思考、観念」を

よく観察して、

それらをいつでも「事実」から
切り離せるようにしておくってことなんです。(2019.6.14)

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.76

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