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「〝教えない〟性教育」考(その11)

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「〝教えない〟性教育」考(その11)

「〝教えない〟性教育」考(その11)

2023/11/16

11/6より教えない性教育をテーマに

記事を書き始め、本日分が11回目となりました。
 

これから書こうとしている記事は昨日の続きで、

これまで投稿してきた記事には、

なぜ〝教えない〟性教育なのかであるとか、

どういう文脈で推薦しているのかとか、

モトになる考え方や背景などを記しているので、

これまでの投稿に未読記事がある方は

適宜参照された上で

本日分の記事を読んで下さると有難いです。

「〝教えない〟性教育」考(その1)

「〝教えない〟性教育」考(その2)

「〝教えない〟性教育」考(その3)

「〝教えない〟性教育」考(その4)

「〝教えない〟性教育」考(その5)

「〝教えない〟性教育」考(その6)

「〝教えない〟性教育」考(その7)

「〝教えない〟性教育」考(その8)

「〝教えない〟性教育」考(その9)

「〝教えない〟性教育」考(その10)

 

さて、(その5)からは、

〝教えない性教育〟を実践しようとする際に

わたしが推薦するに値すると考える

参考図書などの情報素材を紹介しています。

 

この連投記事の終わりぐらいのタイミングで、

そうした情報素材のリストを

作成するつもりでいますが、

これまで紹介してきた記事や書物等で主なものは、

この記事からじかにアクセスできるように

挙げておきます。

 

これまでの性教育はどうだった? みんなで考える性の学び方

「包括的性教育」とは?【知っておきたい教育用語】

武富健治『鈴木先生』(全11巻)

TVドラマ&映画『鈴木先生』

吉本隆明『家族のゆくえ』

橋本治『ぼくらのSEX』

橋本麻里編『恋する春画』

斎藤環『生き延びるためのラカン』

渡辺京二『逝きし世の面影』

 

さて、昨日の記事で紹介した

明治維新以前の日本人の姿についての

渡辺京二さんのルポ、いかがでしたか?

 

「絵画、彫刻で示される猥芸な品物が、

玩具としてどこの店にも堂々とかざられている。

これらの品物を父は娘に、母は息子に、

そして兄は妹に買ってゆく。

十歳の子どもでもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人が

ほとんど知らないような性愛の

すべての秘密となじみになっている」

 

なんてナカナカ衝撃的な文章ですよね〜

 

浴場では混浴が当たり前だったとか、

人が通るような玄関先で若い娘さんが

子どもたちといっしょに行水していたとか、

現代の日本人には信じられないような

大らかな国だったようで。

 

さてそれで、

昨日の記事にわたしは、

現代日本人の性意識に

ねじ曲がったところを感じる原因のひとつは、

江戸幕府が倒れて明治となり、

外来の思想や習慣を採り入れようとしたときの

採り入れ方に問題があった

と書きました。

 

つまり、現代に生きるのわたしたち大人が、

子どもたちには性教育が必要だと

考えてしまうこと、

そして、そうした性教育に難しさを

感じてしまうことの背景として、

江戸期以前の日本人が送ってきた生活様式と、

明治以後になって、欧米をお手本に

輸入してきた生活様式との間に

齟齬、葛藤が生じてきているからではないかと。

 

そしてこの問題は、性教育というような

限られたテーマだけの問題ではなく、

教育問題一般、さらには、

いまの現代日本が抱えているさまざまな問題に

通じているように感じるので、

その辺りをちょっと掘り下げて

考えてみたいとおもいました。

それで、今日は性教育というテーマからは

ちょっと外れてしまうんですが、

YouTube動画の落合陽一さんのチャンネルに

100分de名著『吉本隆明・共同幻想論』の

テキストをまとめられた先崎彰容さんが

ゲストスピーカーとして話されている

動画を見つけたので、それをご紹介しようかと。

 

視覚的にも内容が確認できるように、

文字起こししたテキストも付けておきましたが、

まずは動画をご覧になってみて下さい。

 

【落合陽一】成長できず、夢のない「若い人に“しんどい社会”を作ってしまった」「個人主義は肯定的な意味だけでない」日本思想史の先﨑彰容、アメリカを参照できなくなった今『日本の尊厳』『国家像』を問い直す

【文字起こし】

[ハイライト映像]

先崎:三島由紀夫が言ったこと、それから三島由紀夫が好きな詩人に萩原朔太郎とか伊東静雄ってのがいますけれども、明治維新以来、日本っていうのは西洋を追いかけてきたと。ところが、実際西洋には、まあ体つきから何から含めてなることができないで、振り返ってみたら自分たちの本来の姿を全部振り捨ててきた。日本は一切のものを喪失したって萩原朔太郎は『日本への回帰』という評論に書いてます。そういうことに三島由紀夫っていうのは非常に若い頃にこう繊細な感受性を刺激された存在で、極東の片隅に空っぽでニュートラルな無機質の経済大国が浮かび上がってくるだろうと。要するにこの国っていうのは、アメリカっていうのをモデルにしてきたんだけれども、夢のない若い人たちにとってしんどい社会を作ってしまったんですね。皆さんにぜひ分かってほしいのは、その「個人主義」っていう言葉は、決して肯定的な意味だけを持ってないってことなんですね。

 

[本篇]

先崎:ブラッド・ピットが出た映画に『リバーランズ スルーイット』ってのがあるんですよ。

 

落合:はい。

 

先崎:これってブラッド・ピットが川の大自然の中でルアーフィッシングをするっていうのが映画の流れなんですけど、あれって実はアメリカの宗教の原風景を書いたものなんですね。ハーバード大学にエマソンっていう人を讃えたエマソンホールっていうのがあるんですが、

 

落合:はい。

 

先崎:このエマソンとかっていうのはこの反知性主義というかアメリカの宗教の源泉について考えた人で、大自然の中に合一化して自然の中に自分は溶け込んでですね、そして魚という大自然の獲物と格闘する。これ自体が実は、神々が賛美された世界の中に自分が合一化して入ってくんだって、こういうアメリカの宗教を背景にしたものなんですね。これは、イギリスから分離独立したアメリカに独自の宗教の風景で、自然というのをすごく賛美するんですよ。

 

落合:はい。

 

先崎:大自然の中で自己が直接神々と向き合うというね、非常に自己肯定感を高揚させていくものなんですね、自然の中に入っていくっていうのは。これが今のアメリカの中における自分という個人主義と、それからそれがこう自然の中で自分がですね、肯定感に満ち溢れるって意味でのあのアメリカ人の自信と、それから選挙に対する熱狂的な支持っていうか、興奮した高揚した、それからその自己を喚起するという自己啓発本ですね、読むとこうスカッと自分がこう高まった気になる。こういうもののすべての背景をなしてるんですね。

 

落合:えっとね、前に『2030年世界地図帖』って本を―――SDG'sの本なんですが、それを書いた時に、「なんでそこでSDG'sなんだっけ」「環境主義だっけ」っていう時に、確かエマソンとヒッピー文化とカリフォルニアイデオロギーで、そこはすごく話が合って。 

 

先崎:その通りなんです。その通りなんです。

 

落合:はい。

 

先崎:そこをぜひ皆さん視聴者の人に分かっていただきたくて、その通りで、カリフォルニアのイデオロギーと、要するにGAFA的なるものっていうものと、そもそも遡るといま言った話はみな・・・

 

落合:ブラックピットがだから、大自然に同一化しながら何かをこう、たとえば釣りをしたり、その後たとえばウッドストックで音楽を奏でながらヒッピー文化の中で、たとえば大麻とかをやって自然と同一化したりする中に自己を解放することで、自然と一体化する思想としてのカリフォルニア・イデオロギー、コンピューターを使って人はより良い自転車のようなもので自由になれるんだっていう、ジョブズイズムがあったりとかして、一連の流れは繋がってるんですよね。

 

先崎:そう。だからジョブズが東洋的なものに憧れたり座禅を組んだり、さらに極めて彼の作るものっていうのは、そのパソコン一つとってみてもシンプルですよね。ああいう何か近代社会が持っている猥雑さというか過剰さの逆を行って、非常にシンプルに生きようとするっていうことの背景には、いま言った自然というものに回帰していこうとか、あるいは当時のアメリカの都市部における、非常に猥雑なものから離れたところで静かな生活をしたいとかっていうのは、これを実は我々の中にもありますよね。やっぱり都会を離れてリモートワークで自然の中で云々かんぬんとかね、そういうことにもつながってくるんだと思いますけどね。

 

落合:確かに。だからそういった時に、いわゆる自己啓発本が、カーネギーとかあの辺りからずっとだと思うんですけど、その中で自己を革新して得られるこの多分社会からの解放だったりとか、そういった条件が多分出てくる中におそらくヒッピームーブメントもあったかもしれないし、で、そういったようなことが並びの中に存在していく中で、じゃあ今の民主党 vs 共和党のこの中に、多分共和党が持ってるこの赤いアメリカの中に、さっき言ってたブラッド・ピットがフライで釣ってる光景はあって。

 

先崎:僕コロナの直前に2ヶ月ぐらいだけど、ちょっとアメリカにーーーあのフランスには以前ね1年以上住んでたことあるんですけどーーーアメリカに初めて行ってアメリカってその側面と同時にもう一つの側面があった、といま過去形になりつつあるんだけど、教会に週末に集まってコミュニティを大事にするとか、それから南部の方に色濃く残ってる農本主義的な考え方ってよく言われるんですけど、そういう共同体とか家族っていうのを非常に重視する。でアメリカってのご承知の通りの移民社会だからこそ、血縁としての血としてのものを信じ、そして教会というところにいろんな国の人たちが共通して入れる場所があったっていうね、これが急速にやっぱ壊れていっている。トランプの登場っていうのは、それを決定的なものとして顕在化した。ずっとあったことが表にバッと出てきてるし、大学のお金で2ヶ月間行ってたんですけど、大学ってケチンボなので、泊まるところ安いとこしかピックアップしてくれなくて・・・

 

落合:だいたいそうですね。

 

先崎:サンフランシスコに行った時に、ひどい宿に泊まらされたんだよ。

 

落合:サンフランシスコのひどい宿って本当にひどそうですね。

 

先崎:本当にひどい宿で、シックスティミッションストリートという後で調べたら激ヤバなところになぜかホテルを取られていて、完全にヒスパニック街なんですよで一晩の間に強姦と強盗事件が僕の泊まったホテルの横の道で2件あったんだけど、その辺とか歩くと本当にわかるけれども、日本ってよく二極化とか分断って言うじゃないですか。

 

落合:はいはい。

 

先崎:だけどアメリカっていうのは少なく見積もっても三分化はされてますよね。つまりすごく一部の裕福な人とそれからものすごく没落してしまった中間層と、あとはそのヒスパニック系のそもそももうアメリカという国家に包摂されない存在が出てきてしまっているっていう、これが多分アメリカの本当の深刻さで、簡単に言うとその日本が参照すべき国がなくなったってことが、僕がこの本の中で自由とか民主主義ってことだけを叫んでいれば国づくりをある程度やっていける時代は終わったんだっていうことなんですよね。G7(ジーセブン)日本でやるとかけれども、一方でG0(ジーゼロ)って言い方もする人もいるぐらいで、米中対立が国際社会であるこれから来るんだと言われてる一方で、だけど実は米も中も覇権を握りきれなくて、そしてその第三世界と言われてる世界も、それぞれインドはインドなりの動きをするし、それからブラジルはブラジルで勝手に動くしで・・・

 

落合:ロシアは世界を巻き込んで今もはや台風の目になってますね。

 

先崎:そうなんですよね。皆さん知ってるかどうか。ロシアってものすごく実はアフリカで力を持ってるんですよ、いま。30カ国ぐらいの武器はロシアが仕切って売っているっていう状態、そう考えるとどこに焦点があるかわかんないというのはG0って言っていて、この国際社会における羅針盤のなさと、それからその日本自身が国内におけるこの政治を見てわかる通りの羅針盤のなさと、そういうものがやっぱり国内外で顕在化しているっていうのがいまの見立てなんじゃないかなと思いますけどね。

 

落合:確かに。よくわかります。ご著書にも書かれてましたけど、三島由紀夫が言ってたような空虚な中心があるこの日本っていう状態が、別にそのまま引きずってるところが引きずったまま、戦後の状態を卒業できないまま平成を終えていま令和に来て、形だけは向こうから取り入れた制度だけ入れてみたけれど、よりどころになるところはほぼないっていうのはその通りですよね、確かに。

 

先崎:だから三島由起夫をが言ったこと、それから三島由紀夫が好きな詩人に萩原朔太郎とか伊東静雄ってのがいますけれども、三島由紀夫が好きだったその詩人たちは、戦前に活躍した1930年代ぐらいが多分活躍のピークだと言っていいと思うんですけど、彼らが言ったことってこういうことなんですよね。明治維新以来日本っていうのは西洋を追いかけてきた。ところが実際西洋になるって、第一次世界大戦で五大国になってなっての気分になっているんだけど、実は西洋には体つきから含めて何から含めてなることができない。振り返ってみたら自分たちの本来の姿全部振り捨ててきた。ということは、日本に戻ることもできないし、西洋になることもできないし、俺達って何者でもないじゃんっていう、日本は一切のものを喪失したって萩原朔太郎は『日本への回帰』という評論で書いてますよね。だからそういうことに三島由紀夫っていうのは非常に若い頃にこう繊細な感受性を刺激された存在でだから、彼が戦後のその自殺する直前に書いた中で言ってんのが、極東の片隅に空っぽでニュートラルな無機質の経済大国が浮かび上がってくるだろうと。そしてそこでちょっとエロチックな表現を使って、こういった国こういう生暖かいような国とはもう寝続けることはできないんだという怒りをぶちまけて死んでたわけですけれども、だからそういう意味で言うとその我々はその明治から終戦まで77年あって、ちょうど同じぐらいの月日を戦後過ごしているんですよいま。そうした時にいったいこの国って経済大国であることから転げ落ちてもう30年近く経つんだけど、経済はうまくいかない、つまり富国強兵の富国もうまくいかない、軍隊もそんなに強いものを持ってるという自覚もこれまでない、抑え込んできた。富国も強兵もできなくて、いったいこの国ここで立ちすくんでどうなっちゃってんのっていうところがはっきりしてきたのがここ2年ぐらいじゃないですか。だからコロナがあって戦争があって・・・

 

落合:米中対立に挟まれるとアイデンティティよくわかんなくなりますね、確かに。

 

先崎:そうなんですよね。そういう風に日本という国はなってるし、少し話を先ほどのベラベラ喋ったのに戻せば、アメリカっていう参照軸そのものが混迷して、しかもその混迷はかなり根本的で、国際社会で香港がああいうことになって飲み込まれてた時にそれを批判する決議を国連でしたところ、27カ国だったかな先進国と言われて国が中国に反対したんだけど、中国に賛成した国は54カ国ですからね。倍が中国側に寄ってるわけであって、あんな資本主義で成功して、かつ独裁的にきちんと統治ができている国って、小さな独裁国家から見たらユートピアですよね。今参照すべきはアメリカでも日本でもなく、中国だってことになっちゃうっていう。そこにロシアがしたたかにアフリカに覇権を及ぼしてるとしたら、いま国際社会は、我々が思ってるほど自由主義陣営が力を持ってないんですよね。

 

落合:GDPの総和で言ったらあの自由主義陣営強いですけど、頭数の総和でいけば、アフリカ覇権を握っているチャイナとかロシアの話っていうのは非常に強いと思いますね、国連とかでは。

 

先崎:そこで日本がどういう立ち居振る舞いするのかっていう、そういう外交的な国際的なそこから俯瞰しても日本は危機的だと思うと。危機的というかもう一度自分たちは何者なのかを考える必要性があるし、日本国内の状況においてもこれだけ成長を目指して成長を目指してって言って、しかもできなくて、学び直しで雇用の流動化させたいのリスキリングって名前をすげ替えて出してきたりとかして、効果的な治療法がない中で、国内においても国の作り方が問い直されてるから、落合さんみたいな人がもう魔法を使ってですね、変えていただかないと困っちゃうわけですよ。

 

落合:魔法は使えないけど~笑

 

先崎:はっはっはっ!要するにこの国っていうのは、アメリカっていうのをモデルにしてきたんだけれども、そのアメリカ自体が、民主主義の本家本元がああいう状態になっていると。しかも、それを入れ90年代以降にアメリカで80年代から始まった新自由主義経済を中途半端な形で90年代から入れた結果、成長もできないし、しかも所得も下がっていってしまっているという、ある種の夢のない、若い人たちにとってしんどい社会を作ってしまったわけですね。そうした時に我々はどういう国づくりで今まで失敗してきたのか、そしてその中でいったいどういう国づくりのあり方が問われるのかって、これのことを僕は「自己同一性を取り戻さなきゃいけない」って言ってるんですね。で今日の冒頭でも言ったけど、国際社会においてもどこがイニシアチブを取るかわからないという羅針盤がくるくるしてる。日本の国内においてもどっちに向かっていったら成長できるかがわかんなくてくるくるしてしまっている。こうした時っていうのは、結構目の前にある正解に飛びつきがちなんですよね。だけど、それは僕は危険だと思っていて、そうじゃなくってこの国ってどういう国の形作ってきたっけな、そういうようなことを考える、つまりこれは個人においてもそうだし国家においてもそうだと思うけど、自分がどんな存在として生きてきたのかなっていうのが分かった時に、こういう風に変わってみようとか、こういう風に生き続けてみようとかってことができるんであって、それがとりわけ個人の領域においての心の問題でも起きてるし、国家像についても起きてるって話をしたかったんですね。今日の最初にいきなりエマソンなんて人の話をしてアメリカの自己啓発の話をブラッドピットで使いましたけど、

 

落合:あれは自己同一性の話ですかね。

 

先崎:そうです。どうしてかというと、アメリカにおいては自己啓発ってのは、神と繋がってるんですよ。聖書に手を置くんですね。ただ、その神が不在のまま、日本にその自己啓発だったりエマソンみたいなものが明治時代に入ってくると、個人という存在は、自然と一対一なんだけれども、神の背景がないから一体自分が何者かがよくわからないとこの個人というのがものすごくこう困難な存在として出てきちゃうんですね。皆さんにぜひ分かってほしいのは、「個人主義」っていう言葉は決して肯定的な意味だけを持ってないってことなんですね。自分が何もかも決定しなければいけないっていうのは、ものすごく不安なことだし、だから僕らは普通に他人に相談したりするし、それから過去のものを調べて考えてみたり、参考意見を見ようとしたりするわけであって、個人というのが非常に不定形で不安な存在にいま陥ってる社会でもあるんだっていうことを、ちょっと言っておきたい。そうすると自己同一性ってことの重要性ってのは分かってもらえるかなと思うんですよね。

 

落合:そうだな~、宗教なき個人っていうこと考えたら、コモンズと何だろうあのの対比ぐらいしてしか出てこないですね。だからコモンズ、パブリック、オープンなものがもしくは全体で持ってるものだったらば、それがインディビジュアルだったりパーソナルだったりするものっていうものとの対比でしかなくて、宗教があればそこに神だったり自然だったりという、もうちょっと多元化するんですけど、そのリソースの配分問題になっちゃうと経済的な合理性しか横軸がなくなっちゃうんですね。

 

先崎:その通りなんです。だから、つい最近ですね『なめらかな社会とその敵』っていう本を著者から献本いただいてですね。

 

落合:なめ敵いい本ですけど。

 

先崎:とても良い本だった。ただ僕が1点だけ注意しなきゃいけないなと思ったのはおそらく・・・(続く)

 

[エピローグ]

落合:日本の文化的教育の中でコンピューターを入れていくっていうのが、古典的な思想とどうつながってるのかみたいなのが意見としてはとか考え方として出て来て、しかしながらスーパーマリオなのか、ポケモンなのかああいったものが世界の日本のカルチャーとして受け入れられてる中、コンピューターを使って何かを描くっていうことを特にキャラクタービジネスというカードで日本は相当成功してきたと思うので、それっていうのがどう思想的に接続されるのかさえクリアすれば、そろそろクラシカルな方に足を伸ばしてもいいんじゃないっていうのが僕の中でも最近の文化的見方なんですけど・・・(続く)

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(引用ここまで)

 

この動画の完全版(87分)は

有料登録しないと観ることができないようですが、

この無料で観られる部分だけでも

語られている話は

十分ハイクオリティな内容だと感じました。

 

ただ、別編集動画がもう1本あり、

前記動画と重なる箇所が若干あるんですが、

実はこちらの動画の方が先に作られたようで、

番組の最初の部分など別の話題もあるので、

興味を感じた方はどうぞ〜

 

【落合陽一】「アメリカは参照すべき国でなくなった」「日本の病理は“玉虫色”」 日本思想史家・先﨑彰容が説く、日本が尊厳を取り戻すために必要な『自己同一性』とは?

 

この続きはまた明日!

 

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