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自己表出と指示表出について(三木成夫の解剖学的見地から)

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自己表出と指示表出について②(三木成夫の解剖学的見地から)

自己表出と指示表出について②(三木成夫の解剖学的見地から)

2026/08/11

昨日投稿した記事の続きです。

 

昨日は、吉本隆明さんの

「自己表出と指示表出」について

宇田亮一さんの著書

『吉本隆明「マスイメージ論」を読む』から

吉本思想に馴染みのない方に向けて

説明されている箇所を引用して紹介しました。

 

とりわけ特徴的だったところは、

バーバル(言語的) → 指示表出

ノンバーバル(非言語的) → 自己表出

という風に、

「自己表出と指示表出」は言語的か否かを

言っているわけではないという点。

 

また、新しい試みとして、ルビンの壺を使って

説明されていることも記されていましたが、

俳句のたとえ話は、わたしも

自己表出性について説明するときによく使います。

 

正岡子規が28歳のときに

奈良を訪れたときに詠んだと伝えられている

 

柿 食 え ば 鐘 が 鳴 る な り 法 隆 寺

 

という有名な俳句があります。

 

おそらく日本人であれば、この短い17文字に

柿の「味覚・色彩」と鐘の「聴覚」が

いずれも「秋の季節感」を醸し出していて、

そこに日本最古の寺とされる法隆寺のもつ

「歴史的な重み」がマッチしているという風景が

イメージできるのではないでしょうか。

 

言葉の意味にフォーカスする指示表出は、

〝空間性〟のベクトルを有しているのに対して、

自己表出の方は、歴史の積み重なりを含んでいて

〝時間性〟のベクトルを有していると言え、

すぐれた俳句の多くはこの両者が

絶妙なバランスを保っているように感じます。

 

あと、「自己表出と指示表出」という言い回しが

わかりにくい理由のひとつなんですが、

自己表出の「自己」には、

「個人、個体としての自分」という意味はなく、

「自動的に」「自ずから」「オートマティック」という

意味で使われているんですね。

 

だから、「自己表出」というのは、

個別性を超越したところに現れてくるものなので、

幻想領域の3つの区分で言うと、

共同幻想に親和するはたらきになるわけで。

 

個人幻想の領域に親和し

個別に対象に向かう働きは「指示表出」なわけです。

 

このあたりも紛らわしく感じる理由でしょう。

 

さて、「自己表出と指示表出」についての

理解をより確かなものにするために、

今日は、吉本さん自身が講演で話された記録から

日本語文法の品詞分類を

「自己表出と指示表出」で整理する話と

解剖学者・三木成夫さんの知見によって、

生物的な裏付けを得たという話を。

 

(引用ここから)
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・・・ぼくには、自分なりにつくった言語論があります。そこで、ことばというのは、何か対象を見てそのあげくにことばが出てくる、そういうことばの面を指示表出といいます。もうひとつ、叫び声のように、何かが起こってひとりでに声が出てしまうという、そういうことばの面を自己表出というふうに呼んでいます。

 

人間のことばは、指示表出と自己表出の組み合わされた錯合から成り立っているというのがおおざっぱにいってぼくのかんがえかたとしてきたわけです。たとえば名詞ですね、顔とか手とか足とかという名詞ですが、名詞は指示性が強いことばなんで、自己表出性は陰にかくれています。

 

それから、何もイメージは起こらなくても、何か動きだけを伝えることばに動詞があります。この品詞は自己表出性が前面に出てきて、指示表出の作用は背後にかくれたり少なく出てきたりということになります。形容詞は、その中間で、たとえば美しいという形容詞は、たしかに対象を見てなければ美しいかどうかわからないから指示表出性もあるんだけど、自己表出性もそのなかに入っていて半々のように出てくるのが形容詞みたいなものになります。

 

そうしますと、名詞を一方の軸の端にして、他方の軸の端を感動詞としますと、その中間に形容詞があり、副詞や動詞、助詞、助動詞みたいなものまで全部円になって入ってきます。そのなかに指示表出性と自己表出性の微妙な差異があってことばをつくっています。

 

三木成夫さんの本を読みまして、心の働きから出てくることばは自己表出的なことばというふうにかんがえればいいということにはじめて気がつきました。つまり、漠然と、ことばというのは指示表出と自己表出の交差したものだとかんがえてきたけど、身体的あるいは生理的にいえば、内臓器官の働きに関連する表現のしかたというのが自己表出で、感覚器官の働きに関連することばの働きかたが指示表出だとかんがえれば、これは一種の身体的あるいは生理的基礎というので、自分のかんがえかたに根拠を与えられるんではないかとはじめて気がつきました。ぼくらは、それで、一段と、自分のかんがえかたが広がったようにおもって、とても役に立ったんです。

 

吉本隆明・未収録講演集〈2〉『心と生命について』収録

 1994.9.11池袋リブロ主催「吉本隆明と時代を読む」第4回「心について」より
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(引用ここから)

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