天の時、地の利、人の和———運気を高める三才(響月ケシーさんのYouTube動画より)①
2024/03/27
今日は、卍易風水師でジュエリーデザイナーの
響月ケシーさんが
3/21にご自身のYouTubeチャンネルに
アップされていた
「運気を高める3つのこと」と題された動画を
文字起こしして作成した講義録を
お届けします。
それで、今日投稿する内容の前提についてですが、
今年のお正月明けに配信された
YouTube動画『現実創造の掟』6本の紹介も含め、
その動画の中で話されている
「重要性の引き下げ」というキーワードを
フォローする内容で、
3/7にケシーさんがアップされた動画から
作成した講義録を3/12に投稿しました。
・毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
この記事には、関連する過去記事のシェアも含め、
なぜ、わたしがこのような記事を投稿しているのか、
その理由であるとか、
寺子屋塾の学習内容、大事にしている考え方と
講義された内容がどうつながっているかについても
詳しくコメントしているので、
未読の方はご覧くださいね。
3/22に投稿した記事でも少し触れたんですが、
その記事には、
ケシーさんが『現実創造の掟』6本の動画で
語られていた内容は、
わたしがこれまで歩んできた人生と
重なる部分があまりに多くて驚いたと書いたので、
この寺子屋塾ブログを
毎日丁寧に読んで下さっている方には
わたしがなぜ、昨日まで5日間にわたって、
老子や荘子について書いてきたのか、
既にお気づきかもしれません。
たとえば、「重要性の引き下げ」ってキーワードが
非常に象徴的だったんですが、
ケシーさんのお話を繰り返し繰り返し聞く中で、
そこに東洋哲学の世界観が
脈々として流れていることが
浮かび上がってきたからなんですね〜
20代の頃から易経や老荘思想に触れ、
親しんできたわたしなので、
ケシーさんが話されていた内容と
わたしがこれまで歩んできた人生とが
大きく重なっていたっていうことは、
ある意味、当たり前のことでもあるんだと。
それで、今月のこの寺子屋塾ブログは、
仏教や道教といった
東洋思想、東洋哲学に関わる記事が、
ふだんよりも多くなっているわけです。
さて、前置きが長くなりすみません。<(_ _)>
今日のこの記事で以下紹介する
ケシーさんが新しく公開された動画も、
冒頭のタイトルに【超入門 東洋哲学】とあり、
『現実創造の掟』6本の動画について
理解を深める助けになることはもちろん、
東洋哲学を理解する入口にもなるような、
とてもわかりやすいお話でしたので、
文字起こしをして講義録をつくってみました。
ぜひ、動画とともに繰り返し読んで頂いて
参考にして戴ければ幸いです。
2024.3.21配信YouTube動画(16分07秒)
【超入門 東洋哲学】どうすれば ”良い状態” で運命を待つことができるか。東洋哲学の基本的な考え方を解説♬
(引用ここから・中見出しと太字化は井上)
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はい、皆さんこんにちは!ケシーです。ちょっと久しぶりになっちゃいましたけど、色々重なってちょっとお休みしてました。ごめんなさい!
で、え〜っと、ちょっと今日はすっぴんなんですけど、なぜ化粧してないのかって言うと、花粉症で本当に肌荒れがすごくて、肌の保護のために、お化粧をせずに今日は撮らせていただきたいと思います。
わたしは風水師なので、今日は東洋哲学基礎編っていう形で、え〜っとその運気、「運とは何か」っていう話を、東洋哲学を用いてお話ししたいと思います。皆さんが今日からすぐに取り入れられるように、できるだけ分かりやすく、お話ししたいと思いますので、是非参考にしていただけたらと思います。
で、今日お話ししたいことは、「運とは何か」っていうことですね。で、運とはいったい何なのか、みんなよく言いますよね。運って。運の要素があるとかっていうのは、自分で自在にコントロールできないもので、どうにもならないものだ・・・みたいな。持ってる人は持ってるし、持ってない人は持ってないし、それで、自分はどうなんかなって考えた時に、開運したいとか、そういう発想に至ったりすると思うんですけれども、運っていうのは、実は物の見方なんですね。で、それについて、今日は「三才」という考え方を用いてお話をしたいと思います。
「三才」っていうのは「三つの才能」。あの一才、二才、三才の「才」と同じ漢字ですね。三つの才能と書きます。この三才という考え方はいったい何なのかって言うと、「天・地・人という三つの要素でこの世界は成り立っている」という、そういう基本的な考え方なんですね。で、この3っていう数字は、実は物事の安定や完成を象徴する、すごく重要な数字なんです。で、天地人っていうのも、このような運気、理(ことわり)、物事をなす中での基本的な三つの考え方で、わたしはこの運っていうものも、この三つのものによって構成されるという風に考えています。で、この三才に至らない状態のことを「青二才」て言いますよね。三才が欠けている、まだまだだなっていうことを表現するのに「青二才」っていう言葉が使われるわけです。
天の時
で、この三才の天地人っていうものが一体何なのかっていうと、わたしたち風水師の世界では、流派にもよるんですが、卍易では「天の時、地の利、人の和」という三要素という風にお話をしています。一個一個、まず簡単に概要を説明していくと、まず天の時っていうものがあります。天の時っていうのは、時だからバイオリズム的なものはもちろん含まれます。たとえば、皆さんがナスビだとして、いつ結実することができるかって言うと、夏ですよね、という風に、人間は自然のバイオリズムの中に生きているっていう根源的な考え方が、天の時には含まれています。
で、この季節、タイミングみたいなこと以外にも、実は自分が今持っているものすべて、天の時に含まれているとわたしは考えています。たとえば生まれた境遇、生まれた家、自分の親、自分の見た目とか、自分の能力や性格ですね。そういったところに対して、これは「受け入れる」の一択です。受け入れて、認めて、これで良いとするっていうところにまず立つっていうところからでないと、何も始まらないんですね。「自分はこうじゃなければ良かったのに」っていうところに立ってしまうと、物事は何も進まなくなりますので。まず、自分が生まれた境遇、持っている肉体、自分の能力、そういったものは、すべて受け入れ、愛するの一択になってきます。
それで、じゃあ努力することは良くないのかとか、勉強しすぎるの良くないんじゃないか、整形は良くないんじゃないか、美容で見た目を整えるのは良くないんじゃないかっていう話が、そこから出てくるんですね。でも、そうなると、ちょっと極端な自然崇拝というか、何もかも生まれたままがいいっていう考え方になってしまうんです。それはもう全然当てはまってなくて、与えられた自分を受け入れた上でなす努力と、自分を受け入れていない状態でなす努力では、全く結果が違うっていう、この基本的な考え方があります。たとえば自分を綺麗に見せるっていうのも———自分がたとえば肌が黒いとしますね。わたしは結構地黒さんなんですけど、黒い自分は良くないていう見地に立って自分を磨いていくのと、この自分のこの色を受け入れ、「いいじゃん!健康的で」っていう前提に立って自分を磨いていくのとでは、その出力が違ってくるのって、なんとなく分かりますか?これがまず大事なんです。
だから、天の時っていうのは、まず自分自身をあるがままに受け入れ認める、それで良いとする。それは、あくまで「これが良い!」っていう極端なものではなくて、「これも良いし、あれも良い」っていう中庸の見方である必要がある。これがいわゆる陰陽思想なんですけれども、たとえば、物事を黒と判断するには、黒だけじゃダメで、黒よりも明るい色が必要になってくるっていうことですね。だから、どちらかが存在してよくて、どちらかが存在して良くないという考え方が、そもそも理に叶ってない。すべてのものはあって良い、そしてこれであるということを、まず受け止めるっていうことですよね。
それで、冒頭に出てきたバイオリズムの話です。バイオリズムっていうことは、つまりわたしたちは季節をコントロールできないですよね。寒い季節に暖かい国に行って温まることはできたとしても、その国の夏を冬にすることも———今日もまた雪が降ってていま日本は寒いんですけど———冬をいきなり夏にすることはできません。それで、ここでポイントになってくるのが、人生というものは、どれだけ良い状態で待つことができるかっていうのが、ひとつ、開運の重要な要素っていうことになるんですね。だから、どのように待てるか、それが、天の時の次に続く、地の利、人の和に繋がっていくんですが。
地の利
じゃ次、地の利の話をしましょう。地の利っていうのは、一言で言うと準備です。準備っていうのは色々あります。もちろん、毎日の習慣だったりとか、日々行っている勉強もそうですし、その天の時が訪れた時に、自分を十分に発揮できるように準備をしておくっていうことです。ここにはですね、たとえば風水なんかも含まれます。わたしが提供してる風水は、まさに地の利ですね。自分の環境を整える、環境を整えるっていうのは、もちろん綺麗に整えておくっていうこともそうだし、風水でエネルギーを整えておく———これは、ちょっと不思議な世界の話になっちゃうんですけれども———エネルギーを整えておくっていうこともそうです。ご先祖を敬うってこともそうです。お墓参りとかそういったことも地の利ですね。で、そういう風に、日々自分の環境を整えておくっていうことなんですけれども、実はここに人間関係も含まれます。違和感を感じる人間関係を手放していく、ありがたいなと思った人に感謝を伝えていく、こういったことも地の利の一部に含まれています。
で、ここで一番大事なことを言います。個人的にこの地の利を活用する時に一番大事なことは、そこに無理があってはいけないっていうこと。この準備というものは、日々行い続けることなんですよ。つまり、生活のクオリティにそのまま直結します。なので、風水は鑑定して置いたらその日からずっと効き続けるので一番便利で楽ちんですけれど、たとえば、人間関係なんかは本当に付き合っていて、その時に幸せな人じゃないとだめなんですね。この人は嫌だけど、いま付き合っとけばいずれ得になるから頑張って付き合おう———これは地の利としては、わたしは反してると考えています。もちろん、仕事の環境に関してもそうです。我慢すればいつか報われると思う忍耐を、必要以上に自分が苦しいほどに求められる環境に身を置くという、そういった環境だけが正解だと思うと、やっぱりそこには歪みを生んでしまうんですね。だから、この地の利を活用する時の一番大事なことは、その環境を整えるっていうこと自体が、幸福に直結していなくてはいけないっていうことなんですね。
たとえば、「好きなことを仕事にしよう!」とか言いますね。この「好き」っていうのは、「没頭できる」とか「夢中になる」みたいなことだと思うんですが、地の利の本質的なことを解釈していこうと思うと、当たり前にできてしまうことを、判断の中に入れてしまう方がいいと思います。ドーパミンがパ〜ッて出て、「うわ〜楽しい!」っていうことだけを自分の日々のワークとして捉えてしまうと、それはやっぱり無理が生じてしまう。だけど、当たり前にできること、自分が普通にできてしまってることって何だろう?と。
わたし自身のことで言うと、わたしは人の話を聞くのが好きです。人の話を聞くのが好きなので、その人の話を聞く時に、「この人がより一層ハッピーに幸せになれる選択肢、必要なことは何だろう?」って考えて話を聞くことが、全く苦じゃないんですね。むしろ習慣っていうか、それがあまり分析的にならないようには気をつけているんですけれども、そういうところが当たり前にできてしまうこと。あと、言葉を考えることもそうですね。そういう当たり前にできていることを準備に取り込んでしまうと、ライフクオリティが自然に上がっていってしまうので、地の利を考える時は、自分が楽に向上していけること、自分が楽に取り組めることを、地の利として取り組めてるかどうかっていうのが、非常に重要になってきます。
ここまでをまとめると、運の二本柱ってことです。まず一本目の柱が天の時。これは、自分の存在そのもの、この世界そのものを受け入れていく、つまり自分自身を受け入れて待つことであると理解していく。で、二本目の柱が地の利。まず楽しく準備していこうってことですね。準備そのものを、幸福なものに置き換えていく。これがまず運の二大要素。
人の和
さてそれで、三つ目の人の和なんですけれども、この三つともがちゃんと自分に調和していないと、いわゆる本当の意味での開運、運が開く、まるで人生の方から自分に向かってくるようなハッピーな状況っていうのは来ないんですね。そういったものを成立するための、最後の人の和なんですけれども、これは心です。心。心なんですけど、特にこの天と地の間に生活するわたしたち、人の和合についてこれは問うています。わたしはいままで風水師として活動していて、またビジネスマンとしてもいろんな人と仕事もしてきて、もちろんシンプルな人間関係として人付き合いもしてきて、今わたしが結論として言えることは、自分が他人を扱いジャッジするように、自分も他人に扱われジャッジされてしまうという、この世界線です。で、これは、やってみないと分からないことなんですね。自分が人に対して愛を持って丁寧に心を尽くして生きていくと、やっぱりそういう風に人にも扱われるんです。人から不当な扱いを受ける人っていうのは、自分がそもそも人を不当に扱ってるってことに気がつくっていうところを探求しなきゃいけないです。
で、その「自分が他人を」っていう風にいま言ったんですけど———不思議な話なんですけども、実はこの他人には自分も含まれます。これは、自分っていうのが実は二つあって、まずこうやって生きてる自分、存在して現実にぴったり生きてる自分っていうのと、その自分を見る自分———この自分を見る自分が本物の自分で、この本物の自分の目線で、自分をどう扱ってるかっていうことも、この人の和に含まれてきます。なので、自分が自分をどう扱うかっていうことも、他人が自分をどう扱ってくるかと直結していきます。
それで、ここまで話をしてくると、胸が苦しくなる人がいると思います。もっと我慢しなきゃいけないんだ、もっと丁寧に相手に接しなきゃいけない、自分の我を出してはいけない———こういう風に考えちゃう人がいるんですね。でも、それは大きな間違いで、自分が自分をどう扱うかも考えなきゃいけないわけで、自分も他人も共に心地よいの追求———ここが人の和のすべき努力なんです。だから、自分を出して、「自分はこういう人間なんだい!」っていうわがまま、これは全くもって論外なんです。自分はこういう人間だって掴んだままで、だけど相手もこういう状況があるとか、相手もこういう立場があると、相手もこういう世界線がある。じゃあ、お互いが気持ちよくやれるのってどこかな、このバランスが自分側に崩れても、相手側に崩れても、人の和は成立しません。この「折り合い」と言うんですかね、自分も他人も心地よいことの追求に関しては、怠けないことが大切です。ちゃんと考えて、感情に負けることなく、感情に負けたとしても、ちゃんとそれを取り返して、再発しないとか、そういう自分に対する観察もそうだし、世界に対する丁寧さ、愛ももちろんそうです。
天・地・人三才の調和
で、カルマは———わたしは、インド哲学も好きなんで———カルマ、作用と反作用、自分がやったことがいずれ自然に自分に返ってくるっていうことですよね。カルマもこの3の人の和に含まれています。この天の時、地の利、人の和の三本柱が、すべて自分の中で調和的にバランスがとれた時に、最大級の運を発揮できます。だから、運ばかり追いかけて、なんか占い中毒みたいにね、「あの〜この黄色、わたしダメなんです!」みたいな感じになるのももちろんダメ。でも、人のことばっかり考えて、自分のことがお座なりになるのもダメ、自分のことを受けれないのもダメだし、待てない、早く結果が欲しいって言ってしまうのもダメ、だけど、そのすべてが自分の中でちょうどいい形で調和した時に、初めて人間は、最大級の運を発揮することができます。
なので、皆さんにお勧めしたいのは———さっきの天の時、地の利、人の和、これ言葉で言ったり哲学的に話したりすると難しいんだけれども———自分のいまの天の時、地の利、人の和を客観的に眺めてみて、ここはもうちょっとこうしてあげたいな、これが人の和の一番最初ですね。自分で自分を導いてあげる。あとやっぱり感謝ですよ。天の時に対する感謝。これは本当に自分の運気そのものに大きく直結するので。で、これがたとえばレベル10として、全部が10だったらもうマックスの運なんだけど、心だけがレベル1だと、やっぱりね1になっちゃうんですよ。で、あの天の時がレベル1っていうのは、そもそもあり得ないです。自分が解釈として1にしてしまってるだけで、天の時はみんなレベル10です。天の時はみんな最初から10なんですよ。みんな100点なんです。
自分向けコンサルで内省を
なので、天の時に関しては受け入れるということ、地の利に関しては、気分よく待てる状況が作れているかどうかっていうこと、人の和に関しては、自分も他人も大事にできているかっていうこと、ここを自分で観察してみて、自分は今どれぐらいできてるかなっていうことを観察して、ここをもうちょっとこうしてあげたいなっていう、自分向けのコンサルティングができると、これも確実に運のいい未来へ歩んでいけるので、ちょっとやってみていただけるといいかなっていう風に思います。
特に手をつけやすいのが、天の時。自分がこのままでいいとしたらどうかって考えるんですね。自分が、自分のままですでにいいとしたら、自分のいいとこってどこだろうって考えていく。地の利に関しては、今やってることに無理がないだろうかを考えていく。もし無理があれば、無理がないものに置き換えていく。そして人の和、自分のことを大事にできているだろうか、自分の周りの人も大事にできているだろうか、人によって態度を変えるというのは最低ですからね、人の和でね。この三つを振り返ると、非常に本質に近い自己内省ができますので、是非やっていただきたいなと思います。
春分の日を迎えましたので、ここからまた皆さんの今年の運気が始まっていきます。素晴らしい1年になりますようにお祈りしております。今後とも是非よろしくお願いします。また動画を頑張って上げていきたいと思います。末永くよろしくお願いします。じゃ今日はここまで。高評価とチャンネル登録よろしくお願いいたします。それでは、じゃあね〜ブンブン!
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(引用ここまで・文責:井上)
ケシーさんのお話のなかで、
わたしが大事だとおもった部分について、
勝手ながら太字にさせて頂きました。
あくまで、わたし自身の感覚なので、
参考程度にしていただければとおもうんですが、
詳細コメントは
明日の記事にて投稿する予定です。
【関連する参考過去記事】
・毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)
・役にたたないことこそ一番いい生き方(梅棹忠夫『わたしの生きがい論』より)
・老子は形なきものの形を見、声なきものの声を聞くことを教えた最初の人
・中山正和『天才脳の構造からみた釈迦の悟り』『釈迦の悟りからみた天才脳の構造』
・〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)
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