「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その8)
2024/04/19
昨日投稿した記事の続きです。
本日の記事内容は、一昨日から投稿している
らくだメソッドの開発者・平井雷太さんが、
弁護士の鈴木利廣さんに
インタビューされた記事の続き3回目で、
インタビュー記事はこれで終了となります。
よって、一昨日投稿した(その6)と
昨日投稿した(その7)を読まれたうえで
本日分の記事をご覧いただければ、
わたしがなぜここに
このような投稿をしているのか、
目的や経緯など、概ねご理解戴けるかと。
ただ、4/12から「自己決定」「自己責任」って
言葉の真意がなぜ伝わりにくいか
をテーマに書いていて、
この記事で8回目になるので、
(その5)以前の記事に未読分がある方は、
併せてご覧ください。
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その2)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その3)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その4)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その5)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その6)
・「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その7)
出典は1993年6月に
カタツムリ社から出版された
ニュースクール叢書3
(引用ここから)
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●情報の提供に加えて適切な助言を
―――鈴木さんもいろいろ家のなかのことをやるようになったんですか?
鈴木 ぼくが一番やれてないんですよ。ぼくは事務所での去年(1988年)の年頭目標みたいなもののなかに、「自分で洗濯をできるようにする」というのを入れたんです。女房に洗濯のマニュアルまで書いてもらいましたけど、いまだに自宅のぼくの引き出しに入っています。洗濯はぼくの課題ですね。
―――でも、洗濯って家事のなかでも簡単なほうじゃないですか。洗濯機に入れて、洗剤を入れて混ぜ、あとはスイッチ押すだけでしょう?
鈴木 そうですね。でも、要するにむずかしいからできない、というのとは違うんですよ。やり方を知っているのにできない。ぼくの人生の中に、それまで洗濯という項目は入っていなかったわけですから。
―――今まで、家事は全然やったことがなかったわけですか?
鈴木 全然やってなかった。外で仕事をするのが自分の役目だと思っていたから、家事をやろうなんて考えもしなかった。
―――家事をやり始めたのはいつごろからですか?
鈴木 やはり84年くらいからですね。食事の後に、女房が疲れている感じだな、と思ったときに洗いものをしたりとか、何となく始めたわけです。そのとき、家事というのは一種の精神安定剤だなと思いました。ものすごく落ち着く。
―――家事のなかでやはり皿洗いが一番多いですか?
鈴木 ぼくがうちのなかでできることというと、ちらかっているものを片づけるか皿洗いくらいしかないんですよ。
―――洗濯は鈴木さんにとって大変なことだったんですね。
鈴木 ぼくにとってはね。1週間に一度くらいしかしないから、家じゅうの洗濯物が山ほどたまってしまう。
―――事務所での年頭目標に、個人的なテーマの「洗濯」を掲げるなんて不思議だなと思ったんですが、事務所での関係も変わっていったんですか?
鈴木 事務所のなかの労使関係もここ3~4年いろいろな形で変わってきました。仕事も生活もより人間的にするための職場作りをしようと取り組みはじめたんです。毎年毎年の事務所総会のときに、みんながだんだん本音を出すようになってきました。仕事のことについてどう考えているのかではなくて、人間としてどんなことを考えているのか、話すようになってきたんですね。そんななかで自分の業務だけをするのではなくて、みんながお互いに支えあっているという仕事のしかたになってきました。 話をしているうちに、ああ、この人は9時から5時までをあまり仕事として意識しないで動いているな、とわかることもありますし、そういう人は仕事のとらえ方もそうなっている。依頼者に対する話し方も単なる仕事だけという感じではなくなってくるんですね。
―――それは自己決定と関係あるんでしょうか?
鈴木 関係あると思いますね。自己決定権というのは、お互いの人間関係をスムーズにしようということでもあるわけです。自己決定というのは、自分のことは自分でするという反面、相手のことに踏み込まないということ。すると、私とあなたとの関係をどうやってつくっていくかということになります。
関係というのはその人がひきずっているトータルなバックグラウンドをある程度理解したうえで成立するわけですから、お互いがどんなことを考えているかを知ることによって、彼にとってどういう情報が意味があるかがわかってきます。また、わかったことによって豊かな決断の共有ができると思うんです。
―――でも、仕事場には絶対プライベートなことは持ち込まないとか、公と私は別だって考え方もありますよね。
鈴木 あるでしょう。ですから、別にぼくのやり方が正しいと思っているわけではないんです。みんなで議論を重ねていったら、たまたまぼくの事務所ではそういう方向にいったということに過ぎない。誰が強制したわけでもなく、自然にね。
―――事件の依頼者に対する対応も変わってきたのですか?
鈴木 変わりましたね。このころから、ぼくの事務所では依頼者に対してたくさんの情報を出すようになりました。この事件の決め手はどこにあって、裁判や審理を進めていくことのプラスとマイナスにはどんなことがあって、費用はどのくらいになるか。そんなことについても細かく言うようになりました。
ある時不動産のトラブルに巻き込まれたお医者さんが依頼に見えたんです。ぼくは、こういう事件処理をする時間や費用はこのくらいかかります、途中で新たにこういう解決策が出てくるかもしれません、と話しました。そして、他にもいくつかやりかたを示した上で「ぼくはこういうやりかたがいいと思っているんですがどうでしょう」と聞いた。
「では、そのやり方でやってください」ということになって、1週間くらいすると「先方と交渉した結果、今こういう局面になっております。今後はこのように進めたいと思っておりますが」とぼくは依頼者に報告しました。するとその人はすごくわずらわしがるんですね。数ヵ月後には「私は先生を信頼していますから、いっさいお任せします。先生にトラブルを解決していただいて、私は本業に徹したい。報告してもらえるのはいいけれど、そのたびに私が考えて私が選択するというのはちょっとおかしい気がします」と言われました。
そこで次のように答えました。
『私にお任せください。大船に乗った気持ちで、後は結果だけを見ていてください』という弁護士は確かにいます。でもぼくは、本人が自分で判断することが、今後同じようなトラブルを起こさないことや、トラブルにあっても専門家に頼らずに自分で解決する力をつけていくことになると思うんです。そこまでがぼくのリーガルサービスの範囲だと思っています。『いっさいお任せします』というふうにしたいのでしたら、今後そういうやりかたでやってもいいです。しかし、ぼくはそういうやりかたは正しくないと思っている。そのことを知っていていただきたいのです」と。
―――その点でも、情報を提供して相手に自己決定を委ねたわけですね。
鈴木 そうです。この方は私の話に納得して下さったのか、この日以来、この事件に対する彼の姿勢が変わりましたね。今まで自分から一度も電話をしてきたことがなかった彼が「この前の件ですが、その後どうなりましたか」と聞いてくるようになりました。
―――自分の問題になってきたんですね。
鈴木 そうだと思います。それから、自己決定権という問題を考えるようになってもう一つ気がついたことがあるんですが、ぼくは自分が弱者という立場でいる場がないんですよね。
―――いつも強者の立場ですか?
鈴木 そうです。ぼくが依頼者や事務員と仕事をする。家庭では女房や子どもたちと生活をする。そういった日常接している人たちとの関係が、いつもぼくが強者で相手は被抑圧者・弱者という形になっている。
医療の問題でも、弱者としての患者が強者としての医者とどういうコミュニケーションを作っていくのか、それを考えていかないと解決の方向が見えてこないだろうと思いました。
―――その時に「弱者」が自己決定できるための適切な援助というのは、情報の提供に尽きるわけですか?
鈴木 ただ情報を提供しただけでは不十分なんです。それではメニューを見せるのと同じ。専門家の役割は、情報の提供に加えて適切な助言を行うことにあります。私だったらどうする、と自分の考えを正しく提供することですね。
―――そして判断は相手に委ねると。
鈴木 ええ。「選択肢はこれだけあって、私はこうしたほうがいいと思います」と。そして、それぞれについてのプラス・マイナスのインフォメーションをできる限り出していく。インフォメーションをどれだけ出せるかがいい専門家の力ではないかと思うんです。
―――そうすることによって、強者・弱者の立場が同じになる?
鈴木 医者と患者が、このことによって情報と決断を共有することができるようになるわけです。 (了)
※『平井雷太インタビュー集 教育は越境する』(ニュースクール叢書3)より
月刊『私教育』1989年4月号掲載記事
冒頭の写真は冊子の裏表紙より
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(引用ここまで)
さて、3回にわたって紹介してきた
鈴木弁護士のお話を読まれていかがでしたか?
鈴木さんが「自己決定権」という考え方に
最初に触れたのが1980年前後のことで、
すぐに反応されたわけではなく、
それが最も重要だと認識されるに至ったのが
1984年以降とありました。
つまり、鈴木さんが実際に実践されるまでに、
5年もの年月がかかっているわけですね。
お話全般に関しては、
(その6)の記事の冒頭で書いた内容の
繰り返しになってしまいますが、
そもそも「自己決定」は、何のために必要で、
日常生活で接点のある子どもやパートナー等の家族、
仕事仲間やクライアントなど、
身近な人の「自己決定権」を大切にしながら
関わることを実践することによって、
生活次元で具体的にどんな変化が起きたか
非常にわかりやすく語られていましたね。
それにしても、今でこそ「イクメン」って言葉が
普通に言われる時代になっていますが、
80年代に、事務所での年頭目標に、
「自分で洗濯をできるようにする」という項目を
挙げられていたわけですから、
まさに鈴木さんはイクメンの草分け的存在でしょう。
その他にも、印象に残る箇所が沢山ありましたし、
わたしが寺子屋塾で30年間やってきたこととの
関わりについて書いていくと
キリが無いくらい色々出て来てしまうので、
ここではとくに強く印象に残った箇所を
3つだけ挙げるに止めることにします。
一つ目は、お子さんを病院に連れて行ったとき、
注射をするかしないかで揉めた話のところで、
「納得すると恐怖がなくなる」というくだり。
力関係にモノを言わせて説得するのではなく、
相手に納得してもらえるように
十分な情報提供を行った上で最終的な判断を
相手に委ねるフラットな関係性の大切さです。
人生において、
成功とか失敗とか、幸せとか不幸せとか
いろいろいいますが、
最終的に本人自身がどこまで納得できているかが
大事なのではないかと。
二つ目は、(その7)の記事にある、
奥さんとの関係がこじれ
鈴木さんが1週間家を出てホテルで生活しながら
家族について一所懸命考えていたという
エピソードが語られたくだりで、
互いの力関係が不均衡なままでは
本当の信頼関係は成立しないというところ。
「信頼」という言葉については、わたしも最近
このブログに記事に書いたばかりでしたが、
自分からオープンに心を開かずして、
信頼関係の土台なんて築けないでしょうから。
・「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から考えたコト)
三つ目は、今日の記事内に引用した箇所で、
弁護士事務所内での人間関係や
仕事の進め方が
いろいろな形で変わっていったという話のところで、
自己決定権を大切にする自分のやり方が
正しいとおもっているわけではない。
誰が強制したわけでもなく、
みんなで議論を重ねていったら
〝たまたま〟自分の事務所ではそういう方向に
進んでいったに過ぎないというくだり。
「たまたま」というところがイイですね〜
もちろん、正しいのか、正しくないのかに
こだわる方は少なくないでしょうし、
いまの世の中、
正しさが大事な場面も少なくありませんが、
一歩引いて眺めながら、
それが本当に正しいのかどうかを
問いかけるゆとりがないと、
正しさを相手に無条件に
押しつけていることに無自覚なあまり、
見えない暴力になってしまいかねません。
この続きは明日投稿します。
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