自分の心を観察し続け、問い続ける姿勢こそ「学ぶ力」のもと(つぶやき考現学・番外編5)
2024/03/06
教えることで「学ぶ力」を
身につけさせることはむずかしい。
なぜなら、懇切丁寧に教えれば教えるほど、
学ぶ人はますます受け身になり、
「学ぶ力」は減退していってしまうからだ。
もし、学ぶ力を身につけたいのなら、
「問う力」を高めることだろう。
だからといって、何でもかんでも
いつでも人に答を聞けばいいということではない。
だいたい、自分で考えた方がいいような問いほど
すぐ人に聞こうとし、
人に聞けばすぐ解決するような問いを
自分ひとりでアレコレ悩んで
考えようとしてしまう人が少なくないからだ。
だから、まずはその両者を
弁別するところから始めればいい。
つまり、問いを発しつつも、
すぐ正解を求めるのではなく、
安易に答えを出そうとせず、
自分のなかでその「問い」と向き合い
じっくり深めようとするプロセスが大切だ。
そのためにも、自分の中にどんな問いがあるかを
日々自覚していること、これが重要!
つまり、そのように自分がつねに
目覚めている状態が保たれていてはじめて、
人は生きていると言えるだろうから。
〝生きている〟とは〝目覚めている〟こと。
人からコントロールされることなく、
外からの刺激に対して
ロボットのようにただ機械的に反応するのでなく、
自らの力で常に変化し得る
動的な自分であると知っていること、つまり、
悟っていることが必要だ。
悟るの〝悟〟はりっしんべんに吾と書く・・・
でも、悟るとは「自分の心」のことに他ならず、
何ら特別なことなんかじゃない。
いまの自分を「これが自分だ」と
簡単に結論づけるのでなく、
揺れ動いている自分の心を
つねに観察し続け、問い続ける姿勢こそが
「学ぶ力」を生み出す。(2015.3.14)
※井上淳之典のつぶやき考現学・番外編6
COMMENT:小中学生対象の進学塾で
仕事を始めたのが25歳の頃でしたから、
以後、かれこれ40年近く
教育の仕事に関わってきました。
この詞は〝学ぶ力〟をテーマに書いたものですが、
あなたにとって、
「学ぶ力」とは何でしょうか?
あなたは、どうすれば、
「学ぶ力」が育つとおもいますか?
そして、あなた自身はどうやって、
自分自身の「学ぶ力」を育てていますか?
わたしは30代の半ば頃までは、
いろいろな知識をたくさん知っていることや、
物事を深く掘り下げて考えること、
早く正解を出せることが
「学ぶ力」だとおもっていたんですが、
幸いなことに、わたしが
30年前に寺子屋塾を始めたのは、
どうやらそれは勘違いに違いないぞ!と
気づくことができて以降のことです。
そして、この詞を書いたのは、
2015年の春ですから、
中村教室を開く直前の頃で、
内田樹さんが
中学2年生の国語の教科書のために書き下ろした
「学ぶ力」という文章を読んで、
ふと浮かんだコトバを書きとめたのものでした。
内田さんはこう書いています。
「学ぶ力」は他人と比べるものではなく、
個人的なものだと思います。
「学ぶ」ということに対して、
どれくらい集中し、夢中になれるか、
その強度や深度を評するためにこそ
「学力」という言葉を用いるべきではないか。
人間が生きてゆくためにほんとうに必要な
「力」についての情報は、
他人と比較したときの優劣ではなく、
「昨日の自分」と比べたときの
「力」の変化についての情報なのです。
これって、ホントその通りだなぁっておもいます。
とりわけ、次のような表現に唸りました。
自分の「力」の微細な変化まで
感知されている限り、
わたしたちは自分の生き方の適不適を判定し、
修正を加えることができます。
「学ぶ力」もそのような時間の中での
変化のうちにおいてのみ意味をもつ指標だ。
これって、常に自己観察ができていないと
気づけないことですよね。
まさに、セルフラーニングの基本であり、
寺子屋塾はまさに、
そうした姿勢を大事にしたい人、
学び続けたい人のための場にしていきたいと、
改めておもったものでした。
ちなみに、この詞は
つぶやき考現学No.74をリライトして
内容を膨らませて書いたものなんですが、
もとのシンプルな詞も
そのままの形で残しておきたい気持ちが拭えず
番外編5として追加することにした次第です。
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