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らくだメソッドはなぜ、時間を計ることが大事なのか?

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らくだメソッドはなぜ、時間を計ることが大事なのか?

らくだメソッドはなぜ、時間を計ることが大事なのか?

2023/03/25

昨日投稿した記事の続きです。

 

らくだメソッドの開発者・平井雷太さんの著書

『見えない学校 教えない教育』

第2章 教えない教育 より

4.なぜ、時間を計ることが大事なのか?

の前半部分です。

 

この項の後半部は、平井さんの教室

すくーるらくだの生徒の事例が書かれているので

そこは省略し、

引用箇所の後にわたしのコメントを書きます。

 

(引用ここから)
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私が作った「らくだメソッド」には一枚一枚どのプリントにもめやす時間が設定されています。そして、「すくーるらくだ」で学ぶどの生徒も全員がストップウォッチを持って学習しています。ですから、プリントをするときに、まず日付と名前を書いて、最初の問題をやりはじめるときにストップウオッチを押して、最後の問題をやり終えたときにストップウオッチを止め、その時間をプリントに記入するようにしているのです。なぜそんなやり方をしているのかと言えば、子ども一人ひとりが自分の状態を自覚し、どのプリントを学習したらいいのかを子ども自身が自分で判断できるようにしているからです。


計るごとに自分の様子が見えてくる
水道方式の創始者・遠山啓氏は、「計算を行うとき、どれだけ時間がかかっても、その子の能力とは関係がない。早くできることを良しとしたことが教育を荒廃させたのであって、じっくり考えて答えを出すことに意味がある」というような内容のことを言われていました。「できる」よりも、「わかる」を優先するとこのような考えになっても不思議ではないのですが、それは同じプリントを何度か繰り返すことを「しんどいこと・つらいこと」と思っているから、そのように思ったのでしょう。そして、それをやらせるのが教師なのですから、子どもたちにとって、プリントを繰り返し学習することを楽しんでやるはずがなく、苦役だと思い込んだのではないでしょうか。しかし、私は水道方式で教えているうちに、このような考え方を疑うようになりました。むしろ、このように教師が思うことで、一人ひとりの子どもが「確実にできるようになっていく」チャンスを奪っているのではないかと思うようになったのです。

 

子どもに対して、計算を繰り返しやらせようとすれば、それをよろこんでやったりする子はほとんどいないでしょう。宿題に出しても、確かにイヤがってやってこない子が多いのです。だからといって、学校のように宿題をやってこない子を立たせたり、やってこないことを成績で評価したりと、やらせることを目的に子どもを脅すことになってしまいます。そんなことをしたくなかったので、らくだメソッドを作る前は本当に困っていました。しかし、らくだメソッドを子どもたちに使うようになってからは変わりました。


子どもたちは自分でやることが必要だと思った場合には、やってくるのです。信じられないほど同じプリントを繰り返し学習します。それは、きっと子ども自身がそれをやることを必要だと思っているからです。人から言われてやるのか、自分で決めてやるのか、その違いはものすごく大きいのです。私が作ったプリントは、ただ計算をするだけの実に素朴なプリントなのですが、どうして、自分で選んでそのプリントを子どもがやるようになるのかと言えば、そこにめやす時間が設定されていて、時間を計っているからです。


時間を計れば、自分のそのときの状態が見えてきます。すると、明日はどうなるだろう?今日と違う自分と出会うはずです。時間を計っていないときには見えなかったことが、時間を計ることで見えてきます。そんな体験をすることによって、子どもたちは嫌だったはずの計算の宿題を自分で決めて、自分でやるようになってしまったのです。


時間を計って、めやす時間より多くの時間がかかっていれば、自分でその時間を見て、同じプリントを何枚も宿題として要求します。めやす時間台でできていれば、次の単元のプリントを要求します。ところで、子どもたちがプリントを習熟したかどうかの目安にしているこのめやす時間はどのように設定されているのでしょうか? このプリントは計算ばかりですし、プリントを1枚先に進めたとき、新しい要素は1つしか入れていませんから、同じプリントを何度か繰り返していれば、じっくり考えなくても自然に鉛筆がスラスラ動くような状態になって、時間が次第に縮まっていくのです。しかし、ある一定のところまで時間が短くなると、それ以上は短くなりにくい時間に到達します。もちろん、子どもたちの中には、時間で合格していても、同じプリントを要求したり、合格していなくても、先のプリントにすすみたがる子どももいますが、それはそれで個別に対応します。

 

平井雷太『見えない学校 教えない教育』

 第2章 教えない教育

 4.なぜ、時間を計ることが大事なのか?より

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(引用ここまで)

 

時間の計測については、2021年11月に書いた

blog記事があるので、まずはそれをご覧下さい。

らくだメソッドではなぜ時間を計るのですか?

 

らくだメソッドでは、これまで紹介してきたように、

「わかる」→「できる」の順序を

「できる」→「わかる」としているのは、

その前提として、「教えない」関わり方が

あることに因るわけです。

 

これは、優先順位の問題でもあるんですが、

先生が教えた概念的なことについて、

学習者の一人ひとりがどれだけわかっているかを

把握しようとしても、

そもそも「わかったかどうか」

評価し判断する基準自体を設けることができません。

 

でも、問題が「できたかどうか」については、

「かかった時間」と「ミスの数」という形で

具体的な基準を設けることで、可能になるんですね。

 

つまり、時間を計るのは、

他の人と競争することや、

殊更に速く問題が解けるようになることが

目的ではなく、

そのプリントができたかどうか、

自分の状態を、自分で見えるようにすること

セルフラーニングにおいては

とりわけ重要だと考えているからです。

 

前述したように、学習した内容が

わかっているのか、わかっていないのかには、

基準を設けることが、現実には難しいこともあり、

勉強ができる、できないという話についても

基準が明確に存在しているかのようでいて、

実際には存在していません。

 

そうなると、そこには個人的なおもいこみや、

身の程をわきまえない妄想が入り込んでしまい、

自分でも気がつかないうちに

それに支配され、

現実逃避に陥ってしまいがちなんですね。

 

つまり、「できた」か「できなかった」か、

基準のない状態で鍛錬を繰り返したところで

そこには自分の妄想が入り込んでしまうし、

だからといって、

「できる」ことを目的に頑張ろうとすれば、

今度は結果ばかりを求め、

そればかりに囚われてしまいます。

 

吉本隆明さんは、「観念の遠隔対象性」

ということを言われているんですが、

人間のアタマの中にある妄想、幻想は、

事実からドンドン離れていってしまうので、

そうならないないためにも、

自分についての情報データを

事実に基づいて集め、可視化させようとする姿勢が

大事になってくるわけです。

 

らくだメソッドで時間を計るのは、

「できた」か「できなかった」かについて、

自分で明確に把握する学習を、

「できた」か「できなかった」かに

囚われずにやる鍛錬と言ってよいでしょう。

 

わたし自身もこの10年、

らくだメソッドで学習を続けているんですが、

この姿勢を日常化する鍛錬というのは、

最小限の努力によって、

最大限の効果が得られる可能性が高いというか、

かなり有益な方法だと実感しています。

 

この続きはまた明日に。

 

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