平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(その12・最終回)
2024/07/22
裏庭に置いたプランターに植えたトマトが
続々と実をつけ色づいてきました。
昨日投稿した記事の続きです。
とっかかりに、「私とは何か?」という問いを
考察し続けているんですが、
今日の記事で12回目となりました。
今日これから書く記事は、
これまでの投稿内容を前提とすることがあるので、
未読記事がある方は、まず次からどうぞ。
(その1)から(その11)まで、
各々の内容については、
昨日投稿した記事(その11)で
概略ふりかえっているので参照して下さい。
「私とは何か?」という問いを主軸に置きつつ
「分人」という捉え方が、どういうもので、
どういう背景から生まれてきたものなのかを
明らかにしています。
この、「分人」という捉え方は、
けっして平野さんだけの特殊なものではなく、
普遍性のあるものかどうかということも
言及し検証してきました。
たとえば、哲学者ドゥルーズのことなど、
さらっと済ませてしまうには勿体ないですし、
個人的にはまだ書きたい話は
いろいろあるんですが、
「分人」というテーマからは
離れて行ってしまうので、また別の機会に!
それで、重要なところはほぼ書けたというか、
結局のところ、
「分人」という捉え方をただ知っただけでは
何ともならないし、
それを実際にどう活用し実践していくかが
大事なので、
同じテーマで連投する形の記事は、
今日で締めくくろうとおもいます。
さて、昨日の記事では、(その10)で紹介した
二村ヒトシさんの『すべモテ』の
自分の中の異性の分人を理解し
仲よくしようとすることが大事って話を
書きました。
二村さんの『すべモテ』には、
「対話」の合意が書かれていることや、
親子関係のあり方、生育歴というものが
その人を構成している「分人」に
多大な影響を及ぼしているということにも
言及されていましたね。
また、昨日の記事では、
分人的な捉え方は、
響月ケシーさんのパートナーシップについての
考え方にも通じている様に感じたので、
ブログ記事と解説動画をシェアし紹介しました。
自分自身をどう捉え、
どのように折り合いをつけるかが
結果的に他者との対人関係にも投影され、
つながっているって話なわけですが、
おもいこみに囚われている人が
少なくないように感じています。
それで、1年ちょっと前に
アップされたものなんですが、
そのあたりのテーマに言及されている
ケシーさんの「自分とは?」という
動画があったので、
今日はそれをシェアし、
文字起こしをもとに講義録もつくってみました。
タイムテーブル
00:00 配信スタート☆
00:37 自分とは!?のお話。
02:30 POINT② 文学的な理解で自分を分析しない!!
04:44 POINT③ 自分を受け入れられる自分になろう!!日々の生活の営みに気をつける。
07:20 POINT④ 自分に禁止をするのを辞める!!
07:20 POINT⑤ 気分よく過ごす!!
11:40 アドバイス総括
(引用ここから)
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はい!最先端を生きる愛ある皆様、本日もご視聴下さり本当にありがとうございます。ケシーです。今日はですね、このシャツ「えー?!」っていうでしょ? これめっちゃ可愛いです。見てください!ボブ・マーリー、ガンジー、アインシュタイン、チェ・ゲバラ、ダリとか天才シャツなんです。外にはめったに着て行かないんですけど、家でゆっくりする時は、この天才シャツとか着て、気分よく過ごすようにしてます。はい!それでは今日も動画を撮っていきたいと思います。
●自分とは!?のお話。
今日はですね、「自分とは?」っていう話をしていきたいと思います。で、結構、自分のことをみんな考えてると思うんですよ。「自分っていったいどうなんだろう?」とか、「自分って一体何がしたいんだろう?」とか、「自分は何が向いてるんだろう?」とか、自分、自分、自分って、自分のこといっぱい考えてると思うんですね。で、実は今度私の卍易の鑑定を公開でセッションしようと思っていて、そのモニターさん募集のLINEを投げたんです。そうしたら、たくさんご質問いただきまして、で思った以上の募集いただきまして、大変光栄だなと思って、大切に丁寧に、一個一個読んでいたんですけど、やっぱり「私はどうしたらいいですか?」「私は何が向いてますか?」とかね、私、私―――当たり前なんですけど、私が質問尋ねているんで、そうなんですけど、すごく「私にバチッとはまるものは何なのか?」っていう迷い方をしている人が多いんだなっていうことに気がついたんですね。―――てかもうこれすごい強烈だね、このシャツ。見れば見るほど―――で、自分のこと思い起こしてみると、私もそういう時代ってあったんですね。もう「私って一体何なんだろう?」とか、「私に向いてることって何だろう?」とか、私のことで頭がいっぱいだった時代って確かにあって、そういう時期って、今思い返すと、あんまりうまくいってなかったんですね。なんですけど、今はお陰様で、自分の人生にすごく満足しているんですけれど、今ってあんまり考えないんですよね。「私って!」みたいなことは考えないんです。だけど一方で、今自分が気分がいいかどうかとか、モヤモヤしてるかどうかとか、気分が上がってるか下がってるかっていうのは、よくわかるようになったんですよ。
●POINT② 文学的な理解で自分を分析しない!!
でね、今日皆さんにお伝えしたいことは、「文学的な理解で、自分を解釈しようとしないで!」っていうことを、今日はお話ししたいと思います。だからね、例えば自分は―――ごめんなさい!ちょっともう胸が、首元が苦しかったんで開けるんですけど―――「自分をこうだ!」「自分は何々だ!」みたいな言葉で制限しようとしないでほしいんですよ。言葉で例えば「私は明るい」とか、「私はその人懐っこい」とか「私はその人付き合いが苦手だ」とか、「私は仕事ができない」とか、そういう言葉で自分を定義しない方がいい。徹底的にしない方がいいです、これは。
私はね、性格不存在説っていうのを唱えていて、人間に性格なんかないと思ってるんですよ。あるのは、ケミストリーだけ。ケミストリーっていうのは、化学反応って意味なんですけど、この人の前で私のこういうところが引き出されるっていう事が起きているだけだから、嫌な人に囲まれてる人っていうのは、相手の嫌なとこばかり引き出す自分であるっていうことが、いい人ばっかりだなって思う人は、相手のいいところばかり引き出す自分であるということなんですよ。この後すごい自分を責める思考になっちゃうんですけど、それが言いたいじゃなくて、だから、今からいつでも変えられるよっていう話がしたい、私は常に。
だけど、自分の人生を変えられる人は、自分の人生に責任を持ってる人だけなんですよね。なので、ちょっとこういう厳しいこと言うんですけど。つまり、性格とかないんですよ、人間には。ある程度の傾向はあるかもしれないですよ。こういう反応が出やすいとか、そういうのはあるかもしれないですけど、基本的には、一緒にいる人が、自分のどんなところを引き出してるのか、あるいは自分が相手のどんなところを引き出してるのかが主体なんですよ。なので、「自分とは一体どんな人間なのか?」とか、そういうことを考えることに、全く意味はないんですよね。人によって、相手によって、変わるから。
●POINT③ 自分を受け入れられる自分になろう!!日々の生活の営みに気をつける。
てなるとポイントは、相手自分のいいとこ引き出してくれる人と一緒にいたい、いればいいじゃないですか。一番それが一番いい状態の自分といられるから。だけど、そのためには、自分が相手の一番いいところを引き出せられる自分であるしかないんですよ。で、相手の一番いいとこ引き出すことができる自分とは、どんな自分なのかっていうと、これまた逆説的なんだけど、自分を受け入れてる人なんですよね。ここはほんま、ピンポンみたいになってて。
自分はどこから始めたらいいのかっていう話なんですけど、取り組みやすいところから今日は話していきたいと思ってて。で、まぁちょっと戻って、じゃあ自分って何なのかって、考えない方がいいって私も言ったんですけど、じゃあ、自分ってじゃあもうないっていうことなのかっていうと、自分っていうのは、毎日の生活ぶりによって、客観的に浮かび上がってきてるものなんですよ。伝わる?(笑)だから、自分が文学的理解で「私はこうである」「私はああである」っていうのはだいたい間違ってて、本当に世の中で存在してる自分っていうのは、日々の営みの繰り返しの中で、おぼろげながら人に伝わってる、人にこう見られてるっていう、自分と呼ばれるエネルギーみたいなものが、それだけが自分なんですよ。自分はいるんだけど、自分が知覚的に、文学的に「自分はこうだ!ああだ!」っていうのは意味がない。
けど、自分っていうのは、日々の営みの繰り返し、積み重ねの中におぼろげながらに現れてくる。ってなると、日々の営み、日々の生活が、どんな生活かが現れてるって事なの。わかります?つまり、今日1日、明日1日をどう生きてるかが、人に伝わっているあなたであって、浮かび上がってるあなたなんですよ。だから、あなたがもし、誰か嫌な人だと思われていたりとか、もしかしたら嫌な相手の嫌なところばかり目の当たりしなきゃいけない生活だとしたら、日々の自分の生活の営みが、その波長っていうことですよね、波長。良し悪しじゃなくて、高い低いじゃなくて、そのチャンネルにいるっていうことですよ。今それを見てる。笑。伝わってる?なので、それやめたいですよね。
●POINT④ 自分に禁止をするのを辞める!!
そうなった時に、日々を丁寧に生きましょう、朝起きてありがとうって言いましょう、いろんなノウハウあるんだけど、取り組みやすいもので言うと、禁止———自分に禁止をするのをやめる。禁止をするのをやめるっていうのは、一つ大事だと思う。これが養老孟司さんなどが(紹介されているベジャミン・リベット博士の)「準備電位説」って、私たちはもうすでに行動を起こしてて、脳がそれを(後から)追いかけて、自分はこうしたかったんだって、理解してるだけっていう話をしていたと思うんですけど、ただ、その中断だけは自分でできるんですよ。何か体が勝手に動こうとしてるもの引っ込めるっていう事は、意志、意識っていうか、頭の統制でできる。だけど、やろうっていうのは、すでに動いてるわけなんですね、体が。それが何に基づいて動いてるかっていうと、私は魂の計画とか、いわゆる何となく決めてきた自分のストーリーに基づいて、体が勝手に動いて、だから、ほとんど自動運転なわけですよ、我々っていうのは。結論、考えてないわけ。後から「考えていた」と考えてるだけで、考えてなくて、勝手に動いてるわけね。
だけど、唯一、これはやっちゃいけないって言って、やろうとしてる自分を止めるっていう制御だけは働いてる。ってなった時に、その制御をやめてあげたらいいなって思うんですよね。で、その時に、本当にふとしたことですよ、あの、喉乾いたら水飲もう。だけど、今まだ席立っちゃいけないから水飲まないでおこう、とかあるじゃないですか。別にやったらいいやんっていう、ちっちゃい禁止もいっぱいあると思うんですよ。これ言いたいけど言わないとかね。それを、細かいことに気づいて、言うとか行動を変えるというところまで行かなかったとしても、せめて自分は言わない、言えなかった、言わない、言えない状況だったっていう風に一歩引くんじゃなくて―――これ、本当やってみてほしいんだけど―――言わない選択をしたっていう自覚を持つだけで、禁止してないんですよ、これは。自分の行動を、自分で決めているんです。自分で決めているっていう事になるんですよ。
例えば、今日は会社休んで外に行きたい。けど、行けないじゃんってなった時に、仕事に行かなきゃいけない、じゃなくて、私はいろんなことを考えた上で、今日は会社に行くことを選んだ。わかります?これ全然違うのわかります?言葉のパワーが。会社に行かなきゃいけない、生きていかなきゃいけない、お金稼がなきゃいけない、じゃなくて、自分は日々を生活のために、稼ぐために、今日会社に行くことを選んだ。わかります?結果的には、行きたくないところに行かなきゃいけないっていうことかもしれないけど、それを自分が選んでそうしてるって自覚があるのじゃないとでは、全然変わってくるんですよ、人生っていうのは。なので、ぜひそれをやってほしいなって思うのと、あとね、結局そういう風に、日々自分が日々の生活の中で、営みの中で何を選ぶのかっていうことに自覚を持つ。
あとはねやっぱりね、気分よく過ごすっていうことなんですよ。で、気分よく過ごすっていうことは、もう素敵に生きるって事なんですよ。あんまり深く考えなくていいです、気分のいいって何だ?みたいな。それも、例えばおしゃれしたりとか、素敵な立ち居振る舞いをしてみるとか、何でもいいんだけど、愛想よくしてみるとか、自分が気分がいいと思えばそれでいいので。で、最初は自分が気分がいいのか悪いのかさえも全くわからないっていう状態だと思うんですけど。
分かりやすいのは、丁寧にやると、自分の気分も分かりやすくなります。例えば、お掃除とか、お皿洗うこととか、靴を履くとか、着替えることとかも、ちょっといつもより、少しだけ時間をかけて丁寧にやると、自分っていう存在を、おぼろげながらに感じ始めるんですよ。そのゆっくり所作っていうのもすごく大事だし———なんかね、斎藤一人さんは逆に「早い時が素敵だ」っていう風に言われてたんですが———何でもいいんですよ。結局、斎藤一人さんが言ってるから正解じゃなくて、私が言ってるから正解じゃなくて、自分が気分がいい、自分は今気分がいいっていうことを自覚できるかどうかっていうことが大事なわけ。自分がどんな人間なのか、何が向いてるのか、どんな仕事がいいのかっていうことよりも、自分が今気分がいいから、この人とこういうコミュニケーションの時に自分の気分がいいかどうか、悪いかどうかが把握できるかどうかの方がずっと大事っていうことですね。
●アドバイス総括
なので、特に10代とか就活してたら適正検査とか、自分とは?みたいなことで人生悩むし、自分とは?みたいなことをついつい考えちゃうんですけど、もう本当に考えてもいいことないです。それは意味ないです、本当に。それよりも、目の前のことに対して自分が、どんな感情を抱いているのかっていうことを探ることの方が、ずっとためになると思います。はい!なので、今日は「自分とは」っていう話でした。「自分のことは考えない方がいいよ」っていうお話でした。なんか聞いてて元気になってくれたら嬉しいなと思って今日も喋ってます。コメント欄に何か質問いただけたら、そちら答えていきたいと思います。今日はここまで。じゃあね~ブンブン!
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(引用ここまで)
10分足らずの動画なので、
ざっくりとしたお話でしたが、
結局、「自己言及」というのは、
「観察する者」と「観察される者」と
のやりとりというか、
分人どうしで言い合いしてるみたいなもので、
自分で、自分を文学的に
解釈してるだけになりがちだし、
ほぼ無意味ってことなんですね〜
「分人」というテーマからは離れますが、
ケシーさんの
今年のお正月明けに6本にわたって配信された
『現実創造の掟』と題された動画を
すべて文字起こししてシェアしたので、
まだご覧になっていない方で、
有料セミナー級のディープなお話を
視聴したいという方は、次からどうぞ!
⑥完結編・魂のプランを使いこなす 〜独自性あふれる魅力の最大化〜
平野啓一郎さんの『私とは何か』は、
講談社現代新書の1冊として出版され
比較的手に入れやすく読みやすいので、
まだお手元にない方は、
まずは入手されて読んでみてくださいね〜
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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は
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