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自分探しに2通りあり

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自分探しに2通りあり(つぶやき考現学 No.47)

自分探しに2通りあり(つぶやき考現学 No.47)

2021/12/27

自分探しには2通りありました。
 
いまの自分にはないものを
別の場所で探そうとする「自己探求」と、
いま、ここにある自分自身を掘り下げて
より深く知ろうとする「自己探究」です。
 
より良い自分を求めて、
それを外に探しにいこうとすることは
けっして間違いなんかじゃないし、
自分自身を見失うことは、
だれにだってあるものです。
 
でも、「いま、ここ」にいる
ありのままの自分を見て、
そのまま受け入れられない人が、
どうしてまわりの人を
受け入れられるんでしょうか。
 
童話のチルチルとミチルには
病気で足の悪い娘のいる老婆から
「青い鳥が見つかったら
娘が幸せになる」とお願いされ
青い鳥を探しに旅にでかけます。
 
でも、行けども行けども
青い鳥はどこにも見つからず、
物語の終わりに近づいたところで
二人が旅を終えて帰ってきたときに、
青い鳥が家の中にいたことに気づきます。
 
実はこの話には続きがあって、
ここで終わりではありません。
 
チルチルとミチルは
家の中にいる青い鳥を取り合って
ケンカを始めてしまうのですが、
二人がケンカをしている間に
青い鳥が窓から逃げ出してしまいます。
 
そのあとチルチルが
「誰か、あの鳥を見つけて、
僕たちのところへ返してください。
僕たちが幸せに暮らすためには、
あの青い鳥が必要なのです。」
とつぶやくところで物語は終わります。
 
さて、チルチルが最後につぶやいた
「幸せ」とは、
いったい何だったのでしょうか?
 
「自己探求」と「自己探究」は
似て非なるものではあっても、
もしかするとその違いとは、
紙一重の違いなのかもしれません。(2019.3.5)

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.47

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