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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その14)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その14)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その14)

2023/06/19

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにするというテーマを設定して

書き始めたこの記事も、

これで14回目となりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくい点もあり、

記事の最後に貼り付けた

関連記事のリンク集を適宜アクセス下さると

ありがたいです。

 

 

さて、昨日からは、寺子屋塾で学んでいる

塾生たちが書いているblog記事を紹介しながら、

寺子屋塾ではどんな学習をしているのか、

そして、その学習において

文章(考現学)を書くことの位置づけや

関わりなどについて書いています。

 

昨日は、塾生の坂田美佐子さんが

3年前に書いていたblogを紹介したんですが、

ご当人は、自分の記事を読み直してみて、

3年前に何があったかが、

すぐにはおもい出せなかったようで・・・笑

枠に囚われずに変化し続ける自分を見続ける

 

とはいえ、こうして自分の書いたものを

記事として残しておくと、

3年前の自分と今の自分とで比較が可能で、

自分の何が変わって、何が変わっていないかなど、

書いてあったことがヒントになって、

気づくことや見えてくることがあるんですね。

 

ただ、現実には、(その10)の記事で紹介した

加藤哲夫さんの「自分の頭で考えるために一番

大事なことは、自分の頭だけで考えないこと」

書かれていたように、

人間の頭は、先入観や固定観念の奴隷であり、

自分のやっていることは、

自分が一番わからないわけですから、

自分ひとりの力で変わっていこうとするのは

なかなか容易ではありません。

 

それに、今日ではblogを書いている人が

あまりに多すぎるので、

人に自分がblogを書いていることを

まわりの人に伝えたり、

「あの記事読んでどうおもった?」など

感想を問いかけてみるというアクションを

自分から起こすことなく

ただ、黙々と記事を書いているだけでは、

誰にも読んでもらえない可能性もあって、

どんどん独りよがりになっていく

危険性もあるわけですね。

 

つまり(その9)の記事に登場していた、

津野海太郎さんの言葉をお借りして言うなら、

もし、自分を変えたい(成長したい)のであれば、

自分を含む関係の網の目を

変えていこうとする姿勢が必要で、

ふだんから、自分の書いた記事に対し

フィードバックを返して貰えるような関係を

まわりの人と構築しようとしているかどうかに

かかっているわけです。

 

ちなみに、このあたりの話は

(その12)の記事

その8〜11で紹介した加藤哲夫さんの文章について

ポイントを整理した上で

わたしの意見もくわしく書きました。

 

また、寺子屋塾内の緩やかなつながりについては、

昨年12月に

計画的偶発性の場づくり 

 哲学対話とゲームセンター型コミュニティ

という記事も書いているので、

未読の方は併せて参照下さい。

 

 

さて、今日ご紹介する塾生のblog記事は、

2017年8月に塩坂太郎くんが書いたものを。

 

(引用ここから)
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“事実に思いがのる”

 
ブログを書いていく過程の中で、
気づきや学びが溢れてくることがある。
 
逆に 、気づきや学び、伝えたいことがあって、
それを言葉にして書いてみると、
なんだか言葉に思いがのっていない時がある。
 
そんな時、「事実」を書くことで、
その事実に自然と思いがのるという話を聞いた。
 
その言葉がずっと気になっていた。
 
僕の記事の多くは、らくだの計算プリントの内容が多くなってきた。らくだの計算プリントの内容だと、自然と「書く過程」で気づきや学びが生まれてくることが多い。
 
それは、らくだの計算プリントでは「事実」が明確に生まれているからなのだと思う。
 
今日はプリントができたか、できなかったか。
何分でできたのか、ミスは何個であったか。
何時にプリントをやったのか。
 
そういった事実が分かりやすく現れてくる。
だから自然と、「具体的な事実」を書きやすい。
その事実を書いていると、
その過程の中で気づきや学びが溢れ、
自分の想いが言葉にのりやすい。
 
これは、「事実」を書いている中で、
その「事実」がより自分の中に具体的に現れ、
より具体的な事実を改めて見つめることが、書くという過程の中でできてくる。
 
だから、気づきや学び、想いが書く過程の中で生まれてくるのかもしれない。
 
*** *** ***
 
自分の日常の中で、「事実」ということを見つめることが、
意外にも難しいのかもしれない。
 
できる・できない
わかる・わからない
知っている・知らない
美味しい・まずい
綺麗・汚い
良い・悪い
 
なにが事実なのだろうか。
自分が事実だと思っていることは、
事実というよりも自分自身が形作っているものにすぎない。ということが意外にも多い。
 
*** *** ***
 
どうしたら事実をつかめるのだろうか。ということを考えると、
「数字」が事実を浮かび上がらせてくれる、
ひとつの頼りのようにも思う。
 
わかる・わからない
知っている・知らない
美味しい・まずい
綺麗・汚い
良い・悪い
 
これらの境はどこにあるのだろうか?
ということを、言葉で語るのはとっても難しい。
 
なにをもって、わかるとするのか?わからないとするのか?
なにをもって、知っているとするのか?知らないとするのか?
 
それを言葉として線引きするのはとっても難しい。
 
*** *** ***
 
その点から考えると、らくだの計算プリントは、
数字で「できる」「できない」
ということがはっきりと、明確に現れてくる。
 
「数字」をうまく使って、
自分の事実をうまくつかめるのかもしれない。
 
らくだの計算プリントのように、
「数字」という記号をうまく使えれば、
自分の事実を、ただ見つめることができるのかもしれないと思った。
 
そして、「数字」はあくまでも
自分が現状を、事実を掴むための道具というか、「頼り」にすぎないのだと
思っていることもまた大事なのではないか。とも思った。

 

そのまんま太郎のブログ 2017年 8月 2日 より · 

 

上に紹介したblogの原文記事はこちら


この続きはまた明日!

 

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7)

(その8)

(その9)

(その10)

(その11)

(その12)
(その13)

 

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