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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より(今日の名言・その29)

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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より(今日の名言・その29)

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より(今日の名言・その29)

2022/08/01

   

 本書は哲学の諸問題を扱っており、

 そして——私の信ずるところでは——

 それらの問題が

 われわれの言語の論理に対する

 誤解から生じていることを示している。

 本書が全体としてもつ意義は、

 おおむね次のように要約されよう。

 およそ語られうることは明晰に語られうる。

 そして、論じえないことについては、

 ひとは沈黙せねばならない。

 

ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889〜1951・オーストリア生まれの哲学者)『論理哲学論考』序文より

 


難解な哲学書の筆頭としてしばしば挙げられる

この『論理哲学論考』を完全に読破できた人は

たぶんごくごく少数でしょう。

 

20世紀最大の天才哲学者のひとりとして

挙げられることの少なくないウィトゲンシュタインが

生前出版した唯一の哲学書でもあるこの書に

初めて遭遇したのは、

わたしが20代の頃でしたが、

何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。

 

でも、彼のような天才ではないわたしですから、

読んでわからなくて当然でしょう。

 

もし、読んですぐにわかってしまうようなことが

そこに書かれているのなら、

わたしも彼と同じ天才ということに

なってしまいますから。笑

 

先週投稿した記事には、

デカルトの言葉を採り上げ、

ある人が20年かかって考えたようなことなら、

たぶん20年ぐらいかけて考えてみないと

本当の意味での理解には届かないだろうし、

そうした考えを丁寧に生きて確認してみることが

何よりも大事なんだ

と書きました。

 

それは心底そのとおりだとおもうのです。

 

ウィトゲンシュタインという人は、

哲学の分野的にいうと、論理学から入って、

分析哲学、言語哲学に進んだ人でした。

 

彼の名は、これまで書いた記事で

2度ほど採り上げたことがありますので、

次の2つの記事をご覧になって、

彼が考えていたこととは何だったのかに

想いを馳せてみてください。

 

書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」

(「今日の名言・その7」)

〝指月の法〟とことば(つぶやき考現学 No.28)
 

 

冒頭に名言として紹介した序文にあるように、

この『論理哲学論考』全体の論旨そのものは、

そんなに難しいことではありません。

 

 およそ語られうることは明晰に語られうる。

 そして、論じえないことについては、

 ひとは沈黙せねばならない。

 

なんだ、あたりまえのことじゃないか!

っておもいますよね?

 

6月に書いたblog記事では「観察力」

7月に書いたblog記事では「事実と意見を分ける」

「情報リテラシー」をテーマにすることが

多かったのですが、

『論理哲学論考』は、冷徹な観察に貫かれていて、

人間はどこまで考えることができるのか、

その限界を示そうとしたと言ってよいでしょう。

 

「考えることのできる限界までは語っていいけれども、

それ以外のことについては、

それがあたかも事実であるかのように

語ることはやめなさい」と言っているわけで。

 

冒頭の名言の前半部にも

問題はわれわれの言語の論理に対する

〝誤解〟から生じている

とあるんですが、

生前ウィトゲンシュタインは、

哲学の役割について問われたときに、

「ハエ取りツボに陥ったハエに

 出口を示してやること」と答えました。

 

『論理哲学論考』を翻訳された野矢茂樹さんも、

ウィトゲンシュタインの哲学觀について、

哲学問題を抱え込んだ人間は一種の病人であるから、

それを治療するのが哲学にほかならない。

哲学者こそもっとも重い病人であり、

哲学者はなによりも

自分自身を治療するために哲学をする。

こちらの記事に書かれています。

 

野矢さんの記事も面白い内容なんですが、

ウィトゲンシュタインという人に興味を持たれた方は、

松岡正剛さんの千夜千冊で、

『論理哲学論考』を採り上げた回があり、

ちょっと長いんですが、

生いたちから論考の要旨まで

とてもわかりやすく書かれているので、

こちらの記事を読んでみて下さい。

 

ちなみに、『論理哲学論考』の結語といわれる

最後の文

 

 7

 語りえないことは沈黙しなければならない。

 

のひとつまえの文章は次のとおり。

 

 6.54 

 私を理解する人は、

 私の命題を通り抜け――その上に立ち――

 それを乗り越え、

 最後にそれがナンセンスであると気づく。

 そのようにして私の命題は解明を行う。

 (いわば、梯子をのぼりきった者は

 梯子を投げ捨てなければならない。)

 私の諸命題を葬りさること。

 そのとき世界を正しく見るだろう。

 

つまり、平たく言い換えるなら、

「わたしがこの本で書いているようなことは

けっして大したことではなく、

ひとつの方便でしかありません。

梯子(はしご)を使ってのぼってしまったら、

その梯子を捨ててくださいね〜」ってことです。

 

わたしの書いているblog記事も、

そんな風に読んで頂けたらありがたいです。

 

冒頭の写真はウィトゲンシュタインのお墓なんですが、

上の方に小さな「はしご」があるのが見えますか?

 

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