情報洪水の時代をどう生きるか(その1)
2022/12/01
今日から師走12月ですね。
木曜はマネジメント関連の記事を書いているんですが、
今日は、先週の木曜11/24に書いた記事
続きを書いて行こうとおもいます。
そこにも書いたとおり、
高校2年生だった17歳のときに
庄司薫さんの「抑制力、想像力が大事」という言葉に
ピンと来たわたしは、
「何をするか」より「何をしないか」が大事
という姿勢を、いつしか生きる姿勢の
基軸に据えるようになっていきました。
ただ、こうしてわたしが何かを書いて
発信するという行為自体が、
情報洪水をこれまで以上に増やすことに
加担しているわけですし、
掲げたタイトルと矛盾するようですが、
「情報洪水の時代をこうすればうまく生きられる」
といったような結論めいたモノであるとか、
方法論や正解をここに示そうなどという気持ちは
全くありません。
少し前にこのblogで起業のポイントという記事も
7回にわたって書いたんですが、
その記事も「こうすれば起業がうまく行きますよ」
ということではなく、
これまで28年の実践をいまふり返ってみて、
わたし自身がポイントだったと感じていることを
整理するつもりでまとめたまでです。
したがって、来たる12/25から連続ビデオ上映会を
スタートさせようとしている、
映画『ベリーオーディナリーピープル』のように、
永遠に完成しない〝予告編〟とでも言うべきもので、
この記事も、そんなふうに受け止めて頂けると
有難いんですが。
さて、高校2年で庄司ワールドに嵌まったわたしは
翌年、高校3年生のとき、バレンタインデーに
高橋悠治さんという音楽家(作曲家・ピアニスト)と
衝撃的な出会いをしました。
その日は名古屋で彼の初ピアノリサイタルが開かれ
ジェフスキー『不屈の民変奏曲』を演奏したんですが、
それについては旧ブログのこちらの記事をどうぞ!
それ以後わたしはしばらくの間、
彼の追っかけをやっていたんですが、
その追っかけのお陰で妻とも出会いましたし、
人生の師として私淑するようになっていきます。
たとえば、旧ブログに1984.5.12行われた
シンポジウムで彼の発言を紹介し
高橋悠治かく語りき(その1) という記事を
書いているので、ご覧になってみて下さい。
いま、人類が巻き込まれているシステムが
いかに無意味であるか、というような
メディアの使い方をする。
それは大きなメディアであれ、小さなメディアであれ、
そうだと思うんですね。
それが次にくる人たちが新しくどこででも
好きなところから始められるようにしてあげると
いうことだと思うんですよ。
等々とあって、なかなかに衝撃的な内容なんですが、
たぶん、庄司薫さんの「抑制力、想像力が大事!」
という姿勢に共通する方向性を
感じていただけるのではないかと。
その高橋悠治さんも、出会いから40年以上が経ち、
今年9/21には84歳になられたんですが、
いまもお元気で現役で作曲や演奏をされていて、
サイト水牛には今でも毎月
「水牛のように」へ文章をアップされています。
高橋悠治さんからは、
わたしは本当にたくさんのことを学びましたが、
「文章を書くことの大切さ」もそのひとつでした。
すこし前に、
ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得
という記事も書きましたが、
たとえば、わたしがなぜこうして
blog記事をなぜ毎日書いているかといえば、
これも、自分の身体の外側にある情報に対して、
入力過剰状態に陥らないための
防御手段のひとつと言ってよいでしょう。
つまり、blogを毎日書くには
書くための時間を確保しなければなりませんから、
そうした姿勢自体が、
外界から情報を入力するのに費やす時間について
おのずと制約を設けることにもつながります。
また、「書くこと」を日々習慣化していくことで、
それを継続することさえ諦めなければ、
出力(表現)スキルは自ずと身に付いていきますし、
いまの自分が何に対して関心が向いているのか、
入力つまり、どんな内容を書くのかについて、
常に意識を向け、自覚的にならざるを得ません。
あくまで結果としてですが、
大げさに言えば、自分の人生理念であるとか、
生きる方向軸がどこに向かっているのかといった
日常なかなか意識化が難しいテーマについても、
書くことを継続していくことで
徐々に定まっていくことにもつながるわけです。
(つづく)