「自分は3人いる」ってどういうこと?(つぶやき考現学 No.115)
2023/05/21
「自分は3人いる」というのは、
まず、1人めは、
自分の知っている〝自分〟のこと。
そして、2人めの自分は、
他人の知っている〝自分〟。
そして、自分の知っている自分でも
他人の知っている自分でもない
3人目の自分が
どこかにいるという意味らしい。
しかし、自分の知っている自分というのも
実は、自分の目を自分で
じかに見ることができないように、
ほとんどが想像の産物で、
錯覚でしかないことがしばしば。
また、自分の知っている自分と、
他人の知っている自分が
違っているのはもちろんのこと、
10人に自分のことを聞けば、
きっと自分という人間を
10通りに語ってくれることだろう。
つまり、人生の目的とは、
3人目の自分を探すことでも
3人目の自分と出会うことでもなく、
1人目、2人目、3人目の自分に
出会っていくプロセスにこそあって、
さまざまな自分が立ち現れ、
そしてまた消えていくという
はかない存在でしかないとも言えるだろう。
「自分は3人いる」という言葉を
別の表現で言い換えるなら、
「自分という確固とした唯一無二の存在など
実はどこにもない」
ということになるだろうから。(1998.10.5)
※井上淳之典のつぶやき考現学 No.115
COMMENT:25年も前の詞ですが、
「自分は3人いる」というサティア・サイババ
(1926〜2011:インドの聖人)の言葉を読んで
浮かんだことばを書いたものです。
【関連記事】
・「自分を観る」と 「自分を探す」は似て非なること(つぶやき考現学 No.114)
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