寺子屋塾

自分の器を拡げるためにできること(その6)

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自分の器を拡げるためにできること(その6)

自分の器を拡げるためにできること(その6)

2021/12/08

昨日の続きです。

 

昨日の記事では、2013年5月13日から年末にかけて、

らくだメソッド・算数小4-41

分数約分のまとめプリントを180枚学習したときに

書いたふりかえり文をご紹介しました。

 

またそれは、2011年11月からFacebookに

庭の写真をアップし、

その日の天気と予定について書いて

毎日投稿し続けるという課題が

1年以上かかってようやくクリアできるようになり、

別の課題にチャレンジしてみようとおもったことが

きっかけでした。

 

同じテーマで(その5)まで書いてきて、

しかもそれぞれに長文で

だいぶ話が拡散してしまったので、

今日は、これまで書いたことを中心にふりかえって

結局のところ何が大事なのか、

重要ポイント5つを整理しておこうとおもいます。

 

1.ひとつの課題にまず集中して取り組む

2.次の課題に取り組むときは、

 それまでやったことがないことをやってみる

3.やり始める最初はハードルを低くして

 軽いことから始めるか、明確に期限を区切る

4.クリアできた課題を別のことに応用してみる

5.課題へのアプローチが一段落したらふりかえる

 

1については、

何か新しいことを始めるときのコツで、

3とも関連するんですが、

ふたつ以上の別のことを同時にやり始めてしまうと、

意識が拡散してしまい集中できません。

「虻蜂取らず」ということわざがあるんですが、

結局、一つひとつのクオリティが上がらないし、

どちらもうまくいかなくなってしまうことが

わたしの経験においても少なくなかったからです。

 

もちろん、これはタイプによるかもしれません。

 

わたしのような不器用な、しかも飽きっぽくて

もともとコツコツやるのは得意でない人間だったから、

なおのことなんですが。(^^;)

 

まあ、いまのわたしは

「コツコツやるのは苦手だった」なんて言っても

だれも信じてくれないような人間に

変化してしまいましたが。笑

 

まず、一つのことだけに集中して取り組み、

その課題がクリアできてから次の課題へと

ひとつひとつ順番にということです。

 

ひとつの課題が

ちゃんとクリアできていないうちから、

次のことをやり始めないこと。

 

2については、

らくだメソッドの学習について

スモールステップのシステムに沿って

1枚ずつ順番にやっていくアプローチが

スタンダードなやり方であるわけですが、

わたし自身はそれを過去に終えていたので、

「同じプリントを180枚やってみる」という

それまでやったことが無かったことに

チャレンジしたことが

これにあたると言ってよいでしょう。

 

また、その時点で、毎日コツコツやり続ける課題は

わたしにとってすでにクリアできていたので、

「同じプリントを180枚やってみる」ときには、

敢えて、毎日続けることには固執せず

むしろ、毎日続けないことによって

新たな発見があるように、課題設定してみました。

 

必ずしも、毎日できていることが

どんな場合においても、誰にとっても、

善であるとは言えませんからね。

 

3については、

ふとしたおもいつきから始めてみる

というのもそうですし、

あまり大きすぎる目標を立ててしまうよりは、

とりあえず実現可能な範囲で

終わりが見えている状態を具体的につくっておく

ということです。

 

「同じプリントを180枚やってみる」というのは

まさにそれで、180枚をやり終えれば

とりあえず目標達成ということで

一段落するわけですし、

そこからまた、次の課題を設定するようにすれば

いいからです。

 

たとえば、プリントが

毎日やれていない人がいたとしましょう。

 

その人が「毎日やる」って決意するだけでは

なかなかできるようになっていかないんですが、

それは、自分の意志の力だけでその課題を

クリアしようと考えること自体に無理があって、

決める中味が曖昧で、具体的でないからなんです。

 

つまり、注力する力点自体がズレているので、

自分の意志の力に頼らなくても、

毎日やれるような仕組みづくりは

どうしたらできるのか、というように、

自分の視点を変えない限り、

同じ思考の枠から抜けられません。

 

「無くて七癖」ということわざのとおり、

自分がどういう思考枠にはまっているかを

客観的に知ることは難しいので、

たとえば、

「30日間は毎日やってみる」という風に

期限を区切ってやってみて、

30日経ったら、実際どうだったかを

ふりかえってみる、とか

「午前中の時間帯にやる」

「やる場所を決める」等々、

どのようなタイミングで、

どのような環境のなかで、

どのように取り組むのかというように

自分が無自覚にはまってしまっている

思考枠そのものを問うような、

それまでのやり方とは異なったことを

具体的に決めてやってみることが大切なんです。

 

あと、(その1)から(その5)までの記事では

書いていなかったことですが、

こちらのblog記事に書いた

初詣に行ったときにおみくじがなかったので

易のサイコロを毎日振り始めたきっかけなども

これにあたります。

 

結局この日課も毎日欠かさず連続2000日以上

投稿が続けられているんですが、

毎日続けようとおもって続けてきたわけではなく

最初のきっかけが軽いおもいつきだったからこそ

結果的に続いているんではないかと。

 

4については、

Facebookにお天気と庭の写真の投稿が

毎日続けて投稿できるようになったことを

別のことに応用し、その後は、

「今日の音楽」

「今日の論語」

「今日の易経」

「今日の名言」

「今日の1冊」

「今日の逃げ恥」など、

「今日の●●」という形でシリーズ化して

連続して投稿するスタイルができて行ったんですが、

最初からこうすることを想定していたわけでなく、

10年という長い時間をかけて、

ひとつずつテーマを決め、

ひとつずつ順番に取り組んできたことで、

10年前には庭の写真の投稿たった一つだけでも

毎日続けられなかったようなわたしが、

いろんなテーマについて同時並行的に書いて

投稿することが、

結果的に実現できるようになったのです。

 

5については、前回(その5)で紹介した

分数約分のまとめプリントを180枚学習したときに

書いたふりかえり文がそうですし、

(その2)(その3)で紹介した

寺子屋塾生の廣安くんが書いた

blogふりかえり記事などもそうでした。

 

いま、こうやって書いている記事そのものもそうです。

 

ちなみに、わたしの言う「ふりかえり」は、

いわゆる「反省」と同じではありません。

 

あれが良かった、これは良くなかったという

良し悪しのジャッジメント、

価値判断を入れてしまうと、

その良し悪しの判断の基準が

自分自身のものなのか、

まわりのものなのかが曖昧になって

事実をありのままに観察し続けるということが

むしろできなくなってしまうからです。

 

また、過去の自分と現在の自分は同じではないので、

時間軸を過去に戻して反省するのではなく、

過去の事実を

いまの自分の視座において観察すること・・・

 

観察し続ける姿勢を自分自身がもつことではじめて、

過去の事実をどう受け止めるかは

いまの自分次第だということになります。

 

わかりますかね?

 

時間軸を常にいま、ここ、自分に置くことが大切で、

問われているのは「過去の自分」でなく、

「いまの自分」だということが

言いたいのですが。

 

そうすることができて、

過去の事実は、変えられない不変のものではなく、

いまの自分の受け止め方次第であって

次に活かすことができるとおもうのですが、

いかがでしょうか。

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